松井良夫
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松井 良夫 まつい よしお | |
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生年月日 | 1937年1月27日(87歳) |
出生地 |
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出身校 | 関西大学第2部(夜間学部)法学部 |
前職 | 地方公務員(八尾市職員) |
所属政党 | 自由民主党 |
親族 | 長男・松井一郎 |
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在任期間 | 1996年5月 - 1997年5月 |
選挙区 | 八尾市選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1979年 - 2003年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1971年 - 1979年 |
松井 良夫︵まつい よしお、1937年1月27日[1] - ︶は、日本の政治家。大阪府議会議員︵6期︶、大阪府議会議長︵第92代[2]︶。
長男は、大阪市長︵民選第21代︶で日本維新の会代表の松井一郎[3]。
略歴[編集]
関西大学文学部[4] を経て、1965年︵昭和40年︶に関大の第2部︵夜間学部︶法学部政治学科を卒業[5]。 八尾市役所に入り市職員[4] を経て、1971年︵昭和46年︶4月25日の第7回統一地方選挙に無所属で立候補。南本町を拠点に選挙運動を展開し、34歳で八尾市議会議員︵定数36︶に4位︵得票数3,214︶で初当選した[6][7]。 続く1975年︵昭和50年︶4月27日の第8回統一地方選挙では、23位で再選した︵得票数2,751[8][9]︶。 1979年︵昭和54年︶4月25日の第9回統一地方選挙では、大阪府議会議員︵八尾市選挙区︶に鞍替えし自由民主党公認で初当選した[10]。 1996年︵平成8年︶5月、大阪府議会議長︵第92代︶に就任した[11]。 2007年、旭日中綬章[5]。議員の資産公開で上位の常連[編集]
松井は高所得の議員として有名で、府議の最後の年2002年︵平成14年︶についての資産公開の場合、3位の3,250万円。府議の平均所得[12] の2倍という高額[13] だった[14]。人物[編集]
松井は笹川良一の運転手を務めていたことがある[15]。大阪市長の松井一郎、八尾市長の大松桂右[編集]
松井が1975年︵昭和50年︶市議に再選した際、同じ38歳で初当選したのが八尾木を拠点とする大松銑太郎︵山本銑太郎︶。大松の息子が2019年︵平成31年︶4月に八尾市長︵第7代︶に初当選した大松桂右︵山本桂右︶。なお、大松桂右は市長選の際、松井良夫の長男松井一郎が代表を務める大阪維新の会から公認され戦った。 その大松桂右に破れた現職市長田中誠太は大阪府議時代、松井親子と八尾市選挙区で戦っている。1999年の府議選で松井良夫と、2003年の府議選では自民党公認で初出馬の松井一郎と[16]、民主党公認として争い当選、2期を務め八尾市長に鞍替えした。脚注[編集]
(一)^ ﹃現代日本人名録98﹄第4巻472ページ
(二)^ 1997年5月30日大阪府議会平成9年5月定例会本会議
(三)^ 2003年10月14日大阪府議会平成15年9月定例会警察常任委員会で松井一郎﹁議員となる以前は、父、松井良夫の秘書として、父親の政治活動を微力ながら支えてまいりました。﹂
(四)^ ab八尾市役所関大会 松井大先輩が楽しい挨拶 地域職域で絆深め連携を | 活発な支部活動 | 校友会の活動 | 関西大学校友会 - 関西大学校友会2012年︵平成24年︶7月06日
(五)^ ab539号平成19年5月15日号 - 関西大学校友会
(六)^ 1971年(昭和46年︶5月5日﹁やお市政だより﹂第431号
(七)^ 市長選は大橋清治が5万2,761票で再選
(八)^ 1975年(昭和50年︶5月5日﹁やお市政だより﹂第528号
(九)^ 市長選は山脇悦司が5万0,826票で初当選。現職大橋清治を破った
(十)^ 1979年10月19日 大阪府議会昭和54年9月定例会本会議
(11)^ 1997年5月30日 大阪府議会平成9年5月定例会本会議
(12)^ 定数112の大阪府議会議員のうち1年間を通して議員だった108人の平均額は1,673万円
(13)^ 最高額は同じ自民党の西口勇3,250万円、同じく杉本光伸3,420万円
(14)^ 2003年7月1日朝日新聞朝刊 国会議員、トップは西川氏 首長、議員ら所得・資産公開
(15)^ 維新も統一教会とズブズブ! 松井一郎から、馬場伸幸、藤田文武、音喜多駿まで。足立康史は﹁宗教弾圧﹂と統一教会擁護 2022.07.31︵LITERA︶
(16)^ 大阪府議会議員選挙・開票速報︵八尾市︶