「渡辺直己」の版間の差分
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翌年の[[1940年]](昭和15年)に『渡辺直己歌集』が刊行された。直己は戦う[[知識人]]として思想的苦悩、[[写実]]的な |
翌年の[[1940年]](昭和15年)に『渡辺直己歌集』が刊行された。直己は戦う[[知識人]]として思想的苦悩、[[写実]]的な戦場風景の短歌を詠み、[[中野重治]]に『[[斎藤茂吉]]ノオト』にて高く評価され、[[宮柊二]]『山西省』とならぶ戦争詠の白眉として後々まで広い影響を与えた<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%9B%B4%E5%B7%B1/ 渡辺直己] - [[Yahoo!百科事典]]、[[日本大百科全書]]、2012年11月17日閲覧。</ref>。しかし戦後の[[米田利昭]]の研究により、渡辺の戦争詠の中には実戦に参加する前に詠まれたものが多く、実際の戦闘経験ではなく、[[ニュース映画]]や『[[西部戦線異状なし (映画)|西部戦線異状なし]]』等の[[戦争映画]]に影響を受けた[[フィクション]]であることが判明した。また、名誉ある戦死ではなく戦地における[[事故死]]であったことを実証したのも米田だった。このことは、『アララギ』における[[リアリズム]]のあり方を問い直す問題提起となった。 |
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2020年4月23日 (木) 03:49時点における版
経歴
呉一中︵現:広島県立呉三津田高等学校︶、広島高等師範学校︵現:広島大学︶卒業。芥川龍之介に影響を受けた文学青年で、マルクス主義にも関心を持った。異父兄・高橋彰三の影響で短歌を始める。1935年︵昭和10年︶、伊藤左千夫を中心にして1908年︵明治41年︶に作られた短歌誌﹃アララギ﹄に入会し、土屋文明に師事した。しかし当初の渡辺の作品は牧歌的で、島木赤彦や文明の模倣でしかなかった[1]。 呉市立高等女学校︵現:呉三津田高等学校︶の国語教師として奉職中だった1937年︵昭和12年︶、日中戦争のため応召され、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。河北省天津市、山東省済南市、湖北省漢口︵現:武漢市︶に転戦したが、発熱のため入院し、その後は再び天津市に警備にあたった。 1939年︵昭和14年︶8月21日、中国河北省天津市にて洪水により31歳で戦死した。 翌年の1940年︵昭和15年︶に﹃渡辺直己歌集﹄が刊行された。直己は戦う知識人として思想的苦悩、写実的な戦場風景の短歌を詠み、中野重治に﹃斎藤茂吉ノオト﹄にて高く評価され、宮柊二﹃山西省﹄とならぶ戦争詠の白眉として後々まで広い影響を与えた[2]。しかし戦後の米田利昭の研究により、渡辺の戦争詠の中には実戦に参加する前に詠まれたものが多く、実際の戦闘経験ではなく、ニュース映画や﹃西部戦線異状なし﹄等の戦争映画に影響を受けたフィクションであることが判明した。また、名誉ある戦死ではなく戦地における事故死であったことを実証したのも米田だった。このことは、﹃アララギ﹄におけるリアリズムのあり方を問い直す問題提起となった。 2012年︵平成24年︶現在、広島城外に記念碑が、呉市宮原の﹁歴史の見える丘﹂に歌碑がある。脚注・参考文献
(一)^ 歌人探訪 (二)^ 渡辺直己 - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2012年11月17日閲覧。 ●杉浦明平、久保田正文、阿部正路、豊田清史、高橋寧、千田武志編﹃渡辺直己全集﹄全一巻、創樹社、1994年 ●高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編﹃万有百科大事典1文学﹄︵初版︶小学館︿日本大百科全書﹀︵原著1973-8-10︶。 ●“渡辺直己とは”. コトバンク. 2012年11月17日閲覧。 ●“渡辺直己”. Yahoo!百科事典、日本大百科全書. 2012年11月17日閲覧。関連項目
●米田利昭 - 歌人、日本文学研究者。﹃戦争と歌人 渡辺直己の生涯と芸術﹄を1968年に出版し、戦争詠の虚構性を指摘した。 ●奥村晃作 - 歌人。﹃戦争の歌 渡辺直己と宮柊二﹄にて、渡辺直己の戦争詠が虚構であったことを批判した。 ●高田三郎 - 作曲家。渡辺の短歌による﹃混声合唱のための渡辺直己短歌集﹄を作曲している。脚注
外部リンク
- 渡辺直己歌集 - ひろしま文化大百科