狂った野獣
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狂った野獣 | |
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監督 | 中島貞夫 |
脚本 |
中島貞夫 大原清秀 関本郁夫 |
出演者 |
渡瀬恒彦 室田日出男 川谷拓三 片桐竜次 志賀勝 |
音楽 | 広瀬健次郎 |
主題歌 | 三上寛「小便だらけの湖」 |
撮影 | 塚越堅二 |
編集 | 神田忠男 |
製作会社 | 東映 |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 78分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
﹃狂った野獣﹄︵くるったやじゅう︶は、1976年5月15日に東映系で公開された日本映画。主演‥渡瀬恒彦、監督‥中島貞夫、製作‥東映。
概要
東映が同じ1976年に渡瀬恒彦主演で﹃暴走パニック 大激突﹄︵深作欣二監督︶と共に二本だけ製作した"カーアクション"をメインとした映画である[1][2][3]。本作は、'70s東映プログラムピクチャーの魅力が炸裂する"和モノB級パンク・ムービーの傑作"とも評される[4][5]。主演の渡瀬は凄まじい身体能力で過激なカーアクションを全て自ら演じた[6][7]。またこの頃、人気が急上昇していた川谷拓三らピラニア軍団も[6]、渡瀬と命懸けのノー・スタントに挑んでいる[4][8]。ストーリー
自動車テスト中の事故でテストドライバーをクビになった速水伸は、恋人・美代子と大阪の宝石店から8500万円相当の宝石類を強奪し、京都市内を走る路線バス︵日産ディーゼル4Rの京洛バス大覚寺行︶で逃走中。ところが銀行強盗に失敗した谷村と桐野がそのバスをジャックし乗客全員を人質にとる。速水のふてぶてしい強面ムードに谷村と桐野はピリピリしまくりだが、それ以上にヤバかったのが心筋梗塞の持病を隠すバスの運転手。彼は緊張状態が続くと発作が起きる危険人物だった。暴走バスは京都市内を猛スピードで疾走。危険が充満したバスを発見しようとバス会社と京都府警は厳重体制に入った[1][5][9]。スタッフ
●企画‥奈村協、上阪久和 ●脚本‥中島貞夫、大原清秀、関本郁夫 ●撮影‥塚越堅二 ●照明‥北口光三郎 ●録音‥溝口正義 ●美術‥森田和雄 ●音楽‥広瀬健次郎 ●主題歌‥﹁小便だらけの湖﹂ ●作詞、作曲、歌‥三上寛 ●編集‥神田忠男 ●助監督‥藤原敏之 ●記録‥森村幸子 ●装置‥吉岡茂一 ●装飾‥白石義明 ●美粧‥木戸川芳昭 ●結髪‥中村美千代 ●スチール‥木村武司 ●衣裳‥高安彦司 ●演技事務‥上田義一 ●擬斗‥土井淳之祐 ●進行主任‥長岡功 ●監督‥中島貞夫キャスト
●速水伸‥渡瀬恒彦 ●岩崎美代子(速水の情婦)‥星野じゅん ●谷村三郎(バスジャック犯)‥川谷拓三 ●桐野利夫(バスジャック犯)‥片桐竜次 <バスの乗客> ●半田市次郎(老人)‥野村鬼笑 ●立花かおる(女優志望者)‥橘麻紀 ●小林ハルミ(カーラー女)‥中川三穂子 ●戸田政江(ペット連れのカツラ中年女)‥荒木雅子 ●西勲(ラジオを持った作業員の男)‥松本泰郎 ●松原啓一(不倫の小学校教師)‥野口貴史 ●河原文子(その教え子の不倫母親)‥三浦徳子 ●極楽一郎(チンドン屋)‥志賀勝 ●極楽良子(一郎の妻)‥丸平峰子 ●米良達(チンドン屋)‥畑中伶一 ●加藤直樹(巨人帽の小学生)‥細井伸悟 ●田中茂男(大洋帽の小学生)‥秋山克臣 <警察> ●北村(下京署捜査主任)‥岩尾正隆 ●下坂巡査(下京署白バイ警官)‥室田日出男 ●京都府警の警部(バス会社で叱責する男)‥木谷邦臣 ●下京署巡査部長(母親に責められる警官)‥森源太郎 <バス会社> ●宮本義一(バスの運転手)‥中田慎一郎 ●小田次郎(上司)‥疋田泰盛 ●泉原(中堅上司)‥有島淳平 ●青木(叱責を受ける男)‥笹木俊志 <その他一般> ●加藤夫人(直樹の母親・パック顔)‥松井康子 ●田中夫人(茂男の母親)‥富永佳代子 ●新聞記者‥波多野博 ●新聞記者‥司裕介 ●松原の妻‥星野美恵子 ●事務係員‥前川良三 ●エンジニア‥大月正太郎 ●フォーク歌手‥三上寛 ●ラジオパーソナリティー‥笑福亭鶴瓶 <以下ノンクレジット> ●署員‥福本清三 ●刑事・駐車場の警備員‥北川俊夫、矢部義章 ●機動隊指揮官‥友金敏雄、池田謙治、小峰隆司 ●喫茶店の客・警官・白バイ警官‥白井孝史 ●銀行ガードマン‥平河正雄、峰蘭太郎 ●銀行員・警官‥藤沢徹夫 ●刑事‥大城泰 ●警官・バス会社社員・バスのエンジニア・記者‥森谷譲 ●バス会社社員・刑事‥壬生新太郎 ●警官‥小坂和之、志茂山高也、大矢敬典、奈辺悟 ●事務員・刑事‥寺内文夫 ●老婆‥岡嶋艶子 ●宝石店ガードマン‥宮城幸生 ●テストドライブのエンジニア‥藤本秀夫 ●パトカーの警官‥細川ひろし ●カメラマン‥島田秀雄製作経緯
企画
カーアクションをメインとした渡瀬主演・深作欣二監督の﹃暴走パニック 大激突﹄と﹃狂った野獣﹄は同じ着想から生まれた映画である[1][2][3]。﹃暴走パニック 大激突﹄の方は物量で押す﹃バニシングin60″﹄風に対して﹃狂った野獣﹄は、ほぼ全編がバス内という密室劇の構造を持つ"走る﹃狼たちの午後﹄"といった趣きである[2][10]。1975年夏の﹃トラック野郎﹄の大当たりで波に乗る東映は、暴走路線に弾みが付いており[11]、この1976年に﹃暴走パニック 大激突﹄﹃狂った野獣﹄﹃爆発!暴走遊戯﹄という深作欣二、中島貞夫、石井輝男という三人の鬼才による"暴走映画"の三大傑作を生んだ[11]。また東映はこの年、柳町光男監督の自主映画﹃ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR﹄を買い取って公開し大ヒットさせた[11]。"スピード"と"暴走"はこの時代のキーワードだった[11]。演出・脚本
監督の中島は初め、岡田茂東映社長から本作の併映﹁﹃ラグビー野郎﹄をやれ﹂と言われた[3][12][13]。中島はラグビーは好きで企画書を作る段階まではやったが話が噛み合わず[13]、そこから逃げて手が空いてるときに、トラブルがあって番組に穴が空きそうになり﹁渡瀬主演、予算2000万円、とにかく間に合わせればいい﹂といった条件を言われ本作の製作を承諾した[3][12][14]。﹃ラグビー野郎﹄は﹃日本の首領﹄の企画を通すため、日下部五朗プロデューサーが裏技で東映館主会のボスに岡田の説得を頼んだために、その成功と引き換えに無理やりこのボスに製作を強要された映画だった[15][16]。中島は﹁京都を舞台にしたバスジャック﹂という構想が既に持っており、その頃京都は3箇所くらい道路を作っていて、そこを使えれば撮れると踏んでいた[3]。またこの4~5年前に京都のバスの運転手が運転中に意識不明になってひっくり返った事件があり、この題材でいけるというプランがあった[13]。時間がないため大原清秀、関本郁夫に頼み脚本を手分けして書いた[13]。本作の題名は準備稿では﹃激突!バス・パニック﹄だったが、岡田社長が﹃狂った野獣﹄に変更した[3]。その由来について中島は﹁なんか知りませんわ。もう岡田さんがタイトル言った時には、何の抵抗もしなかった。言ったってダメだから﹂と話している[3]。キャスティング
