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富山市公会堂は鉄筋コンクリート造の4階建て(一部5階有り)で敷地面積は1125坪、総工費は2億6千4百万円であった<ref name=":1" />。ブロックスタイルに垂直ルーバを施しガラスを多用した当時最新の建築は、全国有数の公会堂として[[日比谷公会堂]]や[[大阪市中央公会堂]]と並び称せられ、内部には回り舞台やオーケストラボックス、音響板等の設備を有していた<ref name=":2" /><ref>富山産業大博覧会誌編纂委員会編、『富山産業大博覧会誌』(259頁)、1957年(昭和32年)11月、富山市役所</ref>。[[1956年]](昭和31年)6月11日には工費7百万円を以てシネマ・スコープ映写機が完成し、映画の上映も行えるようになった<ref name=":2" />。また開館から[[1960年]](昭和35年)[[3月]]までは3階に[[全国信用保証協会連合会|富山県信用保証協会]]の事務所がテナントとして入居し<ref>{{Cite web|url=http://www.cgc-toyama.or.jp/01about/01-020enkak.html|title=沿革|accessdate=2014-02-23|publisher=富山県信用保証協会}}</ref>、[[1987年]](昭和62年)10月から[[1989年]]([[平成]]元年)10月までは富山市立富山外国語専門学校が別館を校舎として利用していた<ref>[http://www.tcfl.ac.jp/about-tcfl/history.html 富山市立富山外国語専門学校のあゆみ] - 富山市立富山外国語専門学校</ref>。 |
富山市公会堂は鉄筋コンクリート造の4階建て(一部5階有り)で敷地面積は1125坪、総工費は2億6千4百万円であった<ref name=":1" />。ブロックスタイルに垂直ルーバを施しガラスを多用した当時最新の建築は、全国有数の公会堂として[[日比谷公会堂]]や[[大阪市中央公会堂]]と並び称せられ、内部には回り舞台やオーケストラボックス、音響板等の設備を有していた<ref name=":2" /><ref>富山産業大博覧会誌編纂委員会編、『富山産業大博覧会誌』(259頁)、1957年(昭和32年)11月、富山市役所</ref>。[[1956年]](昭和31年)6月11日には工費7百万円を以てシネマ・スコープ映写機が完成し、映画の上映も行えるようになった<ref name=":2" />。また開館から[[1960年]](昭和35年)[[3月]]までは3階に[[全国信用保証協会連合会|富山県信用保証協会]]の事務所がテナントとして入居し<ref>{{Cite web|url=http://www.cgc-toyama.or.jp/01about/01-020enkak.html|title=沿革|accessdate=2014-02-23|publisher=富山県信用保証協会}}</ref>、[[1987年]](昭和62年)10月から[[1989年]]([[平成]]元年)10月までは富山市立富山外国語専門学校が別館を校舎として利用していた<ref>[http://www.tcfl.ac.jp/about-tcfl/history.html 富山市立富山外国語専門学校のあゆみ] - 富山市立富山外国語専門学校</ref>。 |
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しかし、1989年︵平成元年︶2月26日に富山市は公会堂の老朽化を理由にその改築に乗り出す旨を表明した<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵718頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。折から行われていた富山駅北地区の再開発事業である﹁とやま都市MIRAI計画﹂の一環として新公会堂は[[富山駅]]北に移転新築することとなり<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵721頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>、[[1992年]]︵平成4年︶10月2日にはその基本構想答申案がまとめられた<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵726頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。[[1993年]]︵平成5年︶10月28日には基本設計が決定し<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵728頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>、[[1994年]]︵平成6年︶5月20日は新公会堂たる[[富山市芸術文化ホール]]の起工式を挙行<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵732頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。