広瀬徳蔵
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Tokuzo_hirose.jpg/200px-Tokuzo_hirose.jpg)
広瀬 徳蔵︵ひろせ とくぞう、1878年︵明治11年︶5月19日[1] - 1933年︵昭和8年︶5月8日[2]︶は、日本の衆議院議員︵憲政会→立憲民政党︶、弁護士。
経歴
大阪市出身。広瀬種蔵の長男[3]。関西法律学校︵現在の関西大学︶出身。判検事登用試験・弁護士試験に合格し、判事に任命されたが、辞職して弁護士を開業した。その後、大阪市会議員、大阪府会議員・議長を歴任した。 1924年︵大正13年︶、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。一方で、宝塚尼崎電気鉄道株式会社の取締役、城北土地株式会社・東神火災保険会社・大阪土地建物株式会社・境川運河株式会社の監査役を務めた。関西大学講師[3]。脚注
参考文献
- 『衆議院要覧(乙)昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。
- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。