後年俳優としての名声を高める渡瀬恒彦だが、当時はようやく"添え物映画"の主役を張り始めたころ[17]。本作では自ら命懸けのカースタントを演じるが、﹁他の人やらないじゃない、こんなバカなこと。まあ車が好きだったこともあるし、そういうことしか能がないからね。体張るみたいな、そういうことでしか東映の中で生きていける術がなかった﹂などと述べている[17][18]。カーマニアである渡瀬は普段から撮影所の駐車場でスピンの練習をしていて[18]、自分の車だとタイヤが擦り減るからと、川谷拓三の車を無理やり借りて練習することもあったという[9]。渡瀬は本作撮影のために大型免許を取得したが、車両部が絶対間に合わないと言っていたのに、いとも簡単に一週間で取得した[19]。バスの運転手を演じる予定で渡瀬と一緒に大型免許を取りに行った俳優の白川浩二郎は試験に落ちた。このため白川が演じる予定だったバスの運転手は俳優ではなく、東映車両部のロケバスの運転手である[20]。ピラニア軍団は前年から放送されたテレビドラマ﹃前略おふくろ様﹄に、川谷拓三と室田日出男が中島と倉本聰の関係から抜擢されて人気が出て[6][12][13]、この頃はピラニア軍団をフィーチャーした企画が通りやすかったという[21]。出演者のほとんどがピラニア軍団で重鎮俳優の出演もなく、相当な低予算で作られた[3]。準主役級で出番の多い片桐竜次は、高岩淡東映京都撮影所所長に突然呼び出されたが、﹁こんなたくさん出番のある作品は出来ませんよ﹂と最初は断ったと話している[22]。ピラニア軍団は金が無いときは、中島貞夫がいるいないに関わらず、中島の家で酒を飲んでいて、本作も中島宅で﹁こういうのあるけどやる?﹂と聞いたら﹁やるやる﹂と出演が決まった[3]。ラジオのDJ役を演じる笑福亭鶴瓶は映画初出演。当時は無名で渡瀬も鶴瓶が本作に出演していることをずっと知らなかった[17][23]。またラストで三上寛が出演し﹃小便だらけの湖﹄を唄う[3]。撮影
カーアクション映画とはいっても﹃暴走パニック 大激突﹄とは違い低予算のため、撮影用に購入した車はバス1台とパトカー8台である[19]。払い下げのバスが50万円で足回りのメンテナンスに100万円[3]。パトカーは車検切れギリギリで10万円以下[3]。俳優のギャラは100万円以上は渡瀬だけで、他の役者は極端に安かった[3]。初めて大役に抜擢された片桐竜次は本作のギャラは不明だが、通常だと日当800円だったと話している[20]。ピラニア軍団でも川谷・室田以外の役者は、まだ夕方撮影所に戻って﹃銭形平次﹄とかのテレビ時代劇の撮影に参加して﹁御用だ御用だ!﹂と言っていたという[20]。バスの転倒シーンは、当初専門のスタントマン・雨宮正信がやる予定だったが[20]、渡瀬が雨宮に﹁君、やったことあるの?﹂と聞いたら﹁ありません﹂というから渡瀬自ら買って出た[17][18]。﹁主役が怪我をしたら残りの撮影が出来ない﹂と監督と製作主任に止められたが、バスの転倒シーンが撮影の最後の方と分かり自らやることにした[17][24]。すると川谷や片桐竜次、野口貴史らも乗ると言い出し、バスの中にカメラを仕掛けることになった[18]。渡瀬とバスに同乗したのはこの3人で志賀勝は逃げたという[20]。あとは人形である[20]。松本泰郎がこのシーンとは関係のないシーンで居眠りして転倒し骨折した[3]。渡瀬が結構なスピードでバスで並走するバイクの後部座席に立ち、バスの窓から車内に入るシーンは練習なしの一発勝負[17]。バイクを運転する星野じゅんは芝居はヘタだが、運転が上手いと抜擢されたといわれるが[3]、渡瀬は星野の運転は上手くなくよく揺れたと話している[17]。本作で大抜擢されたのが片桐竜次[13][20]。片桐の見せ場である命綱なしでのヘリコプターへのぶら下がりは[5]、近所の公園の鉄棒で練習を重ねていたが、ヘリの足が凄く太くて慌てたという。リハーサルなしの一発撮りで、ヘリがどんどん上昇し、下はアスファルトで、あまりに怖くて足もかけたと話している[20]。こういうシーンには危険手当が1万円付いたので片桐は﹁5000円でやります﹂と積極的に手を挙げていたという[20]。片桐は本作を契機に若手の代表格として頭角を現し始めた[5]。 バスジャック犯の川谷と片桐がそれぞれのお国言葉、川谷が高知弁、片桐が山口弁を話す。京都の名所の類は一切出ず、京都感は全くない。興行
