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明治43年の大水害

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明治43年(1910年)、東京下谷区の浸水状況
明治43年(1910年)頃、東京湾から1キロメートル内陸に漂着したボート

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調[3][5]

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脚注[編集]

  1. ^ 関東大水害(明治43年)パブリネット
  2. ^ 『日録20世紀 1910』講談社、1998年
  3. ^ a b それまで負担を強いられていた上郷側の主張が、例規慣習にもとづく現状維持の復旧であるのに対し、強化復旧を主張する下郷の住民が県庁に殺到、警官隊の制止を押し切り中条堤増築の示威運動を行うなど大騒動が生じた。…『川の百科事典』 丸善出版、2009年、483頁
  4. ^ ただし、江戸川では流頭に設けられた棒出しが有効に機能していたため破堤はなかった。…『首都圏の水があぶない』 岩波書店、2007年、8頁
  5. ^ 計画上は江戸川への分流量を増加したが、実際には棒出し(後・関宿水閘門)によって流入制限したため、行き場を失った水は銚子方面へ溢れ出し、利根川下流域の水害を更に深刻化させることになった。…『首都圏の水があぶない』 岩波書店、2007年、11頁

参考文献[編集]

外部リンク[編集]