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「水郡善之祐」の版間の差分

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===天誅組の変===

===天誅組の変===

文久3年(1863年)8月17日の[[天誅組の変]]に際しては、自らも息子の英太郎(当時13歳)とともに挙兵に参加した<ref name="水郡邸">[https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/bunkazai/2544.html 大阪府指定史跡『水郡邸』 - 富田林市役所ウェブサイト]2019年2月15日 閲覧</ref>。挙兵直前には水郡邸にて[[中山忠光]]と会見し軍議を練り、善之祐は[[小荷駄奉行]]としてヴェール銃や槍などで完全武装した70人ともに行動した<ref name="水郡邸" />。

文久3年(1863年)8月17日の[[天誅組の変]]に際しては、自らも息子の英太郎(当時13歳)とともに挙兵に参加した<ref name="水郡邸">[https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/bunkazai/2544.html 大阪府指定史跡『水郡邸』 - 富田林市役所ウェブサイト]2019年2月15日 閲覧</ref>。挙兵直前には水郡邸にて[[中山忠光]]と会見し軍議を練り、善之祐は[[小荷駄奉行]]としてヴェール銃や槍などで完全武装した70人ともに行動した<ref name="水郡邸" />。しかし、挙兵からまもなく[[八月十八日の政変]]をきっかけに天誅組が幕府から逆賊として追討される立場になると、善之祐ら河内勢は追討軍の陣屋を奇襲して物資を調達するなど善戦していたものの、次第に主将の中山らと隊の方針や軍略について対立するようになり、天誅組が[[天辻峠|天ノ辻]]へと本陣を移して以降は、二度に渡って本隊から置き去りにされるなどぞんざいな扱いを受けるなどして、とうとう天誅組に見切りをつけ、天ノ辻に敷いていた本陣を撤退するに当たり、中山や他の勤王志士達([[吉村虎太郎]]、[[那須信吾]]ら土佐勢や[[伴林光平]]率いる大和勢など)とは別方面に逃亡する形で離脱。[[高野山]]を経て紀州方面へと逃亡を図った。だが、畿内各藩の追討軍の包囲網に行く手を塞がれ、さらに追討軍に内通した地元の村人に寝込みを襲われる形で爆殺されそうになり、英太郎をはじめ同志数人が負傷するなどして、進退窮まった事を悟った善之祐達は、[[龍神村]]にある紀州藩屯所に自首した後、京都へ護送され[[六角獄]]にて処刑された<ref name="河内幻視行" />。辞世の歌は「皇國のためにぞつくすまごころは知るひとぞ知る神や知るらん」。途中で挙兵に加わった大和勢の首魁にして[[国学者]]である伴林光平は、後に善之祐の人格を「性沈黙豪胆年来慨世の志深く」と評した<ref name="河内幻視行" />。

しかし、挙兵からまもなく[[八月十八日の政変]]をきっかけに天誅組が幕府から逆賊として追討される立場になると、善之祐ら河内勢は追討軍の陣屋を奇襲して物資を調達するなど善戦していたものの、次第に主将の中山らと隊の方針や軍略について対立するようになり、天誅組が[[天辻峠|天ノ辻]]へと本陣を移して以降は、二度に渡って本隊から置き去りにされるなどぞんざいな扱いを受けるなどして、とうとう天誅組に見切りをつけ、天ノ辻に敷いていた本陣を撤退するに当たり、中山や他の勤王志士達([[吉村虎太郎]]、[[那須信吾]]ら土佐勢や[[伴林光平]]率いる大和勢など)とは別方面に逃亡する形で離脱。[[高野山]]を経て紀州方面へと逃亡を図った。だが、畿内各藩の追討軍の包囲網に行く手を塞がれ、さらに追討軍に内通した地元の村人に寝込みを襲われる形で爆殺されそうになり、英太郎をはじめ同志数人が負傷するなどして、進退窮まった事を悟った善之祐達は、[[龍神村]]にある紀州藩屯所に自首した後、京都へ護送され[[六角獄]]にて処刑された<ref name="河内幻視行" />。辞世の歌は「皇國のためにぞつくすまごころは知るひとぞ知る神や知るらん」。途中で挙兵に加わった大和勢の首魁にして[[国学者]]である伴林光平は、後に善之祐の人格を「性沈黙豪胆年来慨世の志深く」と評した<ref name="河内幻視行" />。



===死後===

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参考文献

  • 『水郡家諸記録/(附)重要文化財錦織神社』水郡庸皓
  • 『中山家の悲劇/天誅組外伝』天誅組河内勢顕彰会、1967年
  • 『天誅組河内勢の研究』水郡庸皓、1966年
  • 『維新秘話中山忠伊公/天誅組外伝』水郡庸皓、1983年
  • 『天誅組の菊の旗幟と半鐘並にさせんどうの不動尊』水郡庸皓、1987年

脚注

出典