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== 人物 == |
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2013年1月25日 (金) 08:30時点における版
小川 一成 おがわ いっせい | |
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生年月日 | 1947年9月20日(76歳) |
出生地 |
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出身校 | 明治大学公共政策大学院 卒業 |
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在任期間 | 2007年(平成19年)12月19日 - 2008年(平成20年)10月7日 |
小川 一成︵おがわ いっせい、1947年9月20日 - ︶は、日本の政治家。
元茨城県議会議員︵4期︶第101代茨城県議会副議長を歴任した。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cf/Ogawaissei_M%C3%B6nch.JPG/200px-Ogawaissei_M%C3%B6nch.JPG)
1996年 メンヒ登頂成功
大学在学中に、1年間かけて欧州、アフリカ、中近東などを巡り世界50カ国以上を旅した経験を持つ。
1995年8月に中央アジア・キルギス共和国で開催された﹁第1回 国際騎馬マラソン﹂に参加し60kmのコースを4時間20分で完走した。
1996年にはヨーロッパ3大北壁のひとつであるアイガーの脇にそびえる標高4099mのメンヒに登頂成功するなど、冒険家の一面も持つ。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%B9_%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B.jpg/200px-%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%B9_%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B.jpg)
船内で講師をする小川議員
2004年︵平成16年︶、11月に行われた茨城県事業﹁青年の船﹂に、指導員兼講師として参加をした。
青年の船事業は、船内研修、訪問国での体験を通して、広い視野にたった地域青年リーダーの育成を目的としている。
小川議員は、船内で行われたテーマ別研修の講師として講義を行い、約450名の青年と交流を深めた。
概要
明治学院大学経済学部を卒業後、小川交通︵有︶を設立。 守谷町議会議員を2期務めた後、1994年に茨城県議会議員に初当選。 茨城県議会議員では、自民党に所属し、農林水産委員会委員長、土木委員会委員長、議会運営委員会委員長等を歴任した後、2007年に第101代茨城県議会副議長に就任。人物
エピソード
茨城県青年の船
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%B9_%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B.jpg/200px-%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%B9_%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B.jpg)
略歴
●1947年9月20日 : 茨城県守谷町︵現・守谷市︶に生まれる。 ●1963年3月 : 守谷市立守谷中学校卒業 ●1966年3月 : 茨城県立水海道第一高等学校卒業 ●1971年3月 : 明治学院大学経済学部卒業 ●1972年8月 : 小川交通︵有︶を設立 ●1986年4月 : 守谷市立高野小学校PTA会長 ●1988年2月 : 守谷町議会議員初当選 ●1989年4月 : 守谷市立愛宕中学校PTA会長 ●1990年4月 : 茨城県立水海道第一高等学校PTA会長 ●1992年2月 : 守谷町議会議員2期当選 ●1994年12月 : 茨城県議会議員初当選 ●1998年12月 : 茨城県議会議員2期当選 ●2002年12月 : 茨城県議会議員3期当選 ●2006年12月 : 茨城県議会議員4期当選 ●2007年12月 : 第101代茨城県議会副議長に就任 ●2008年10月 : 守谷市長選挙出馬のため、茨城県議会議員辞職 ●2008年11月 : 守谷市長選に落選 ●2009年9月 : 明治大学公共政策大学院入学 ●2011年9月 : 明治大学公共政策大学院卒業活動・実績
屋外広告物規制条例の制定
2004年︵平成16年︶、茨城県議会土木委員会委員長に就任。その年に、道路や街頭に貼り出された風俗店等の張り紙、立て看板などの違法広告物を取り締まる屋外広告物条例の罰則を強化する改正を行った。これは、議員提案による政策条例の制定としては茨城県政初であり、それ以降の茨城県議会議員による政策条例提案の先駆けとなった。国道294号線乙子踏切の立体化
