富山県庁舎
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県庁舎本館
現在の県庁舎本館は、神通川改修によって出来た廃川地に、建設前に都道府県主導の事業としては初めて土地区画整理事業を行ない[1]、国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、1935年8月に完成した[2]もので、第二次世界大戦の富山大空襲で、富山電気ビルデイング、NHK富山放送局、旧富山大和などと共に焼け残った数少ない建築物である。
建物は延べ13490平方m、鉄筋コンクリート4階建てで、中央に車寄せがあり、左右対称のデザインの外観は1階が花崗岩、2階以上がクリーム色のタイルを使用、また建設当時の内装が知事室や特別室に残る、富山県の昭和初期を代表する豪壮な近代建築で、竣工から80周年を迎えるにあたり、2015年3月13日には文化審議会が、文部科学省大臣に国登録有形文化財の答申をし、近く告示される予定である[3]。また庁舎本館屋上の一部、東南側の約200平方mを緑化し県民に一般開放する予定で、ここには1958年に富山国体が行われた際、昭和天皇が県庁屋上で詠まれた歌の歌碑を制作し設置するほか、ベンチも設置して県民の憩いの場所として提供する。また庁舎内の一部約100平方mを、庁舎の歴史や概要を紹介する資料展示室として開放する[4][5]。
- ^ 『とやま土木物語』 - 富山新聞社
- ^ 国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦が監修し、設計は増田八郎。3年後に建てられた和歌山県庁舎のデザインは富山県庁に似ていることが知られている。和歌山は別の設計者だが、明治以来の全国の公共建築物は大熊博士ら中央のエリート官僚たちの指導で造られてきたので似ていて不思議はないとされる。
- ^ 「県庁本館国文化財に 審議会答申 竣工80周年の節目」北日本新聞 2015年3月14日35面
- ^ 「県庁舎屋上憩いの場に 昭和天皇の歌碑設置 緑化してベンチも」北日本新聞 2015年2月19日2面
- ^ 「県庁本館国文化財に 審議会答申 竣工80周年の節目」北日本新聞 2015年3月14日35面