[[1995年]]︵平成7年︶10月30日に愛称を﹁オーバード・ホール﹂と決定した新公会堂は、[[1996年]]︵平成8年︶6月28日に本体工事を完了し、同年9月22日に完成記念式典を挙行した<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵735、738及び739頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。これによって富山市公会堂はその役目を新公会堂に譲り、[[1997年]]︵平成9年︶3月31日に[[富山県立富山高等学校]]吹奏楽部が最後の公演を行い閉場することとなった<ref name=":3">富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵740頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。同年4月からはその解体工事に入り<ref name=":3" />、[[1999年]]︵平成11年︶8月28日にはその跡地に[[全日空ホテルズ|ANAクラウンプラザホテル]]富山が開業した<ref>[http://www.bbt.co.jp/bspe/index23.html ﹁心のホテル~富山全日空ホテルオープンの舞台裏~﹂] - [[BBTスペシャル]]︵[[富山テレビ放送]]・1999年9月13日放送分︶</ref>。
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しかし、1989年︵平成元年︶2月26日に富山市は公会堂の老朽化を理由にその改築に乗り出す旨を表明した<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵718頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。折から行われていた富山駅北地区の再開発事業である﹁とやま都市MIRAI計画﹂の一環として新公会堂は[[富山駅]]北に移転新築することとなり<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵721頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>、[[1992年]]︵平成4年︶10月2日にはその基本構想答申案がまとめられた<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵726頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。[[1993年]]︵平成5年︶10月28日には基本設計が決定し<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵728頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>、[[1994年]]︵平成6年︶5月20日は新公会堂たる[[富山市芸術文化ホール]]の起工式を挙行<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵732頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。[[1995年]]︵平成7年︶10月30日に愛称を﹁オーバード・ホール﹂と決定した新公会堂は、[[1996年]]︵平成8年︶6月28日に本体工事を完了し、同年9月22日に完成記念式典を挙行した<ref>富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵735、738及び739頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。これによって富山市公会堂はその役目を新公会堂に譲り、[[1997年]]︵平成9年︶3月31日に[[富山県立富山高等学校]]吹奏楽部が最後の公演を行い閉場することとなった<ref name=":3">富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵740頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市</ref>。同年4月からはその解体工事に入り<ref name=":3" />、[[1999年]]︵平成11年︶8月28日にはその跡地に富山全日空ホテル︵現 [[全日空ホテルズ|ANAクラウンプラザホテル]]富山︶が開業した<ref>[http://www.bbt.co.jp/bspe/index23.html ﹁心のホテル~富山全日空ホテルオープンの舞台裏~﹂] - [[BBTスペシャル]]︵[[富山テレビ放送]]・1999年9月13日放送分︶</ref>。
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=== 建築 === |
=== 建築 === |
2017年4月13日 (木) 08:49時点における版
富山市公会堂 | |
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情報 | |
正式名称 | 富山市公会堂 |
完成 | 1954年11月20日 |
開館 | 1954年4月17日 |
開館公演 | 富山産業大博覧会開会式 |
閉館 | 1997年3月31日 |
最終公演 | 富山高校吹奏楽部スプリングコンサート |
収容人員 | 2268[1]人 |
所在地 |
