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:﹁生家は[[群馬県]][[館林市|館林]]において米文の名で[[米問屋]]を営み、[[明治]]に入って[[醤油]][[醸造業]]に従事した。[[横浜市|横浜]]で外国米[[輸入]]商売をしていた[[正田作次郎]]の長男として生まれるが、翌年父が[[風邪]]をこじらせて26歳で亡くなり、[[群馬県]][[館林市|館林]]の祖父の下で育てられた。[[明治]]17年上京、20年[[高等商業学校]]︵現・[[一橋大学]]︶に入学。同級には小田柿捨次郎、長尾良吉、村瀬春雄らがいた。[[外交官]]を志望していたが、卒業直前に家業を担っていた叔父が急逝したことから本家の家業を手伝うことになった。33年館林製粉株式会社を創立、[[専務]]。40年[[日清製粉]]を合併、館林製粉の名前は地方的な名前に聞こえるからと日清製粉の名を残した。本社を東京に移して専務となり、[[大正]]13年社長、[[昭和]]11年会長、24年[[相談役]]。
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:この間4年大日本麦酒の[[植村澄三郎]]とともに発起人となり、我が国初の製パン用イースト製造会社・オリエンタル酵 |
:この間4年大日本麦酒の[[植村澄三郎]]とともに発起人となり、我が国初の製パン用イースト製造会社・オリエンタル酵母工業を発足。また、6年日本栄養食料(現[[日本農産工業]])、日清製糸(現[[アテナ製紙]])なども設立した。17年[[東武鉄道]]会長。20年5月の[[東京大空襲]]で日本農産工業社長を務めていた四男・正田順四郎を失う。21年[[貴族院議員]][[勅撰]]。」 |
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== 略年譜 == |
== 略年譜 == |
2010年10月3日 (日) 01:35時点における版
しょうだ ていいちろう 正田 貞一郎 | |
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生誕 |
1870年2月28日![]() 神奈川県横浜市 |
死没 | 1961年11月9日(91歳没) |
出身校 |
高等商業学校 (現・一橋大学) |
職業 | 実業家 |
子供 |
二男・正田建次郎(数学者) 三男・正田英三郎(実業家) |
正田 貞一郎︵しょうだ ていいちろう、明治3年︵1870年︶2月28日 - 昭和36年︵1961年︶11月9日︶は、日本の実業家。日清製粉創業者。元貴族院議員。群馬県館林市名誉市民。正五位勲三等。
美智子皇后、日清製粉グループ本社会長・正田修の祖父。
概要
﹃日本の創業者 近現代起業家人名事典﹄︵2010年、編集・発行 - 日外アソシエーツ株式会社︶302頁によると、 ﹁生家は群馬県館林において米文の名で米問屋を営み、明治に入って醤油醸造業に従事した。横浜で外国米輸入商売をしていた正田作次郎の長男として生まれるが、翌年父が風邪をこじらせて26歳で亡くなり、群馬県館林の祖父の下で育てられた。明治17年上京、20年高等商業学校︵現・一橋大学︶に入学。同級には小田柿捨次郎、長尾良吉、村瀬春雄らがいた。外交官を志望していたが、卒業直前に家業を担っていた叔父が急逝したことから本家の家業を手伝うことになった。33年館林製粉株式会社を創立、専務。40年日清製粉を合併、館林製粉の名前は地方的な名前に聞こえるからと日清製粉の名を残した。本社を東京に移して専務となり、大正13年社長、昭和11年会長、24年相談役。 この間4年大日本麦酒の植村澄三郎とともに発起人となり、我が国初の製パン用イースト製造会社・オリエンタル酵母工業を発足。また、6年日本栄養食料︵現日本農産工業︶、日清製糸︵現アテナ製紙︶なども設立した。17年東武鉄道会長。20年5月の東京大空襲で日本農産工業社長を務めていた四男・正田順四郎を失う。21年貴族院議員勅撰。﹂略年譜
