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== 評価 ==

== 評価 ==

光洙は元来、当時の西欧由来の『近代』思想に基づく実力養成論者であったが、李が親日路線に転じてまでも執筆を続けたのは朝鮮民族の力量の養成のために、一旦は朝鮮民族よりは近代化において勝っており、国力も高い[[大日本帝国]]の意を迎えるよりないと考えたからだとされる。李光洙は他の親日派のように目的のために日本を利用した人々の一人であり、その理由が「実力育成」だったとされている。つまり、列強に朝鮮王朝や当時の段階では独自の力だけで対抗するのは不可能だとして、急速な近代化の「利用できる列強」が日本だったからだとしている。[[木村幹]]は半島に残っていた勢力による行為が自立や独立の前段階の行為として朝鮮半島では実際の独立に結びつかず、外部要因によって独立がもたらされたために「西洋近代」をモデルとした朝鮮半島の近代化に日本を利用していた人々が批判されていると主張している<ref>{{Cite journal|和書|author=Kimura, Kan(木村幹) |year=2000 |month=10 |url=https://hdl.handle.net/20.500.14094/90000373 |title=朝鮮/韓国における近代と民族の相克 : 「親日派」を通して |journal=政治経済史学 |ISSN=0286-4266 |publisher=政治経済史学会 |volume=403 |pages=14-15 |id={{CRID|1050575520348552576}} |hdl=20.500.14094/90000373 |naid=120000941926}}</ref>。

*光洙は元来、当時の西欧由来の『近代』思想に基づく実力養成論者であったが、李が親日路線に転じてまでも執筆を続けたのは朝鮮民族の力量の養成のために、一旦は朝鮮民族よりは近代化において勝っており、国力も高い[[大日本帝国]]の意を迎えるよりないと考えたからだとされる。李光洙は他の親日派のように目的のために日本を利用した人々の一人であり、その理由が「実力育成」だったとされている。つまり、列強に朝鮮王朝や当時の段階では独自の力だけで対抗するのは不可能だとして、急速な近代化の「利用できる列強」が日本だったからだとしている。[[木村幹]]は半島に残っていた勢力による行為が自立や独立の前段階の行為として朝鮮半島では実際の独立に結びつかず、外部要因によって独立がもたらされたために「西洋近代」をモデルとした朝鮮半島の近代化に日本を利用していた人々が批判されていると主張している<ref>{{Cite journal|和書|author=Kimura, Kan(木村幹) |year=2000 |month=10 |url=https://hdl.handle.net/20.500.14094/90000373 |title=朝鮮/韓国における近代と民族の相克 : 「親日派」を通して |journal=政治経済史学 |ISSN=0286-4266 |publisher=政治経済史学会 |volume=403 |pages=14-15 |id={{CRID|1050575520348552576}} |hdl=20.500.14094/90000373 |naid=120000941926}}</ref>。

*一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、1992年。</ref>。


*[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]([[ソウル大学校|ソウル大学]])は「[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]」と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、「李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた」と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。

一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、1992年。</ref>。


[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]([[ソウル大学校|ソウル大学]])は「[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]」と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、「李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた」と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。



== 経歴年表 ==

== 経歴年表 ==

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙 : 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 |publisher=中央公論新社 |year=2015 |series=中公新書 |ISBN=9784121023247 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 |ref=harv}}

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙 : 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 |publisher=[[中央公論新社]] |year=2015 |series=[[中公新書]] |ISBN=9784121023247 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 |ref=harv}}

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙・『無情』の研究 : 韓国啓蒙文学の光と影 |publisher=白帝社 |year=2008 |ISBN=9784891748982 |id={{全国書誌番号|21496383}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 |ref=harv}}

* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙・『無情』の研究 : 韓国啓蒙文学の光と影 |publisher=[[白帝社]] |year=2008 |ISBN=9784891748982 |id={{全国書誌番号|21496383}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 |ref=harv}}



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

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[[Category:フェミニスト・ライター]]

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[[Category:朝鮮戦争の人物]]

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[[Category:明治学院高等学校出身の人物]]

[[Category:朝鮮の学生運動]]

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[[Category:朝鮮の反共主義者]]

[[Category:朝鮮の反共主義者]]


2024年5月4日 (土) 11:04時点における最新版

李光洙
人物情報
別名 李春園
生誕 (1892-03-05) 1892年3月5日
平安北道義州府定州郡
死没 1950年10月25日(1950-10-25)(58歳没)
出身校 明治学院普通学部卒業
早稲田大学中退
学問
研究分野 朝鮮文学
東洋思想
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李光洙
各種表記
ハングル 이광수
漢字 李光洙
発音: イ・グァンス
日本語読み: り こうしゅ
ローマ字 Lee Kwang-su
テンプレートを表示

 189235 - 19501025[1]( 

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2009 3011

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  ISBN 4582302335

 ISBN 4915865045

  ISBN 4876204918

  027  ISBN 4843303321

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(一)^ (3) ()-2,609,890 (). (201475). 2022816

(二)^ ab  2009821

(三)^ 

(四)^ Kwang-Soo Lee - Nomination archive2022920

(五)^ Kimura, Kan : 40320001014-15hdl:20.500.14094/90000373ISSN 0286-4266NAID 120000941926CRID 1050575520348552576 

(六)^ 1992

(七)^ abcd 2020917109ISBN 4163912592 

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 : ︿2015ISBN 9784121023247https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 

 : 2008ISBN 9784891748982:21496383https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 

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