1995年︵平成7年︶、3月の第1回定例会にて、国道294号乙子踏切の立体化について土木部長に質問した。ここは関東鉄道常総線の踏切と国道294号線が隣接しているために朝夕の渋滞が激しく、また道路照明の設備が少なく安全面で極めて不十分なため、乙子踏切の立体化を早期に実現すべき、と提言した[1]。茨城県では、渋滞解消と安全面の向上を図るため、国道、歩道、県道・市道の3層構造の交差点立体化を計画し、2004年︵平成16年︶から5か年の歳月と総工事費約50億円をかけ工事を進め、2009年︵平成21年︶2月23日に工事は完成した。南守谷地区交番の設置
1997年︵平成9年︶3月の第1回定例会にて、守谷市地域住民が安心して生活できる街づくりのためには、南守谷地区に新設交番の設置が急務である、と提言した[2]。2005年︵平成17年︶3月に南守谷駅の南西、常総ふれあい道路けやき台公園入口交差点前に、守谷市南部を管轄する南守谷交番が開所された。青年海外協力隊事業を活用した教員人材育成
1999年︵平成11年︶、2000年︵平成12年︶に、ラオスを訪問。その際に、日本から派遣された青年海外協力隊員として自分の仕事に誇りを持ち、厳しい環境のもとで現地の人々と生活を共にしている姿を見て、彼らが担う日本の将来に確かなものを感じたという[3]。こうしたことから、2000年︵平成12年︶、12月の第4回定例会にて、青年海外協力隊事業を茨城県の教員人材育成に積極的に活用すべき、と提言した。 2001年︵平成13年︶に現職教員特別派遣制度が創設され、教師の身分を保持したまま青年海外協力隊に参加可能など、現職派遣制度の導入が講じられた。2006年︵平成18年︶、6月の第2回定例会にて、茨城県教員の採用枠に国際感覚に富み人間性豊かな国際貢献活動経験者の採用を進めるべき、と提言した[4]。これらのことを受けて、茨城県では2008年︵平成20年︶の公立学校教員選考試験の中で、青年海外協力隊での活動経験者について採用試験の一部を免除することになった。守谷市板戸井 大木流作地区の酪農用地 集団移転
1998年︵平成10年︶、12月の第1回定例会にて、大木流作地区の集団移転の早期実現について土木部長に質問した。この地区は、台風時には水害にみまわれ生命の危機にさらされていた。しかし酪農を営むには比較的恵まれた環境にあり、また後継者も育っていたため、水害に強い酪農団地の形成と安全な生活基盤の確立が急務である、と提言した[5]。茨城県では、守谷市板戸井大木流作地区の集団移転を国に働きかけ、2002年︵平成14年︶7月に集団移転が実現した。茨城県立医療大学 大学院設置
1997年︵平成9年︶、3月の第1回定例会にて茨城県立医療大学 大学院設置について保健福祉部長に質問した。1995年︵平成7年︶に開学した県立医療大学を、より魅力ある大学として高度専門化した医療技術へ先導的な役割を担っていくためには、第1回目の卒業生が出る2年後を目途に大学院を設置していくことが必要である、と提言した[6]。茨城県では県立医療大学の大学院設置を検討し、2001年︵平成13年︶4月1日に大学院が開学した。全日本大学女子選抜駅伝大会の茨城県開催への実現
全日本大学女子選抜駅伝競走大会は2004年︵平成16年︶から2006年︵平成18年︶まで3大会連続して、埼玉県で開催された。 しかし第4回の開催に当たり,埼玉県警が警備上の理由で埼玉県開催を渋っているという情報を得た小川県議は2006年︵平成18年︶、6月の文教治安委員会にてこの問題を取り上げ、茨城県つくば市での開催に向けた強力な働きかけを日本学生陸上競技連合にするよう提言をした[7]。これらのことを受けて茨城県では、橋本知事はじめ関係部局が、日本学生陸上競技連合に茨城県開催を働きかけ、2007年︵平成19年︶1月8日に第4回大会が茨城県つくば市にて開催された。この大会は主催に名を連ねているテレビ東京が全国に生中継をしたので、茨城県、とりわけつくば市を全国に発信した。主な所属
脚注・出典
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 1995.03.08 : 平成7年第1回定例会(第4号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 1997.03.07 : 平成9年第1回定例会(第4号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 2000.12.07 : 平成12年第4回定例会(第3号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 2006.06.09 : 平成18年第2回定例会(第3号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 1998.03.06 : 平成10年第1回定例会(第3号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 1997.03.07 : 平成9年第1回定例会(第4号)より
- ^ 茨城県議会ホームページ議事録 2007.03.19 : 平成19年第1回定例会より
外部リンク
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