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弘一

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弘一
1880年10月23日—1942年10月13日

弘一

幼名 李成蹊
李息霜、李岸、李良
法名 演音
晩晴老人
法号 弘一
尊称 弘一法師
生地 清の旗 天津
没地 中華民国の旗 中華民国 福建省泉州
宗派 律宗
了悟和尚
印光大師
弟子 豊子愷
夏丏尊
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1906西

19072椿6

1908退

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1914西

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194010

1941

1942
















西


















著名な作品

送別(日本語での題は『旅愁』。)
原文 書き下し文 通釈
長亭外、古道邊、  長亭の外(はづれ)、古道の邊(あたり) 町外(はず)れの、古びた道(には)。
芳草碧連天。 芳草碧(みどり)天に連なる。 草花の緑が、地の果てまで続いている。
晩風拂柳笛聲殘、 晩風は柳を拂(はら)ひ笛聲殘(すた)りて, 夕方に吹く風がヤナギの条(えだ)を払うかのように揺らして、笛の音はだんだんと消えて行き。
夕陽山外山。  夕陽は山外の山。 夕日が奥山に(沈もうとしている)。
天之涯、地之角、  天の涯(はて)、地の角(すみ)に, 天の涯(はて)、地の果て(にて)。
知交半零落。  知交半(なか)ば零落す。 友人も、もう半ばは死んで亡くなっていよう。
一觚濁酒盡餘歡、  一觚(こ)の 濁酒餘歡を盡(つく)せど, 一杯の濁醪(どぶろく)で、最後の名残の楽しみを尽くそう。
今宵別夢寒。  今宵別夢寒からん。 今夜は、別れを告げた後の眠りなので、寒々としていよう。

 

脚注