コンテンツにスキップ

「李光洙」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
存在しないカテゴリを除去
編集の要約なし
 
(10人の利用者による、間の14版が非表示)
11行目: 11行目:

| death_place =

| death_place =

| othername = 李春園

| othername = 李春園

|main_interests = [[朝鮮文学]][[東洋思想]]

|main_interests = [[朝鮮文学]]<br />[[東洋哲学|東洋思想]]

|alma_mater = [[明治学院高等学校|明治学院普通学部]][[早稲田大学]]

|alma_mater = [[明治学院高等学校|明治学院普通学部]]卒業<br/>[[早稲田大学]]中退

|workplaces = <!--研究機関-->

|workplaces = <!--研究機関-->

|degree = <!--学位-->

|degree = <!--学位-->

25行目: 25行目:

|hangeul=이광수

|hangeul=이광수

|hanja=李光洙

|hanja=李光洙

|hiragana=りこうしゅ

|hiragana=り こうしゅ

|katakana=イ・グァンス

|katakana=イ・グァンス

}}

}}

'''李 光洙'''(イ・グァンス、[[1892年]][[3月5日]] - [[1950年]][[10月25日]])は、[[朝鮮]]の[[文学者]]、[[思想家]]である。「[[朝鮮]][[近代文学]]の祖」とも言われる。[[雅号|号]]は「春園」(チュンウォン、춘원)。[[創氏改名]]時の[[日本名]]は「香山光郎」(かやまみつろう)。


''' '''[[1892]][[35]] - [[1950]][[1025]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref>{{Cite web |title=(3) ()-2,609,890 |url=http://www.seouleconews.com/news/articleView.html?idxno=9265 |website= |date=2014-07-05 |access-date=2022-08-16 |language=ko}}</ref>[[|]][[]][[]]( 


== 経歴 ==

== 経歴 ==

[[平安北道]][[定州市 (平安北道)|義州府定州郡]]出身。10歳の時に両親を[[コレラ]]で亡くす。[[1905年]]に[[一進会]]の留学生に選抜され、[[日本]]の[[大成高等学校 (東京都)|大成尋常中学校]]を経て、[[明治学院高等学校|明治学院普通学部]]在学中に[[小説]]の執筆活動を始める。帰国後、[[五山高等学校|五山学校]]に赴任。一時[[シベリア]]を放浪するが、[[ロシア帝国]]の[[第一次世界大戦]]を受け帰国。日本に再留学し、[[早稲田大学]]に入学。在学中に『無情』を発表。[[1919年]]、[[三・一運動]]に先立って、ほかの朝鮮人留学生とともに「[[二・八独立宣言]]」の起草に加わった後、[[上海市|上海]]に亡命、[[大韓民国臨時政府]]樹立に加わり独立新聞の編集長に就任する。[[1921年]]に朝鮮に帰国にした後、[[朝鮮総督府]]に逮捕されるが不起訴のまま釈放される。その後[[東亜日報]]に就職。後に編集長に就任する。後に[[朝鮮日報]]に移籍し、同社副社長となる。

[[平安北道]][[定州市 (平安北道)|義州府定州郡]]出身。10歳の時に両親を[[コレラ]]で亡くす。[[1905年]]に[[一進会]]の留学生に選抜され、[[日本]]の[[大成高等学校 (東京都)|大成尋常中学校]]を経て、[[明治学院高等学校|明治学院普通学部]]在学中に[[小説]]の執筆活動を始める。帰国後、[[五山高等学校|五山学校]]に赴任。一時[[シベリア]]を放浪するが、[[ロシア帝国]]の[[第一次世界大戦]]を受け帰国。日本に再留学し、[[早稲田大学]]に入学。在学中に『無情』を発表。[[1919年]]、[[三・一運動]]に先立って、ほかの朝鮮人留学生とともに「[[二・八独立宣言]]」の起草に加わった後、[[上海市|上海]]に亡命、[[大韓民国臨時政府]]樹立に加わり独立新聞の編集長に就任する。[[1921年]]に朝鮮に帰国にした後、[[朝鮮総督府]]に逮捕されるが不起訴のまま釈放される。その後[[東亜日報]]に就職。後に編集長に就任する。後に[[朝鮮日報]]に移籍し、同社副社長となる。




[[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[1922]][[]][[1937]]{{||ko|_}}2[[1941]]2[[]]''''''[[]][[1940]]3[[]][[]]<ref name="joinscom20090821">[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119509&servcode=A00&sectcode=A10 ] [[]] [[2009]][[821]]</ref>[[1945]]20[[624]][[]][[]][[]]