日本では﹃ラグビー野郎﹄︵主演‥矢吹二朗、監督‥清水彰︶と併映。 ﹃暴走パニック 大激突﹄﹃狂った野獣﹄は、共に興行は振るわず[6][25]、"東映カーアクション路線"は二本のみで、その後は続かなかった[6]。ネット配信
東映シアターオンライン︵YouTube︶‥2023年1月27日21:00︵JST︶ - 同年2月10日20:59︵JST︶脚注
(一)^ abc﹃キネマ旬報﹄1976年5月下旬号、34頁。
(二)^ abc#TSA、82-84頁、伴ジャクソン﹁70年代東映カーアクションの歩み -それは実録やくざ路線から始まった-﹂。
(三)^ abcdefghijklmno#TSA、114-119頁、﹁中島貞夫インタビュー﹂。
(四)^ ab#名作完全ガイド、172頁。
(五)^ abcd#Hotwax4、35、47頁。
(六)^ abcde#TSA、94-97頁、伴ジャクソン﹁混沌と虚無を呼ぶ東映カーアクション2部作 -﹃暴走パニック 大激突﹄﹃狂った野獣﹄解題-﹂。
(七)^ 渡瀬恒彦 狂犬NIGHTS/ラピュタ阿佐ケ谷、NTV火曜9時 The Movie 〜70年代傑作アクションTV映画の源流とその後
(八)^ 快楽亭ブラックの黒色映画図鑑﹁狂った野獣﹂
(九)^ ab#トラック浪漫、170頁、植地毅・ギンティ小林・市川力夫﹁'70s東映スピード&メカニック路線+1徹底攻略﹂。
(十)^ 樋口尚文﹃ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画﹄平凡社、2009年、143-145頁。ISBN 978-4-582-85476-3。
(11)^ abcd#名作完全ガイド、165頁。
(12)^ abc#遊撃、268-276頁。
(13)^ abcdef#秘宝20099、63-65頁﹁中島貞夫ロングインタビュー﹂。
(14)^ “﹃私と東映﹄x中島貞夫監督 ︵第5回 / 全5回︶” (2011年8月2日). 2015年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月19日閲覧。
(15)^ 高橋賢﹃東映実録やくざ映画 無法地帯﹄太田出版、2003年、242-244頁。ISBN 978-4872337549。
(16)^ 日下部五朗﹃シネマの極道 映画プロデューサー一代﹄新潮社、2012年、107-108頁。ISBN 978-4103332312。
(17)^ abcdefg#TSA、106-111頁、﹁渡瀬恒彦インタビュー﹂。
(18)^ abcd“東映マイスター > vol9マイスター対談 渡瀬恒彦と東映京都撮影所”. 2015年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月19日閲覧。
(19)^ ab#Hotwax4、58、59頁﹁中島貞夫インタビュー﹂。
(20)^ abcdefghi#TSA、120-124頁、﹁片桐竜次インタビュー﹂。
(21)^ #深作山根、337頁。
(22)^ 市川力夫・ギンティ小林﹁HihoVIPインタビュー 片桐竜次×杉作J太郎﹂﹃映画秘宝﹄、洋泉社、2016年12月、76–77頁。
(23)^ 野上龍雄﹁内なる青春の行方 -シナリオライターの孤独な作業-﹂﹃月刊シナリオ﹄、日本シナリオ作家協会、1975年9月号、130-132頁。
(24)^ “﹃私と東映﹄ x 中島貞夫&渡瀬恒彦 トークイベント︵第2回 / 全2回︶” (2011年10月25日). 2015年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月19日閲覧。
(25)^ 深作欣二・山根貞男﹃映画監督深作欣二﹄ワイズ出版、2003年、336頁。ISBN 4-89830-155-X。