佐山哲郎
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佐山 哲郎 (さやま てつろう) | |
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ペンネーム | 麻耶 十郎 |
誕生 |
1948年![]() |
職業 |
編集者 文筆家 官能小説家 漫画原作者 歌人・俳人 住職・浄土宗僧侶 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
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最終学歴 | 東京都立大学人文学部中退 |
活動期間 | 1973年 - |
ジャンル |
官能小説 漫画原作 少女漫画 |
代表作 | 『コクリコ坂から』 |
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佐山 哲郎︵さやま てつろう、1948年 - ︶は、日本の編集者、文筆家、歌人、住職、浄土宗僧侶、官能小説家、漫画原作者。エルシー企画・群雄社出版編集局長。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画﹃コクリコ坂から﹄原作者。通称S︵エス︶。別名は麻耶 十郎︵まや じゅうろう︶。
1970年代から1980年代にかけて明石賢生の右腕として自販機本・ビニ本業界の雑誌編集者や官能小説家として活動した。
略歴
「明石賢生」および「Jam (自販機本)」も参照
1948年、東京都台東区根岸生まれ[1]。
東京都立大学人文学部中退[1]。学生歌人や全共闘運動などの活動を経て1968年4月の沖縄奪還闘争で逮捕されたのち学生運動から足を洗う。
1976年より自販機本出版社のエルシー企画で編集局長に就任し、明石賢生社長の右腕を務める[2]。また並行して講談社の漫画雑誌﹃なかよし﹄で少女漫画の漫画原作者も担当し、本職の成人向自販機雑誌では官能小説家兼ライターとしても活躍した。
1978年より自販機本﹃X-MAGAZINE﹄初代編集長に就任するが、後に高杉弾と美沢真之助によって雑誌を乗っ取られる[2]。
1979年には高杉弾と山崎春美を編集に採用した伝説的自販機本﹃Jam﹄︵のちに﹃HEAVEN﹄と改題︶の創刊に立ち会った[2]。翌年にはアリス出版より﹃Jam﹄に触発された自販機雑誌﹃NOISE1999﹄を創刊し[3]、同誌2号掲載の﹁鈴木いづみ+山崎春美ベッドイン・インタビュー﹂が話題となる。
1980年には少女漫画﹃コクリコ坂から﹄︵作画・高橋千鶴︶の漫画原作を手がけ、同作は2011年に宮崎駿の企画・脚本でスタジオジブリによってアニメ映画化された︵宮崎は姪が忘れていった﹃なかよし﹄で同作をリアルタイムで読んでおり、映画化することを心に誓っていたという︶。
同年より明石賢生主宰の群雄社出版で編集局長を務め、竹熊健太郎の初単行本﹃色単―現代色単語辞典﹄︵2005年にポット出版より復刊︶の企画や、筒井康隆原作/内藤誠監督の映画﹃俗物図鑑﹄の便乗本﹃俗物図鑑の本﹄の編集を金田トメらと行う。しかし、経営不振で群雄社は1983年に倒産。
その後は東京都台東区根岸にある浄土宗西念寺の住職を務める傍ら、麻耶十郎名義で官能小説も手掛け、現在は俳人としても活動している[1]。
ちなみに﹃週刊文春﹄2011年8月4日号には﹁﹃コクリコ坂から﹄原作者 初告白﹂と題された特集記事が掲載されており[4]、官能小説家から住職になるまでの経緯が佐山本人によって初めて公に語られている。なおエルシー企画で同僚だった安田邦也によれば当時の佐山は異常なほど速筆だったようで﹁一冊分の原稿を一人で書くという荒ワザをやってのけるんだ。それも一昼夜だよ。小説から風俗ルポルタージュ物、告白手記と、文体変えて次から次へとササーッとでっち上げて行く。あんなに筆の速い人って後にも先にも見たことないよ﹂と後に回想している[5]。
作品
漫画原作
●タランチュラのくちづけ︵講談社 1976年︶※作画‥高階良子 ●小夜子より星便り︵講談社 1979年︶※作画‥高橋千鶴 ●コクリコ坂から︵講談社 1980年︶※作画‥高橋千鶴 ●マンガ法然上人伝︵浄土宗出版 1995年︶※監修‥阿川文正/作画‥川本コウ官能小説
すべて麻耶十郎名義
●犯された教室︵二見書房 1982年︶※1985年12月に同社より文庫化
●ドッグ・ファッション─犬の姿勢︵群雄社出版 1983年︶
●快感︵二見書房 1985年︶
●女医監禁︵マドンナ社 1986年︶
●女子高生 あぶない体操着︵マドンナ社 1988年︶
●義母の下着、義妹の制服︵二見書房 1991年︶
●﹃監禁﹄セーラー服蕩し︵二見書房 1992年︶
●﹃解剖﹄恥ずかし授業︵二見書房 1993年︶
●セーラー服 快感の口淫︵二見書房 1995年︶
●﹃発熱﹄女高生の粘膜─服従の淫具いじめ︵二見書房 1997年︶