日本の城

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現存天守が残る姫路城世界遺産

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縄張[編集]

彦根城の縄張り(『御城内御絵図』文化11年)
江戸城の縄張り

築城に際しての基本設計を縄張(なわばり)あるいは径始・経始(けいし)といい、その中心は曲輪の配置にあった。“縄張”の語源も曲輪の配置を実地で縄を張って検証したことに由来するとされる。近世に入ると、軍学者たちにより、様々な分類・分析がなされた。縄張の基本的な形式としては、曲輪を本丸・二の丸・三の丸と同心円状に配置する「輪郭式(りんかくしき)」、山や海・川を背後に置き(後堅固)本丸がその方向に寄っている「梯郭式(ていかくしき)」、尾根上などに独立した曲輪を連ねる「連郭式(れんかくしき)」などがあるが、実際にはそれらの複合形を取ることが多い。

曲輪
堀や土塁・石垣で囲まれた区画を曲輪[20](くるわ)といい、城はこの曲輪をいくつも連ねることで成り立っていた。江戸時代には(まる)ともいわれた。防御の中心となる曲輪は本丸(=本曲輪・主郭)であり、他に二の丸・三の丸が設けられることが多かった。城によっては、櫓曲輪、水手曲輪、天守曲輪、西の丸(大名の隠居所)などが設けられることもあった。馬出(うまだし)が大規模化したものを馬出曲輪、ある城に隣接している独立性の高い曲輪は出曲輪・出郭(でぐるわ)、出丸(でまる)という。大坂の陣真田丸熊本城の西出丸といったものがある。
一般に山城では各曲輪の面積が狭く設置可能な施設は限られていたが、平城では各曲輪の面積が広く御殿など大規模な施設の設置が可能であった。
外郭
城が中世の臨時的な軍事基地から恒久的な統治拠点になると、城下町や家臣団防備の目的で従来の城の機能的構成部分(内郭)から、さらにもう一重外側に防御線が設けられることがあった。これを「外郭(がいかく)」または「外曲輪(そとくるわ)」「惣構(そうがまえ)」などという。普通、城という場合、内郭だけを指し、外郭は天然の地勢(山・河川)をも含むため、どこまでをいうのか不明瞭なものもあった。

普請[編集]

切岸・堀・土塁・石垣
篠山城の内堀、石垣
城を構成する基本的な防御施設として、初期の山城では切岸(きりぎし)が用いられたが、やがて(ほり)・土塁(どるい)が多用され、石垣(いしがき)が多くなった。堀は水堀の他、空堀、畝状竪堀などの形態があり、土塁は土居(どい)ともいい、堀を掘った土を盛って外壁とするものである。土塁の上部に柵や塀を設けることもあり、斜面には逆茂木(さかもぎ)を置いて敵の侵入を阻むなど、防備は厳重を極めた。石垣は中世においても城郭の要に一部用いられることはあったが、安土桃山時代になると、重い櫓を郭の際に建てる必要から、土塁の表面に石材を積んで強化した石垣が発達した。安土城以降は、土木技術の発達と相まって、大規模な石垣建造物が西日本に数多く建設された。
虎口
虎口(熊本城飯田丸西櫓御門枡形虎口)
城の出入口を、虎口(こぐち)という。大抵は曲げられて造られることが多く、城門や虎口の正面に(しとみ)や(かざし)と呼ばれる土塁を設けてまっすぐ進めなくすることもある。城の正面(近世城郭では通常は南)の虎口には大手門・追手門(おおてもん)、裏の虎口には搦手門(からめてもん)が構えられた。虎口は城兵の出入り口であるとともに、敵の侵入口にもなるため特に厳重に防備が固められた。虎口に塁壁で四角形の空間を形成して門を2重に構えたものを桝形虎口(ますがたこぐち)という。虎口の外側にある堀の対岸に、橋頭堡としてさらに堀で囲まれた小さな曲輪を造ることがあり、これを馬出(うまだし)といった。
敵と対面する虎口の堀には土橋や木橋が架けられた。木橋の場合は、必要に応じて城内と城外、郭内と郭外を遮断するために、木橋の板をはずすか、または破壊することができた。特殊なものとして、あらかじめ可動式にした橋があったらしい。算盤橋(そろばんばし)や車橋(くるまばし)などの郭内に引き入れる引橋があったといわれる。虎口の門柱によって橋を釣り上げる桔橋・跳橋(はねばし)もあった。

