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2011年2月14日 (月) 17:23時点における版
真山 青果 (まやま せいか) | |
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誕生 |
1878年9月1日![]() |
死没 | 1948年3月25日(69歳没) |
職業 | 劇作家・小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
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ジャンル | 戯曲・小説 |
代表作 |
『南小泉村』(1912年) 『平将門』(1925年) |
主な受賞歴 | 野間文芸賞(1941年) |
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真山 青果︵まやま せいか、1878年︵明治11年︶9月1日 - 1948年︵昭和23年︶3月25日︶は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山彬︵あきら︶。
宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父は伊達藩士族で教育者︵小学校長︶の真山寛。
仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の﹁南小泉村﹂︵﹃新潮﹄1912年5月︶で注目された。
佐藤紅緑、小栗風葉に師事。正宗白鳥と共に新進の自然主義作家として登場したが、極端な癇癖と原稿の二重売り事件で文壇から一時遠のく。1919年、新派の座付作家として復活。﹃元禄太平記﹄は近代歌舞伎の名作とされる。ほかに﹃平将門﹄など。
また﹃随筆滝沢馬琴﹄は、初めて馬琴の全体像を捉えた評論である。井原西鶴の研究もある。
1942年帝国芸術院会員。心臓麻痺により、疎開先の静岡県沼津市で急死。享年69。
真山の名を冠した﹁真山青果賞﹂が2001年まであった。演出家・劇作家の真山美保は長女。