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「李光洙」の版間の差分

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== 評価 ==

== 評価 ==


西[[]]西 <ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000373.pdf --]  403[[2000]]p.14-15</ref>

光洙は元来、当時の西欧由来の『近代』思想に基づく実力養成論者であったが、李が親日路線に転じてまでも執筆を続けたのは朝鮮民族の力量の養成のために、一旦は朝鮮民族よりは近代化において勝っており、国力も高い[[大日本帝国]]の意を迎えるよりないと考えたからだとされる。李光洙は他の親日派のように目的のために日本を利用した人々の一人であり、その理由が「実力育成」だったとされている。つまり、列強に朝鮮王朝や当時の段階では独自の力だけで対抗するのは不可能だとして、急速な近代化の「利用できる列強」が日本だったからだとしている。木村幹は半島に残っていた勢力による行為が自立や独立の前段階の行為として朝鮮半島では実際の独立に結びつかず、外部要因によって独立がもたらされたために「西洋近代」をモデルとした朝鮮半島の近代化に日本を利用していた人々が批判されていると主張している<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000373.pdf 木村幹、朝鮮/韓国における近代と民族の相克-「親日派」を通して-] 政治経済史学 403([[2000年]])、p.14-15</ref>。



一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、[[1992年]]。</ref>。

一方で「光洙の『近代西欧』思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない」との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所(現・[[民族問題研究所]])編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、[[1992年]]。</ref>。


2019年8月14日 (水) 15:11時点における版

李光洙
各種表記
ハングル 이광수
漢字 李光洙
発音: イ・グァンス
日本語読み: りこうしゅ
ローマ字 Lee Kwang-su
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1942 1

1946 

1949 

1950 

1962 20

1975 

1991 19501025

2009 3011


  ISBN 4582302335

 ISBN 4915865045

  ISBN 4876204918

  027  ISBN 4843303321



(一)^ ab  2009821

(二)^ 

(三)^ --  4032000p.14-15

(四)^ 1992

参考文献

  • 『李光洙ー韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』(波田野節子著、中公新書)
  • 『李光洙・「無情」の研究』(同、白帝社)

外部リンク