〒930-0084 富山県富山市大手町2番3号 |
位置 | 北緯36度41分29.756秒 東経137度12分43.243秒 / 北緯36.69159889度 東経137.21201194度座標: 北緯36度41分29.756秒 東経137度12分43.243秒 / 北緯36.69159889度 東経137.21201194度 |
アクセス | 富山地方鉄道富山市内軌道線国際会議場前停留場 |
概要
沿革
富山市においては富山大空襲による戦災以来、多人数を収容し得る公会堂がなく、大規模な会合や行事を開催できなかったので、富山産業大博覧会を機として富山市長富川保太郎はその建設を市議会に諮り、1953年︵昭和28年︶6月11日よりその建設に着手した[2]。基本設計は審査の結果、松田平田設計事務所のものが採用され、鉄道工業株式会社がその建設を担当した[2]。1954年︵昭和29年︶3月末に鉄筋4階建ての外装は完成したが[3]、工事未了のまま1954年︵昭和29年︶4月11日には当公会堂において富山産業大博覧会の開会式を挙行[4]。また同年4月17日には富山市公会堂の開場式を催行し、こけら落しの記念講演として宮中雅楽を演奏した[5]。富山産業大博覧会終了後も内装及び外装の工事を進め、同年11月20日に富山市役所庁舎と共に竣工し、盛大な祝賀会を挙行した[6]。 富山市公会堂は鉄筋コンクリート造の4階建て︵一部5階有り︶で敷地面積は1125坪、総工費は2億6千4百万円であった[3]。ブロックスタイルに垂直ルーバを施しガラスを多用した当時最新の建築は、全国有数の公会堂として日比谷公会堂や大阪市中央公会堂と並び称せられ、内部には回り舞台やオーケストラボックス、音響板等の設備を有していた[4][7]。1956年︵昭和31年︶6月11日には工費7百万円を以てシネマ・スコープ映写機が完成し、映画の上映も行えるようになった[4]。また開館から1960年︵昭和35年︶3月までは3階に富山県信用保証協会の事務所がテナントとして入居し[8]、1987年︵昭和62年︶10月から1989年︵平成元年︶10月までは富山市立富山外国語専門学校が別館を校舎として利用していた[9]。 しかし、1989年︵平成元年︶2月26日に富山市は公会堂の老朽化を理由にその改築に乗り出す旨を表明した[10]。折から行われていた富山駅北地区の再開発事業である﹁とやま都市MIRAI計画﹂の一環として新公会堂は富山駅北に移転新築することとなり[11]、1992年︵平成4年︶10月2日にはその基本構想答申案がまとめられた[12]。1993年︵平成5年︶10月28日には基本設計が決定し[13]、1994年︵平成6年︶5月20日は新公会堂たる富山市芸術文化ホールの起工式を挙行[14]。1995年︵平成7年︶10月30日に愛称を﹁オーバード・ホール﹂と決定した新公会堂は、1996年︵平成8年︶6月28日に本体工事を完了し、同年9月22日に完成記念式典を挙行した[15]。これによって富山市公会堂はその役目を新公会堂に譲り、1997年︵平成9年︶3月31日に富山県立富山高等学校吹奏楽部が最後の公演を行い閉場することとなった[16]。同年4月からはその解体工事に入り[16]、1999年︵平成11年︶8月28日にはその跡地に富山全日空ホテル︵現 ANAクラウンプラザホテル富山︶が開業した[17]。建築
富山市公会堂竣工当時の建築概要は次の通りであった[18][19]。耐震対策として35糎コンクリートパイルを用い、防火対策としては防火シャッターや消火栓30個を完備し、夏季及び冬期に用いる空調も備えられていた[18][19]。- 敷地面積 - 1125坪
- 建築面積
- 地階 - 133.689坪
- 1階 - 848.334坪
- 2階 - 511.987坪
- 3階 - 295.025坪
- 4階 - 204.229坪
- 5階 - 149.029坪
- 屋階 - 17.962坪
- 構造
- 公会堂部 - 鉄筋コンクリート造4階建て
- 集会部 - 鉄筋コンクリート造5階建て
-
建設工事中の富山市公会堂
-
富山市公会堂内部
公演を行った主な実演家
●坂本九︵1962年︵昭和37年︶9月9日︶[20] ●ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団︵1973年︵昭和48年︶3月24日︶[21] ●アレクサンドロフ・アンサンブル︵1976年︵昭和51年︶5月9日︶[22] ●サザンオールスターズ︵1982年︵昭和57年︶12月1日︶[23] ●南佳孝︵1985年︵昭和60年︶3月31日︶[24] ●小泉今日子︵1985年︵昭和60年︶4月4日︶[24] ●THE ALFEE︵1985年︵昭和60年︶10月9日︶[25] ●とんねるず︵1988年︵昭和63年︶6月29日、1989年︵平成元年︶6月19日、1990年︵平成2年︶8月23日︶[26] ●PERSONZ︵1991年︵平成3年︶4月2日、1992年︵平成4年︶4月28日︶[27] ●スピッツ︵1996年︵平成8年︶1月30日︶[28] ●シャ乱Q︵1996年︵平成8年︶3月6日︶[29]公演を行った主な劇団
●劇団民藝﹃泰山木の木の下で﹄︵1964年︵昭和39年︶4月22日︶[30] ●モーリス・ベジャール・バレエ団︵1988年︵昭和63年︶11月7日、1994年︵平成6年︶5月18日︶[31][32]出典