[[民族主義]]的な立場から[[儒教]]思想と因習を批判する[[啓蒙主義]]的な小説の執筆活動をおこなう。小説に留まらず東亜日報に「民族的経綸」などの[[論説]]を掲載し、[[韓国併合|朝鮮の亡国]]の原因は[[朝鮮民族]]自身の劣位性にあるとし、[[1922年]]発表の『民族改良論』では[[民族改良主義]]と呼ばれる民族の実力養成を説いた。[[1937年]]に{{仮リンク|修養同友会事件|ko|수양동우회_사건}}で2度目の逮捕、収監(半年後釈放、[[1941年]]無罪確定)された後は植民地当局の圧力に屈服し2度目の転向を行い対日協力路線に転ずる。[[創氏改名]]の推奨に尽力し、自らも'''香山光郎'''と名乗った。また、[[日本語]]による創作も行い[[1940年]]3月には『無明』で[[朝鮮藝術賞]]を受賞している。[[第二次世界大戦]]中は朝鮮人が戦争へ積極的に参加するよう呼びかけた<ref name="joinscom20090821">[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119509&servcode=A00&sectcode=A10 【その時の今日】侵略戦争参加督励した李光洙「民族のため親日」弁解] [[中央日報]] 2009年8月21日</ref>。[[1945年]](昭和20年)[[6月24日]]、朝鮮人唯一の[[衆議院議員]]だった[[朴春琴]]は[[京城府民館]]において

「大義党」を結成したが、李光洙もこれに加わっている。

「大義党」を結成したが、李光洙もこれに加わっている。



朝鮮解放後に収監され釈放後も[[親日派]]の烙印が押され、「'''李狂洙'''<ref>[[朝鮮語|韓国語]]では“光”と“狂”は共に“{{Lang|ko|광}}”と書く。</ref>」などという[[蔑称]]まで付けられ作品の評価をうけることは少なかった。[[李承晩]]政権下では反民族行為処罰法により検挙・投獄されるが、法廷で彼は泰然自若とした態度で「私の親日は祖国の為のものだ!」と叫んだと伝えられている。また、「たとえ本道ではなく邪道だったとしても、私のとった道は祖国と民族の為の物であり、其のことも理解してもらいたい」と訴えたとも言われる<ref name="joinscom20090821"/>。

朝鮮解放後に収監され釈放後も[[親日派]]の烙印が押され、「'''李狂洙'''<ref>[[朝鮮語|韓国語]]では“光”と“狂”は共に“{{Lang|ko|광}}”と書く。</ref>」などという[[蔑称]]まで付けられ作品の評価をうけることは少なかった。[[李承晩]]政権下では反民族行為処罰法により検挙・投獄されるが、法廷で彼は泰然自若とした態度で'''「私の親日は祖国の為のものだ!」'''と叫んだと伝えられている。また、「たとえ本道ではなく邪道だったとしても、私のとった道は祖国と民族の為の物であり、其のことも理解してもらいたい」と訴えたとも言われる<ref name="joinscom20090821"/>。



[[朝鮮戦争]]中、[[朝鮮人民軍]]が[[ソウル特別市|ソウル]]を占拠した際に[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に[[拉致]]され、その後、重度の[[凍傷]]に罹って[[1950年]][[10月25日]]、人民軍病院で[[結核]]の悪化のため死去した([[平壌]]近郊に建てられた墓には、その日に亡くなったと記されているが異説も存在する)。

[[朝鮮戦争]]中、[[朝鮮人民軍]]が[[ソウル特別市|ソウル]]を占拠した際に[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に[[拉致]]され、その後、重度の[[凍傷]]に罹って[[1950年]][[10月25日]]、人民軍病院で[[結核]]の悪化のため死去した([[平壌]]近郊に建てられた墓には、その日に亡くなったと記されているが異説も存在する)。


死去から20年後の1970年に[[ノーベル文学賞]]候補となっていたことが、ノーベル賞委員会の公表した候補者リストにより確認されている<ref>[https://www.nobelprize.org/nomination/archive/show_people.php?id=15250 Kwang-Soo Lee] - Nomination archive(ノーベル賞委員会、英語)2022年9月20日閲覧。</ref>(通常、物故者は受賞対象とならない)。



== 評価 ==

== 評価 ==


西[[]]西<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000373.pdf --]  403[[2000]]p.14-15</ref>

*西[[]][[]]西<ref>{{Cite journal||author=Kimura, Kan |year=2000 |month=10 |url=https://hdl.handle.net/20.500.14094/90000373 |title= :  |journal= |ISSN=0286-4266 |publisher= |volume=403 |pages=14-15 |id={{CRID|1050575520348552576}} |hdl=20.500.14094/90000373 |naid=120000941926}}</ref>

*一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、1992年。</ref>。


*[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]([[ソウル大学校|ソウル大学]])は「[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]」と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、「李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた」と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。

一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、[[1992年]]。</ref>。


[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]([[ソウル大学校|ソウル大学]])は「[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]」と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、「李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた」と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。



== 経歴年表 ==

== 経歴年表 ==

89行目: 89行目:


== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

* 李光洙韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』(波田野節子著、[[中公新書]]

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙 : 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 |publisher=[[中央公論新社]] |year=2015 |series=[[中公新書]] |ISBN=9784121023247 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 |ref=harv}}

