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源師頼

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源師頼・『前賢故実』より

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1993 ISBN 4-87088-572-7

 1984

  1. ^ 『中右記』
  2. ^ 藤原宗忠・源基綱の権中納言任官時期は嘉承元年12月27日(1107年1月29日)。2人の参議任官時期は、藤原宗忠:康和元年12月(1100年1月)、源基綱:承徳2年12月(1099年1月)。(『公卿補任』)
  3. ^ 藤原宗忠は「その後嘉承元年予ならびに基綱中納言に任ずるの後籠居」(『中右記』大治4年9月7日条)と記している。なお、藤原宗忠は、のちに師頼が中納言になったことを聞いて、彼が18、9年出仕しない間に18人が師頼を超越して中納言になったと嘲笑する記述も残している(『中右記』大治5年10月5日条)
  4. ^ 近衛天皇の母藤原得子(美福門院)の母が師頼の妹(源方子)であった縁故による任官であったとされる(『今鏡』第7 270段)
  5. ^ 『勅撰作者部類』
  6. ^ 保延3年-同4年(1137年-1138年)にかけて『漢書』を講説したという(『台記』康治2年(1143年)9月29日条)。『古今著聞集』や『今鏡』(藤波の中,飾り太刀)にも師頼から頼長への『漢書』伝授の記載がある。
  7. ^ 『台記』仁平元年2月23日条
  8. ^ 『永昌記』嘉承2年4月2日条。同様の記述は同日条の『中右記』にもある。
  9. ^ 『今鏡』村上の源氏,堀河の流れ
  10. ^ 『今鏡』村上の源氏,夢の通ひ路