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==経歴==

==経歴==

[[徳川幕府]][[奥医師]]の家系に生まれる。[[岡櫟仙院]]は祖父。東京府立一中(現[[東京都立日比谷高等学校]])中退後、[[木村正辞]]が校長、[[落合直文]]などが教授を務めていた[[私塾]]大八洲学校に通う。ついで[[宝田通文]]に[[和歌]]と[[古典]]を、[[多田親愛]]に[[書]]を学んだ。かなりの[[箱入り娘|箱入り息子]]であったらしく、17歳のとき[[香取秀真]]に一緒に[[国学]]を勉強にしに行こうと誘われたところ、「交際するのはこれまで自宅を訪問した人だけだった。こうして自分から訪うのは初めてだ」と答えたという。また、[[津田青楓]]には「岡さんは財産を蕩尽して成った芸」と評されている<ref>[[小高賢]]編『近代短歌の鑑賞77』新書館、2002、44p。</ref>。

[[徳川幕府]][[奥医師]]の家系に生まれる。[[岡櫟仙院]]は祖父。東京府立一中(現[[東京都立日比谷高等学校]])中退後、[[木村正辞]]が校長、[[落合直文]]などが教授を務めていた[[私塾]]大八洲学校に通う。ついで宝田通文に[[和歌]]と[[古典]]を、[[多田親愛]]に[[書]]を学んだ。かなりの[[箱入り娘|箱入り息子]]であったらしく、17歳のとき[[香取秀真]]に一緒に[[国学]]を勉強にしに行こうと誘われたところ、「交際するのはこれまで自宅を訪問した人だけだった。こうして自分から訪うのは初めてだ」と答えたという。また、[[津田青楓]]には「岡さんは財産を蕩尽して成った芸」と評されている<ref>[[小高賢]]編『近代短歌の鑑賞77』新書館、2002、44p。</ref>。




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[[1945年]](昭和20年)、『アララギ』の歌友を頼って[[長野県]][[安曇野]]に疎開。戦後[[1948年]](昭和23年)[[日本芸術院]]会員となが、帰京することな死去した。


[[1945]]20[[]][[]][[1948]]23[[]]1951[[]]


== 著書 ==

== 著書 ==

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* 宿墨詠草 白玉書房 1957年

* 宿墨詠草 白玉書房 1957年

* 正岡子規 白玉書房 1963年

* 正岡子規 白玉書房 1963年

* 岡麓著作集 全7巻 白玉書房、中野久雄 1966年-1972

* 岡麓著作集 全7巻 白玉書房 1966年-1972。中野久雄筆談ほか

* 土大根 信濃歌稿 柳沢書苑 1970年

* 土大根 信濃歌稿 柳沢書苑 1970年

* 岡麓遺墨集 明治書院 1996年

* 岡麓遺墨集 明治書院 1996年


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退17[1]

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著書[編集]

  • 庭苔 古今書院 1926年(アララギ叢書)
  • 朝雲 岩波書店 1936年(アララギ叢書)
  • 小笹生 岩波書店 1937年(アララギ叢書)
  • 新選岡麓集 新潮社 1940年(新潮文庫)
  • 入信歌稿 第1編 涌井 白玉書房 1948年
  • 入信歌稿 第2編 冬空 要書房 1950年
  • 岡麓全歌集 中央公論社 1952年
  • 宿墨詠草 白玉書房 1957年
  • 正岡子規 白玉書房 1963年
  • 岡麓著作集 全7巻 白玉書房 1966年-1972年。中野久雄筆談ほか
  • 土大根 信濃歌稿 柳沢書苑 1970年
  • 岡麓遺墨集 明治書院 1996年
校注
  • 入木道三部集 附・本朝能書伝(校注)岩波文庫 1931年

脚注[編集]

  1. ^ 小高賢編『近代短歌の鑑賞77』新書館、2002、44p。