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙・『無情』の研究 : 韓国啓蒙文学の光と影 |publisher=[[白帝社]] |year=2008 |ISBN=9784891748982 |id={{全国書誌番号|21496383}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 |ref=harv}}

* 『李光洙・「無情」の研究』(同、[[白帝社]])



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

{{Commonscat|Yi Kwang-su}}

{{Commonscat|Yi Kwang-su}}

* [http://www.han-lab.gr.jp/~cham/ajiwau/chap4/chap4.html 三枝寿勝の 「韓国文学を味わう」 第 IV 章]

* [http://www.han-lab.gr.jp/~cham/ajiwau/chap4/chap4.html 三枝寿勝の 「韓国文学を味わう」 第 IV 章]

* [http://www.nicol.ac.jp/~hatano/bunngaku/igwangsu/igwangsu.htm 李光洙の部屋](新潟県立短期大学

* [http://hatano.world.coocan.jp/bunngaku/igwangsu/igwangsu.htm 李光洙の部屋](波田野節子

* [http://www.ne.jp/asahi/kami/asi-pon/syuronall.html 「皇国臣民」の人間像-李光洙の「親日」活動と今日の「在日」コリアン-]

* [https://web.archive.org/web/20160520075937/http://www.ne.jp:80/asahi/kami/asi-pon/syuronall.html 「皇国臣民」の人間像-李光洙の「親日」活動と今日の「在日」コリアン-](アーカイブ)

{{Normdaten}}

{{Normdaten}}



102行目: 102行目:

[[Category:19世紀朝鮮の小説家]]

[[Category:19世紀朝鮮の小説家]]

[[Category:20世紀朝鮮の小説家]]

[[Category:20世紀朝鮮の小説家]]

[[Category:20世紀に結核で死亡した人物]]

[[Category:日本統治時代の朝鮮の小説家]]

[[Category:日本統治時代の朝鮮の小説家]]

[[Category:新聞編集者]]

[[Category:親日反民族行為認定者]]

[[Category:親日反民族行為認定者]]

[[Category:性に肯定的なフェミニスト]]

[[Category:性に肯定的なフェミニスト]]

109行目: 109行目:

[[Category:フェミニスト・ライター]]

[[Category:フェミニスト・ライター]]

[[Category:朝鮮戦争の人物]]

[[Category:朝鮮戦争の人物]]

[[Category:明治学院高等学校出身の人物]]

[[Category:朝鮮の学生運動]]

[[Category:朝鮮の学生運動]]

[[Category:朝鮮の反共主義者]]

[[Category:朝鮮の反共主義者]]

114行目: 115行目:

[[Category:フリーセックス活動家<!--en: free sex activists-->]]

[[Category:フリーセックス活動家<!--en: free sex activists-->]]

[[Category:平安北道出身の人物]]

[[Category:平安北道出身の人物]]

[[Category:全州李氏]]

[[Category:拉北者]]

[[Category:拉北者]]

[[Category:20世紀に結核で死亡した人物]]

[[Category:1892年生]]

[[Category:1892年生]]

[[Category:1950年没]]

[[Category:1950年没]]


2024年5月4日 (土) 11:04時点における最新版

李光洙
人物情報
別名 李春園
生誕 (1892-03-05) 1892年3月5日
平安北道義州府定州郡
死没 1950年10月25日(1950-10-25)(58歳没)
出身校 明治学院普通学部卒業
早稲田大学中退
学問
研究分野 朝鮮文学
東洋思想
テンプレートを表示
李光洙
各種表記
ハングル 이광수
漢字 李光洙
発音: イ・グァンス
日本語読み: り こうしゅ
ローマ字 Lee Kwang-su
テンプレートを表示

 189235 - 19501025[1]( 

[]


10190519191921

1922193721941219403[2]194520624

[3]![2]

19501025

201970[4]

[]


西西[5]

西[6]

20[7][7][7]16[7]

[]


1892 

1902 

1905 

1910 1

1915 

1917 

1919 

19212 

1922 

1923 

1924 

1926 

1928 

1931 

1932 

1933 

1934 

1937 

1939 

1940 

1941 

1942 1

1946 

1949 

1950 

1962 20

1975 

1991 19501025

2009 3011

[]


  ISBN 4582302335

 ISBN 4915865045

  ISBN 4876204918

  027  ISBN 4843303321

[]



(一)^ (3) ()-2,609,890 (). (201475). 2022816

(二)^ ab  2009821

(三)^ 

(四)^ Kwang-Soo Lee - Nomination archive2022920

(五)^ Kimura, Kan : 40320001014-15hdl:20.500.14094/90000373ISSN 0286-4266NAID 120000941926CRID 1050575520348552576 

(六)^ 1992

(七)^ abcd 2020917109ISBN 4163912592 

[]


 : ︿2015ISBN 9784121023247https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 

 : 2008ISBN 9784891748982:21496383https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 

[]