北田豊三郎
北田 豊三郎︵きただ とよさぶろう、嘉永5年6月20日︵1852年8月5日︶[1] - 大正14年︵1925年︶1月25日[1]︶は、堺市長、衆議院議員。
経歴[編集]
和泉国堺出身。1874年︵明治7年︶より、副戸長、学区取締、学区取締幹事、戸長、和泉郡・大鳥郡書記を歴任した[2]。1881年︵明治14年︶、大阪府会議員に当選し、1891年︵明治24年︶には副議長、1892年︵明治25年︶には議長に就任した。また1889年︵明治22年︶には堺市会議員に当選し、議長に選出されている。 1893年︵明治26年︶、堺市長に就任。学校建設、商品陳列所・米穀取引所設立に尽力した[1]。1898年︵明治31年︶の第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。同年の第6回衆議院議員総選挙でも再選された。その後も堺市農会長などの公職を務め、1915年︵大正4年︶には5回目の大阪府会議員当選と3回目の議長就任を果たした。1917年︵大正6年︶、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した[1]。 実業方面では、堺米穀取引所理事長、堺電灯株式会社取締役社長、高野鉄道会社専務取締役などを務めた[3]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 『衆議院要覧下巻 大正七年十二月』衆議院事務局、1918年。
- 故北田豊三郎位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)