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椎名 麟三︵しいな りんぞう、本名・大坪 昇︵おおつぼ のぼる︶、1911年︵明治44年︶10月1日 - 1973年︵昭和48年︶3月28日︶は、小説家である。
人物
兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村︵そうさむらのうちしょしゃむら︶︵現・姫路市書写東坂︵ひがしさか︶︶に出生。父は大坪熊次︵おおつぼ くまじ︶、母はみすの。長男。家庭の事情(両親ともに愛人を持ち、のちに父、母ともに自殺する︶から困窮し、14歳で家出。旧制姫路中学︵現・兵庫県立姫路西高等学校︶を中退し、果物屋、出前持ち、コック見習いなどの職を転々とした。宇治川電気︵現・山陽電鉄︶の車掌時代に日本共産党に入党。1931年︵昭和6年︶に特高に検挙されたが、獄中で読んだニーチェ﹃この人を見よ﹄をきっかけに転向し、文学を志す。戦後﹃深夜の酒宴﹄︵1947年︵昭和22年︶︶で登場。ドストエフスキーからイエス・キリストを知り、1950年︵昭和25年︶、キリスト教へ入信。日本基督教団上原教会にて赤岩栄牧師から洗礼を受ける。以後キリスト教作家として活動。1973年︵昭和48年︶3月28日に61歳で死去。
作風
作品
小説
●深夜の酒宴︵1947年︶
●重き流れのなかに︵1947年︶筑摩書房、のち新潮文庫
●永遠なる序章︵1948年︶河出書房、のち新潮文庫
●深尾正治の手記 銀座出版社 1948.1
●その日まで 筑摩書房 1949
●病院裏の人々 月曜書房 1950
●赤い孤独者︵1951年︶河出書房 のち旺文社文庫
●嫉妬 早川書房 1951
●邂逅︵1952年︶講談社 のち旺文社文庫
●愛と死の谷間 筑摩書房 1953 のち角川文庫
●自由の彼方で 大日本雄弁会講談社 1954 のち新潮文庫、講談社文芸文庫
●神の道化師 新潮社 1955 のち旺文社文庫、講談社文芸文庫
●美しい女 中央公論社 1955 のち角川文庫、新潮文庫、中公文庫
●愛の証言 光文社 1955 (カッパ・ブックス)
●母の像 河出新書 1955
●その日まで 近代生活社 1956 (近代生活新書)
●運河 新潮社 1956 のち旺文社文庫
●人生の背後に 角川小説新書 1956
●新作の証言 筑摩書房 1957
●椎名麟三作品集 全7巻 大日本雄弁会講談社 1957-58
●雨は降り続いている 東京書房 1958
●明日なき日 人文書院 1959
●断崖の上で 中央公論社 1959
●罠と毒 中央公論社 1960
●長い谷間 講談社 1961
●媒妁人 新潮社 1962
●カラチの女 講談社 1963
●懲役人の告発 新潮社︵1969年︶
●変装 新潮社 1970
●椎名麟三全集 全23巻別巻 冬樹社 1970-79
●椎名麟三初期作品集 河出書房新社 1975
脚本
●愛と死の谷間︵1954年/日活 ︶
●鶏はふたゝび鳴く︵1954年/新東宝︶
●姫山物語︵1963年、ミュージカル︶
●悪霊 ドストエフスキー︵脚色︶冬樹社 1970
●蠍を飼う女 自選戯曲集 新潮社 1971
随筆・評論
●自由を索めて エッセエ集 近代文庫社 1949
●愛と自由の肖像 社会思想研究会出版部 1956 のち現代教養文庫
●猫背の散歩 河出書房 1956
●私の聖書物語 中央公論社 1957 のち文庫
●生きる意味 社会思想研究会出版部 1959 のち現代教養文庫
●私の人生手帖 社会思想研究会出版部 1961 (現代教養文庫)
●文学入門 佐古純一郎共編 日本基督教団出版部 1963
●信仰というもの 教文館 1964 (現代キリスト教双書)
●地底での散歩 国際日本研究所 1966
●人・生活・読書 二見書房 1967
●私のドストエフスキー体験 教文館 1967
●凡愚伝 日本基督教団出版局 1967
●椎名麟三人生論集 全5巻 二見書房 1968
●椎名麟三信仰著作集 全13巻 教文館 1977-82
●愛について 1977.9 (旺文社文庫)
●椎名麟三創作ノート 全3菁柿堂 1981-82
記念碑など
山陽電気鉄道本社前に文学碑がある。彼がかつて山陽電鉄に車掌として勤めていたこと、またその経験を生かし﹁美しい女﹂を執筆したことによる。碑文には﹁考えてみれば人間の自由が僕の一生の課題であるらしい﹂と刻まれている。︵鉄道ピクトリアル1990年5月増刊号・特集 山陽電気鉄道/神戸電鉄より︶
また、書写山円教寺には、岡本太郎による文学碑がある。彼が書写山のふもと、東坂に生まれたことによる。
関連項目