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棚倉城

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棚倉城
福島県
本丸(右)と水濠
本丸(右)と水濠
別名 亀ケ城
城郭構造 梯郭輪郭複合式平城
天守構造 建造されず
築城主 丹羽長重
築城年 寛永2年(1625年
主な城主 丹羽氏内藤氏阿部氏ほか
廃城年 慶応4年(1868年
遺構 土塁、堀、移築現存門
指定文化財 国の史跡
位置 北緯37度1分46.89秒 東経140度23分8.29秒 / 北緯37.0296917度 東経140.3856361度 / 37.0296917; 140.3856361
地図
棚倉城の位置(福島県内)
棚倉城

棚倉城

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棚倉城跡空撮
棚倉城跡の大ケヤキ
(福島県指定天然記念物)

21625[1][2]

歴史


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姿殿

構造

城は本丸を中心に二の丸が周りを取り囲み、さらに二の丸の北部から西部にカギ型の三の丸が配置される、輪郭・梯郭式の平城だった。二の丸の一部以外に石垣はほとんどなく、土塁と二重の堀で構成されている。

本丸は南北に長い長方形をしており、御殿が建てられ城の中心となる。本丸の南北二つの虎口は土塁ながらも二門を完備した枡形で構成されており、南虎口が大手となる。山形城本丸とよく似た構成である。天守や三重櫓(天守代用)は無いが、土塁や水掘はかなり規模が大きく、二重の隅櫓4基が上げられていた。櫓の間は多聞櫓で結ばれており、本丸を多聞櫓で囲むのは東北地方では珍しい縄張りである。

厳重な縄張りの本丸に対して二の丸から外は櫓もなく、虎口はいずれも二の門を持たない簡易な構造となっていた。三の丸は防御施設もほとんど無いことから、捨郭とみられている。二の丸から外郭は屋敷地となっており、北を除く三方は河岸段丘の崖を外郭線としていた。面積は約73,000平方メートル。

遺構等

本丸および水掘が亀ヶ城公園として整備されており、本丸の堀、土塁がきれいに残存する。二の丸の堀は埋め立てられ完全に消失しているが、二の丸西側の濠沿いの石垣が棚倉中学校グラウンド脇に現存している。

この他、移築建造物として、町内長久寺山門として用いられている南門がある。

観光

アクセス

脚注

  1. ^ 平成31年2月26日文部科学省告示第20号。
  2. ^ 史跡等の指定等について(文化庁報道発表、2018年11月16日)。

参考文献

  • 福島市の中世城館III(福島市教育委員会)
  • 『日本の名城・古城』井上宗和、角川文庫 1985年

関連項目