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2011年3月16日 (水) 20:25時点における版
佐伯氏 | |
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本姓 | 佐伯宿禰 |
家祖 | 大伴室屋 |
種別 | 神別(天神) |
支流、分家 |
佐伯造 佐伯首 岸家(地下家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
佐伯氏︵さえきし︶は古代日本の有力氏族である。
概要
中央伴造として佐伯部を率い、宮門警備や武力勢力として朝廷に仕えた。因みに警備を担当した宮門は、氏族名から﹁佐伯門﹂と名付けられたが、平安宮では唐風文化の影響から、﹁さへき﹂に音通する﹁藻壁︵そうへき︶門﹂と改められた[1]。姓は初め﹁連﹂であったが、天武天皇13年︵685年︶に同族の大伴氏等とともに﹁宿祢﹂を賜姓された[2]。奈良時代以降、たびたびの政争に巻き込まれ︵﹁関連項目﹂を参照︶、そのたびに一族から処罰される者を出した事なども影響し、徐々に衰えた。出自
天孫降臨の時に彦火瓊々杵尊を先導した天押日命︵あめのおしひのみこと︶を祖とし、大伴室屋の時に大伴氏から別れた神別氏族である[3]。読みと字義
王権に仕え、宮廷警備等の任につくようになった後、外敵からの攻撃を﹁遮︵さへ︶ぎる者﹂という意味で﹁さへき﹂と呼ばれるようになったとの説がある。後世﹁さへき﹂が﹁さえき﹂と訛り、更に﹁さいき﹂に訛った地域もある。同族
佐伯造
佐伯造︵-みやつこ︶は、﹃新撰姓氏録﹄右京神別上に見え、旧姓は﹁佐伯部﹂。﹃日本書紀﹄によれば、市辺押磐皇子︵いちのへのおしはのみこ︶の舎人、佐伯部仲子︵さへきべのなかちこ︶[4]の後裔で、仁賢天皇5年2月5日条に、諸国の佐伯部を集めて管掌させたとある。佐伯首
佐伯首︵-おびと︶は、﹃新撰姓氏録﹄河内国神別に見える。脚注
関連項目
参考文献
- 佐伯有清「宮城十二門號と古代天皇近侍氏族」(『新撰姓氏録の研究 研究篇』、1963年 ISBN 4-642-02110-8所収)・『新撰姓氏録の研究 考證篇 第二』、1982年 ISBN 4-642-02112-4・『同考證篇 第三』、1982年 ISBN 4-642-02113-2・『同考證篇 第四』、1982年 ISBN 4-642-02114-0 以上いずれも吉川弘文館
外部リンク