作事[編集]

姫路城の土塀と狭間
(へい)は、曲輪内を仕切るほか、防御の目的で石垣土塁の上にも築かれた。中世には竹で小舞を編んで土を塗った掘立の土塀が多く使われ、近世には礎石立てで小さな屋根をかける壁の厚さ20センチメートルほどの土壁が主流となり、版築土塀の要素を含んだ「練塀」も登場した。防火のために漆喰を塗り籠めたり江戸時代中期には土塀の外壁に瓦を貼り付けた海鼠塀が登場した。
塀や櫓には鉄砲の弾丸などを射出するための小窓が設けられ、これを狭間(さま・はざま)といった。その窓の形により丸狭間・菱形狭間・将棋駒形狭間・鎬狭間・箱狭間などと呼ばれ、塀の下の石垣の最上部に切込みを入れるように開けられた石狭間もあった。その用途によって矢狭間・鉄砲狭間・大砲狭間などと呼ばれた。
五階櫓:熊本城宇土櫓(現存)
櫓・矢倉(やぐら)は、物見台や倉庫、防衛を兼ねた建物である。櫓は通常、数字やいろは順を冠して一番櫓、二の櫓、はの櫓、ホの櫓など呼んだり、方位を冠して巽櫓(たつみやぐら)・丑寅櫓(うしとらやぐら)、東櫓、西櫓などといい、また用途などによって着見櫓・月見櫓・太鼓櫓などと呼ばれるものもあった。郭の角にある隅櫓は、近世城郭では通常二重櫓、大きな城などでは小規模な三重櫓が用いられることもあったが、中には大坂城本丸にあった三重櫓や熊本城にある五階櫓のように天守に匹敵する規模の櫓があげられていた例もある。
天守
望楼型天守:松江城(現存天守)
城郭の最終防衛拠点と位置付けられ、城の象徴でもある天守は、大型の望楼櫓が発展したともいわれる。
名称の由来は、仏教多聞天梵天帝釈天(=天主)を祀ったところから命名されたものという説、城主の館を「殿主」「殿守」といったところからきたという説などがある。しかも、天守の文献上の初見は、摂津伊丹城[21]とするものや松永久秀大和多聞山城とするもの、また、織田信長安土城の天主とするものなどの説があり、起源については未だに十分解明されていない。
多様な形式・形状の天守が築かれたが、築城のピークは関ヶ原の戦い前後で、特に西日本には姫路城天守のように高さ20メートル前後から30メートル前後のものが築かれたのも特徴である。

奄美群島・沖縄県のグスク[編集]

首里城

沖縄県奄美群島では、城(しろ)にあたるものとしてグスクが挙げられる。起源については聖域説や集落説など様々な説がある。内部には御嶽(うたき)とよばれる聖域があるものも多い。知念森城(ちねんもりぐすく)は沖縄の歌集『おもろさうし』に神が初めに現れた城として登場する。建物や遺跡の復元整備が進められている首里城跡(しゅりぐすくあと、しゅりじょうあと)は、現存する遺構では最大規模であり、中城城跡(なかぐすくじょうあと)や今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)とともに世界遺産に登録されている[22]

アイヌのチャシ[編集]

チャシの山﨑岬(山﨑山林)

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城郭にかかわる団体[編集]

脚注[編集]



(一)^ 

(二)^ abc 2020412

(三)^ .  - . goo.  NTT. 2015321

(四)^  1992ISBN 4-01-077700-1 

(五)^ abcd  31987 

(六)^ . p. 101. 2017525

(七)^ 1923-1924 

(八)^ abcd1972 

(九)^ ab  2012

(十)^ ()30201652-55ISSN 0914-3203 

(11)^ ︿2007 

(12)^ :201724-28ISBN 978-4-88325-605-1  

(13)^ 2021131

(14)^ 

(15)^ []

(16)^ abcd   2010

(17)^ ab西 1996 

(18)^ ab︿302006 

(19)^ MOOK 1  2009

(20)^ 使

(21)^ 181521

(22)^ 100 2007 

(23)^ 19601969.  . 20144142014818

(24)^ ab. nichiei.  . 20148182014818
 2014818No.197

(25)^ . . .  . 20148182014818

関連項目[編集]

外部リンク[編集]