澎湖諸島
座標: 北緯23度35分 東経119度35分 / 北緯23.583度 東経119.583度
澎湖諸島 | |
---|---|
| |
各種表記 | |
繁体字: | 澎湖群島 |
簡体字: | 澎湖群島 |
拼音: | Pénghú Qúndăo |
注音符号: | ㄆㄥˊ ㄏㄨˊ ㄑㄩㄣˊ ㄉㄠˇ |
発音: | ポンフー チュンダオ |
澎湖諸島︵ほうこしょとう、ポンフーしょとう︶は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群。澎湖列島、澎湖群島とも呼ばれる。島々の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmを誇っている。大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。また、かつて﹁澎湖﹂の名を冠した日本海軍の艦艇があった。
澎湖諸島
歴史の詳細は、澎湖県を参照のこと。
●1281年、元により巡検司が設置される。
●1563年、倭寇勢力が駆逐され明の支配下となる。
●16世紀、ポルトガル人はこの島々を﹁Pescadores︵ペスカドレス︶﹂︵漁師の島︶と呼んでいた。
●1604年、オランダ人が上陸し貿易活動を行う。
●1684年、鄭氏政権を打倒した康熙帝が、澎湖諸島を清の版図に加える。
●1895年、日清戦争の下関条約で清から割譲を受け日本が領有。
●1900年4月、澎湖島要塞の建設開始︵大山堡塁の着工︶。
●1901年3月、第一期の要塞工事が終了した。1902年5月、澎湖島要塞司令部が設置された。
●1945年、日本の降伏後中華民国が領有し澎湖県を設置。
経済産業面では1913年には電気会社が設立され電力供給開始、1920年にかけて郵便制度が整備され、日本企業による投資促進政策が取られた。1926年には澎湖水産会、1927年に馬公バスが整備され、また政治面でも地方自治を組織するなど近代国家としての制度が整備されていった。また、文化面では1928年︵昭和3年︶11月8日、澎湖神社が鎮座したが、現在は取り壊され石碑だけが残されている。