●1870年︵明治3年︶ 2月28日 - 横浜に父・正田作次郎、母・幸の長男として生まれる[1]。父・作次郎は結婚後間もなく横浜へ出て外国米の輸入等の商売をしていた ●1871年︵明治4年︶ 5月22日 - 父・作次郎、風邪がもとで26歳で急逝する。母とともに郷里の群馬県館林に戻り祖父・正田文右衛門︵3代目︶の下で育つ。 ●1873年︵明治6年︶ - 正田文右衛門︵3代目︶、醤油醸造業始める。 ●1875年︵明治8年︶ 4月 - 館林西尋常小学校に入学。 ●1879年︵明治12年︶ 3月 - 館林西尋常小学校を卒業。 ●1884年︵明治17年︶ - 高等商業学校入学準備のため上京。 ●1887年︵明治20年︶ 7月 - 高等商業学校予科入学。 ●1891年︵明治24年︶ 7月 - 高等商業学校︵現・一橋大学︶本科三年を卒業、醤油醸造業に従事。 ●1897年︵明治30年︶ - 館林実業談話会を創立。 ●1900年︵明治33年︶ 10月 - 館林製粉株式会社を創立、社長は置かず、専務取締役となる。 ●1901年︵明治34年︶ 5月3日 - 試運転、創立記念日とする。 12月 - 館林製粉会社、臨時総会を開いて役員を改選し初代根津嘉一郎、浅田正文、茂木啓三郎等中央財界に名前の通った人を役員とする。取締役社長に初代根津嘉一郎が就任する。 ●1907年︵明治40年︶ - 東京市小石川区小日向台町︵現・文京区︶に居を構える。 11月 - 旧日清製粉株式会社を合併。 ●1913年︵大正2年︶ 1月28日 - 初の外遊。 ●1924年︵大正13年︶ 6月 - 日清製粉取締役社長に就任。 ●1929年︵昭和4年︶ 6月 - アメリカ、カナダの製粉業を視察 オリエンタル酵母工業株式会社を創立。 ●1931年︵昭和6年︶ 8月 - 日本栄養食料株式会社創立。 ●1936年︵昭和11年︶ 2月 - 日清製糸株式会社を創立。 8月 - 朝鮮製粉株式会社を創立。以後満州、北支に進出。 12月 - 日清製粉株式会社取締役会長に就任︵~1947年6月︶ ●1937年︵昭和12年︶ 5月 - 朝鮮、満州を視察。 ●1940年︵昭和15年︶ 4月 - 中外興業株式会社創立。 ●1941年︵昭和16年︶ 7月 - 財団法人農産化学研究会創立。 ●1942年︵昭和17年︶ 11月 - 東武鉄道株式会社取締役会長に就任。 ●1943年︵昭和18年︶ 5月 - 社団法人如水会理事長に就任。 ●1946年︵昭和21年︶ 7月 - 貴族院議員に勅撰される。 ●1948年︵昭和23年︶ 2月 - 日清製粉会社が過度経済力集中排除法に基づく対象指定を受ける。 ●1949年︵昭和24年︶ 6月 - 日清製粉相談役に就任。社が集中排除法指定対象取り消しとなる。 12月 - カトリック関口教会で洗礼を受ける。 ●1955年︵昭和30年︶ 4月 - 太平食品株式会社創立。 ●1956年︵昭和31年︶ 11月 - 藍綬褒章受章。 ●1959年︵昭和34年︶ 4月12日 - 皇太子︵明仁親王︶結婚の内宴。 ●1961年︵昭和36年︶ 11月9日 - 永眠、91歳没 葬儀は東京四谷聖イグナチオ教会で日清製粉会社社葬として執行される 正五位勲三等に叙せられ、旭日中綬章を授けられる。家族・親族
祖父・文右衛門︵3代︶︵商人︶ 父・作次郎 母・幸︵長家の長女︶ ﹃正田貞一郎小伝﹄16頁によると、﹁長家は代々代官をした格式の高い家柄であった﹂という 妻・きぬ︵群馬県、正田文右衛門︵5代︶長女︶ 長男・明一郎 長女・はる 二男・建次郎︵数学者・大阪大学長、武蔵大学長︶ 二女・勅子︵化学者・東京大学名誉教授水島三一郎夫人︶ 三男・英三郎︵実業家・日清製粉名誉会長︶ 三女・祐子︵和歌山県、実業家脇村禮次郎夫人︶ 四男・順四郎 四女・千鶴子 五男・篤五郎︵学者・東京大学教授︶ 五女・和子 孫 彬、紘、美智子皇后、修等系譜
正田家 ﹃正田貞一郎小伝﹄9-21頁によると、
﹁正田家の遠祖は新田義重の家臣生田隼人であるという。後世、世良田にいた正田家の人が館林に移って商人になった。館林における始祖は“六三郎”であり、江戸時代には代々﹁米文﹂の暖簾のもとに米問屋を家業とし、上州館林および近郊きっての富商であった。﹁米文﹂の名声は江戸だけでなく大阪方面まで聞こえていたという。
弘化の頃︵1844年 - 1847年︶には名主の職にあり、名字帯刀を許されていた。文政元年︵1818年︶7月に生まれた文右衛門︵3代目︶は正田家“中興の祖”といわれている。文右衛門は明治6年︵1873年︶米穀商を辞め醤油醸造業を始めた。﹂
六三郎…(略)…文右衛門━┳━文右衛門 ┃ ┏━明一郎 ┃ ┣━はる ┗━作次郎━━貞一郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━╋━建次郎 ┃ ┃ ┃ ┃ きぬ ┃ ┣━勅子 ┣━英三郎 ┃ ┣━━┳━巌 ┃ 冨美子 ┣━美智子 ┃ ┣━恵美子 ┣━祐子 ┗━修 ┣━順四郎 ┃ ┣━篤五郎 ┃ ┗━和子