出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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== 略歴 == |
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[[1875年]]7月、[[高遠藩]]士だった父・譲次の息子として[[東京市]][[下谷区]]︵現・[[東京都]][[台東区]]︶徒歩町で生まれる。旧藩主・[[内藤頼直]]の命によって天随は母方の久保氏を継ぐこととなった。18歳頃から[[漢詩]]を作り、[[1899年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]漢文科を卒業した。卒業後は﹃帝国文学﹄などに[[評論]]、[[随筆]]などを投稿した。また、[[漢籍]]の評釈や漢詩の[[訳注]]も行なっている。
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[[1875年]]7月、[[高遠藩]]士だった父・譲次の息子として[[東京市]][[下谷区]]︵現・[[東京都]][[台東区]]︶徒歩町で生まれる。旧藩主・[[内藤頼直]]の命によって天随は母方の久保氏を継ぐこととなった。18歳頃から[[漢詩]]を作り、[[1899年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]漢文科を卒業した。卒業後は﹃帝国文学﹄などに[[評論]]、[[随筆]]などを投稿した。また、[[漢籍]]の評釈や漢詩の訳注・解説も行なっている。
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長くこのような生活が続いたが、[[1915年]]に大礼記録編纂委員会の嘱託となった。この会は[[内閣文庫]]の階上に設けられたため、文庫の蔵書を閲覧する機会に恵まれた。これをもとに[[1917年]]から漢詩専門誌で[[西廂記]]に関する連載を持ち、[[1920年]]には[[宮内省]][[図書寮]]の編集官となった。[[1924年]]の夏に[[満州]]を旅行して詩集を執筆し、翌年には﹁西廂記の研究﹂で学位を申請、[[1927年]][[11月7日]]に[[文学博士]]となった。また、同年4月から随鴎吟社の主事を務めている。
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上記の生活が長く続いたが、[[1915年]]に大礼記録編纂委員会の嘱託となった。この会は[[内閣文庫]]の階上に設けられたため、文庫の蔵書を閲覧する機会に恵まれた。これをもとに[[1917年]]から漢詩専門誌で[[西廂記]]に関する連載を持ち、[[1920年]]には[[宮内省]][[図書寮]]の編集官となった。[[1924年]]の夏に[[満州]]を旅行して詩集を執筆し、翌年には﹁西廂記の研究﹂で学位を申請、[[1927年]][[11月7日]]に[[文学博士]]となった。また、同年4月から随鴎吟社の主事を務めている。
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[[1928年]]に[[台北帝国大学]]が設立されると、翌年[[4月11日]]にその[[教授]]に就任した。文政学部東洋文学科で[[中国文学]]講座を担当し、中国文学史などを教えた。また、[[澎湖諸島]]や[[琉球]]を旅して紀行文を書いている。[[1934年]][[6月2日]]、病臥中に近くで[[落雷]]があり、衝撃で[[脳溢血]]を起こして59歳で逝去。
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[[1928年]]に[[台北帝国大学]]が設立されると、翌29年[[4月11日]]にその[[教授]]に就任した。文政学部東洋文学科で[[中国文学]]講座を担当し、中国文学史などを教えた。また、[[澎湖諸島]]や[[琉球]]を旅して紀行文を書いている。[[1934年]][[6月2日]]、病臥中に近くで[[落雷]]があり、衝撃で[[脳溢血]]を起こし逝去した︵享年59︶。
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==編著書== |
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==編著書== |
2018年9月25日 (火) 02:43時点における版
久保得二
編著書
●﹃七寸鞋﹄内外出版協会 1900
●﹃世界歴史譚 瑣克刺底︵ソクラテス︶﹄中村不折画 博文館 1900
●﹃柳宗元﹄新声社 東西文豪評伝 1900
●﹃韓退之﹄鍾美堂本店 1901
●﹃塵中放言 文学評論﹄鍾美堂 1901
●﹃滑稽百笑話﹄晴光館 1902
●﹃四書新釈﹄博文館 1901-02
●﹃本朝絶句評釈﹄文学館 1902
●﹃漢詩評釈﹄人文社 1903
●﹃支那文学史﹄人文社 1903
●﹃文章軌範精義﹄博文館 1902-03