(一)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 第三巻﹄︵585頁︶、1960年︵昭和35年︶4月、富山市史編纂委員会 (二)^ ab富山産業大博覧会誌編纂委員会編、﹃富山産業大博覧会誌﹄︵257頁︶、1957年︵昭和32年︶11月、富山市役所 (三)^ ab富山産業大博覧会誌編纂委員会編、﹃富山産業大博覧会誌﹄︵258頁︶、1957年︵昭和32年︶11月、富山市役所 (四)^ abc博物館だより第3号 - 1997年︵平成9年︶5月8日、富山市郷土博物館 (五)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 第三巻﹄︵527頁︶、1960年︵昭和35年︶4月、富山市史編纂委員会 (六)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 第三巻﹄︵583頁︶、1960年︵昭和35年︶4月、富山市史編纂委員会 (七)^ 富山産業大博覧会誌編纂委員会編、﹃富山産業大博覧会誌﹄︵259頁︶、1957年︵昭和32年︶11月、富山市役所 (八)^ “沿革”. 富山県信用保証協会. 2014年2月23日閲覧。 (九)^ 富山市立富山外国語専門学校のあゆみ - 富山市立富山外国語専門学校 (十)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵718頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (11)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵721頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (12)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵726頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (13)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵728頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (14)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵732頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (15)^ 富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵735、738及び739頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (16)^ ab富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 編年史︿上巻﹀﹄︵740頁︶、2015年︵平成27年︶3月、富山市 (17)^ ﹁心のホテル~富山全日空ホテルオープンの舞台裏~﹂ - BBTスペシャル︵富山テレビ放送・1999年9月13日放送分︶ (18)^ ab富山産業大博覧会誌編纂委員会編、﹃富山産業大博覧会誌﹄︵258及び259頁︶、1957年︵昭和32年︶11月、富山市役所 (19)^ ab富山市史編纂委員会編、﹃富山市史 第三巻﹄︵585及び586頁︶、1960年︵昭和35年︶4月、富山市史編纂委員会 (20)^ “LIVE 1958-1964”. 坂本九 Official Website. 2014年2月23日閲覧。 (21)^ ﹁ワレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がオーパードホールへやってくる!﹂︵PDF︶﹃シアター情報誌mitemite﹄第1号、富山市芸術文化ホール、2004年7月、4頁、2014年9月21日閲覧。 (22)^ “1976年アレクサンドロフ・アンサンブル来日公演”. キャッチネットワーク. 2014年9月21日閲覧。 (23)^ “青年サザンのふらちな社会学︵ツアー THE NUDE MAN︶”. LIVE DATA. sas-fan.net. 2014年2月23日閲覧。 (24)^ ab“会社概要”. 富山エフエム放送. 2014年2月23日閲覧。 (25)^ THE ALFEE. “1985 AFFECTION︿Autumn Tour﹀”. LIVE/EVENT. PROJECTⅢ. 2014年9月21日閲覧。 (26)^ “とんねるずディスコグラフィー”. TN Lounge. 2014年2月23日閲覧。 (27)^ PERSONZ. “PERSONZ DEPARTMENT STORE”. ZOE CORPORATION. 2014年2月23日閲覧。 (28)^ Spitz. “SPITZ JAMBOREE TOUR “TONGARI '95-'96””. LIVE DATA. Grasshopper. 2014年2月23日閲覧。 (29)^ シャ乱Q. “LIVE HISTORY”. アップフロントグループ. 2014年2月23日閲覧。 (30)^ “泰山木の木の下で”. 1960 - 1963年上演作品. 劇団民藝. 2014年9月21日閲覧。 (31)^ “モーリス・ベジャール・バレエ団1988年日本公演”. バレエ情報総合データベース. 昭和音楽大学. 2014年9月21日閲覧。 (32)^ “モーリス・ベジャール・バレエ団1994年日本公演”. バレエ情報総合データベース. 昭和音楽大学. 2014年9月21日閲覧。外部リンク
●富山産業大博覧会 - 富山市公会堂開館当時の映像