●﹃漢語辞彙﹄育成会 1904
●﹃東洋通史﹄博文館 1903-04
●﹃東洋倫理史要﹄育成会 1904
●﹃日本儒学史﹄博文館 帝国百科全書 1904
●﹃古今武士道史譚﹄育成会 1905
●﹃少年士道の訓 武家時代﹄編 同文館 1905
●﹃実用辞彙 読書作文﹄編 育成会 1905
●﹃朝鮮史﹄博文館 帝国百科全書 1905
●﹃評釈日本絶句選﹄本郷書院 1905
●﹃夕紅葉 美文韻文﹄日高有倫堂 1905
●﹃三国志演義﹄隆文館 支那文学評釈叢書 1906
●﹃山水写生 紀行文集﹄日高有倫堂 1906
●﹃書信文作法﹄実業之日本社 作文叢書 1906
●﹃新体記事文﹄光盛館 1906
●﹃実用作文法﹄実業之日本社 作文叢書 1906
●﹃二十世紀新式書翰文﹄光盛館 1906
●﹃日本歴史宝鑑﹄博文館 1906
●﹃近世儒学史﹄博文館 帝国百科全書 1907
●﹃儀式文作法﹄実業之日本社 作文叢書 1907
●﹃叙事文作法﹄実業之日本社 作文叢書 1907
●﹃天才主義﹄参文舎 青年修養叢書 1907
●﹃美文作法﹄実業之日本社 作文叢書 1907
●﹃文壇獅子吼﹄日高有倫堂 1907
●﹃論文作法﹄実業之日本社 作文叢書 1907
●﹃日本外史新釈﹄博文館 1907‐08
●﹃日本外史字解﹄博文館 1908
●﹃李杜評釈﹄隆文館 支那文学評釈叢書 1908
●﹃高等漢文講義﹄金刺芳流堂 1909
●﹃古文真宝新釈﹄博文館 1909
●﹃唐詩選新釈﹄博文館 1908-09
●﹃美辞類語集﹄博文館 通俗作文全書 1909
●﹃韓非子新釈﹄博文館 1910
●﹃菜根譚詳解講義﹄金刺芳流堂 1910
●﹃新体書翰文﹄文泉堂 1910
●﹃荘子新釈﹄博文館 1910
●﹃列子新釈﹄博文館 1910
●﹃老子新釈﹄博文館 1910
●﹃記事文鑑 作文資料﹄博文館 1911
●﹃新式実用短信﹄積善館ほか 1911
●﹃荀子新釈﹄博文館 1910-11
●﹃孫子新釈﹄博文館 1911
●﹃白氏評釈﹄隆文館 支那文学評釈叢書 1911
●﹃議論文鑑 作文資料﹄博文館 1912
●﹃三体新書翰﹄積善館 1912
●﹃書翰文鑑 作文資料﹄博文館 1912
●﹃新式大辞林 読書作文﹄編 博文館 1912
●﹃抒情文鑑 作文資料﹄博文館 1912
●﹃青年新書簡﹄積善館 1913
●﹃大正式書翰文 文体一新﹄光盛館書店 1913
●﹃中等書翰文﹄鍾美堂書店 1913
●﹃筆と四季﹄広文堂書店 1913
●﹃提督ネルソン﹄鍾美堂 偉人叢書 1914
●﹃鉄血宰相ビスマルク﹄鍾美堂 偉人叢書 1914
●﹃評註名詩新選﹄博文館 1914
●﹃漢文自修提要 受験兼用﹄積善館本店 1915
●﹃自然と人生と 作文新材﹄栄文館書店 1914
●﹃新式大正書翰講話﹄金刺芳流堂 1915
●﹃誤り易き漢字の読み方と正しき用字法﹄精文館書店 1917
●﹃槿域游草﹄朝鮮総督府 1924
●﹃遼瀋游草﹄満鉄鉄道部旅客課 1925
●﹃久保漢和大辞典﹄編 中央書院 1929
●﹃詳解新漢和大辞典﹄編 有宏社 1929
●﹃出門一笑﹄万里閣書房 1930
●﹃国語新語最新大辞典﹄淡海堂出版部 1934
共編著
●﹃藻かり舟﹄中内義一共著 鐘美堂 1900
●﹃明治百家文選﹄編 隆文館 1906
●﹃現代名家文選 評註細評﹄編 金刺芳流堂 1908
●﹃新体漢文軌範﹄編 博文館 通俗作文全書 1908
●﹃最新学生書翰文﹄一戸桜外共著 弘学館 1909
●﹃明治作文大鑑﹄長連恒共編 隆文館 1909
●﹃現代才媛文範 詳註細評﹄編・著 金刺芳流堂 1910
●﹃詞華類典﹄芋川泰次共著 建文館ほか 1911
●﹃新体作文模範辞林﹄太田秀雄共著 祐文館書店 1912
●﹃滑稽笑話旅鞄﹄町田柳塘共著 旅行倶楽部 1915
翻訳など
●ペスタロッチ﹃酔人の妻﹄育成会 1901
●ゴールドスミス﹃寒村行﹄天野淡翠 (淡水) 共訳 鍾美堂 外国語研究叢書 1903
●オットー・ウヰルマン﹃教授新論(ウィルマン氏)﹄補訳 同文館 教育研究叢書 1903
●ゲーテ﹃うえるてる﹄金港堂 1904
●レッシング﹃譬喩談 家庭教訓﹄訳述 晴光館 1906
●﹃軍談家庭文庫﹄第1-3冊 青木存義共校訂 広文館 1911
●﹃水滸全傳 新譯﹄譯補 至誠堂書店 新譯漢文叢書 1911
●﹃三国志 新訳演義﹄訳補 至誠堂書店 新編漢文叢書 1912
●岡田僑 (鴨里) ﹃日本外史補 新訳﹄新潮社 1912
●﹃漢文叢書﹄全12冊 校 博文館 1913‐14
●ハインリッヒ・ペスタロッチー﹃酔人の妻と隠者の夕暮﹄育成会
●蒋蔵園原本﹃琵琶行の戯曲﹄弘文堂書店 1927
●﹃韓退之全詩集﹄全2巻 訳註 日本図書センター 1978
●﹃高青邱全詩集﹄全4巻 訳註 日本図書センター 1978
●﹃李白全詩集﹄全3巻 訳註 日本図書センター 1978
●﹃蘇東坡全詩集﹄全6巻 訳註 日本図書センター 1978
参考文献
●黄得時 ﹃久保天随博士小伝﹄ 中国中世文学研究、Vol.2、P.48-53、1962年
●日本図書センターで﹃韓退之全詩集﹄、﹃李白全詩集﹄、﹃高青邱全詩集﹄が復刻
●なお生前に出された編著書は、明治33年から始まり百数十冊になる。