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'''腐女子'''(ふじょし)とは、[[やおい]]や[[ボーイズラブ]](BL)と呼ばれる[[男性]]同士の[[恋愛]]を扱った[[小説]]や[[漫画]]などを好む[[女性]]のことである。「婦女子」(ふじょし)をもじった呼称である。以前は'''ヤオラー'''とも呼ばれていた<ref group="注">例えば[[中島梓]]の『タナトスの子供たち―過剰適応の生態学』([[筑摩書房]]、2005年、189頁。ISBN 978-4480420916。)で使われている。</ref>。 |
'''腐女子'''(ふじょし)とは、[[やおい]]や[[ボーイズラブ]](BL)と呼ばれる[[男性]]同士の[[恋愛]]を扱った[[小説]]や[[漫画]]などを好む[[女性]]のことである。「婦女子」(ふじょし)をもじった呼称である。以前は'''ヤオラー'''とも呼ばれていた<ref group="注">例えば[[中島梓]]の『タナトスの子供たち―過剰適応の生態学』([[筑摩書房]]、2005年、189頁。ISBN 978-4480420916。)で使われている。</ref>。 |
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腐女子が登場する漫画や小説もある。1997年に、児童文学作家として著名な[[荻原規子]]が少女向け異世界ファンタジー﹃[[西の善き魔女]]﹄︵[[中央公論社]]C★NOVELSファンタジア︶を刊行し、2巻﹁秘密の花園﹂で、閉ざされた女学校での女生徒たちによるやおい・BL同人誌文化とその活用の様子を描いた︵主人公の親友の王女がカリスマ覆面BL作家︶。相田美穂は、男同士の恋愛ものを愛好する女性キャラクターが登場するもっとも古い商業漫画作品は、確認できた限りでは2002年の[[中島沙帆子]]の四コマ漫画﹃[[電脳やおい少女]] 1巻﹄であると述べている。なお本作の主人公は、非オタクのイケメン大学生の彼氏持ちであり、彼氏に対して﹁カミングアウト﹂はしていない。2006年頃から、オタク男性と腐女子の彼女という関係を描く作品が現れており、2008年以降描かれる腐女子のキャラクターは多様化している<ref>相田美穂 [http://ci.nii.ac.jp/naid/120005524725 上書きされる現実 : 2002年から2011年における腐女子キャラクターの変遷を事例として] 広島国際研究 20, 105-118, 2014 広島市立大学国際学部</ref>
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腐女子が登場する漫画や小説もある。1997年に、児童文学作家として著名な[[荻原規子]]が少女向け異世界ファンタジー﹃[[西の善き魔女]]﹄︵[[中央公論社]]C★NOVELSファンタジア︶を刊行し、2巻﹁秘密の花園﹂で、閉ざされた女学校での女生徒たちによるやおい・BL同人誌文化とその活用の様子を描いた︵主人公の親友の王女がカリスマ覆面BL作家︶。相田美穂は、男同士の恋愛ものを愛好する女性キャラクターが登場するもっとも古い商業漫画作品は、確認できた限りでは2002年の[[中島沙帆子]]の四コマ漫画﹃[[電脳やおい少女]] 1巻﹄であると述べている。なお本作の主人公は、非オタクのイケメン大学生の彼氏持ちであり、彼氏に対して﹁カミングアウト﹂はしていない。2006年頃から、オタク男性と腐女子の彼女という関係を描く作品が現れており、2008年以降描かれる腐女子のキャラクターは多様化している<ref>相田美穂 [http://ci.nii.ac.jp/naid/120005524725 上書きされる現実 : 2002年から2011年における腐女子キャラクターの変遷を事例として] 広島国際研究 20, 105-118, 2014 広島市立大学国際学部</ref>
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== 特徴 == |
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一般に腐女子は自分自身がやおい趣味を持つことを仲間内以外には隠す傾向があり、公衆の面前で同人誌を広げたり自分たちの趣味について堂々と話すのははしたないことであるという規範意識を持っている場合がある<ref>[[金田淳子]]「解釈共同体のポリティクス」『文化の社会学』[[有斐閣]]、2007年、167頁・185頁。ISBN 978-4641122420。</ref>。[[漫画家]]の[[伊藤剛 (評論家)|伊藤剛]]によれば、自身が腐女子であることを隠す傾向は地方ほど高いという<ref>[[伊藤剛 (評論家)|伊藤剛]]「男性のための〈試験に出る〉やおい講座 第1回・七〇年代篇」『マンガは変わる―“マンガ語り”から“マンガ論”へ』 [[青土社]]、2007年、214頁。ISBN 978-4791763856。</ref>。[[名藤多香子]]は、腐女子の自身の趣味の隠蔽度は次の3段階に分かれているとしている<ref>[[名藤多香子]] 「「二次創作」活動とそのネットワークについて」『それぞれのファン研究―I am a fan』 [[風塵社]]、2007年、73-74頁。ISBN 978-4776300359。</ref>。 |
一般に腐女子は自分自身がやおい趣味を持つことを仲間内以外には隠す傾向があり、公衆の面前で同人誌を広げたり自分たちの趣味について堂々と話すのははしたないことであるという規範意識を持っている場合がある<ref>[[金田淳子]]「解釈共同体のポリティクス」『文化の社会学』[[有斐閣]]、2007年、167頁・185頁。ISBN 978-4641122420。</ref>。[[漫画家]]の[[伊藤剛 (評論家)|伊藤剛]]によれば、自身が腐女子であることを隠す傾向は地方ほど高いという<ref>[[伊藤剛 (評論家)|伊藤剛]]「男性のための〈試験に出る〉やおい講座 第1回・七〇年代篇」『マンガは変わる―“マンガ語り”から“マンガ論”へ』 [[青土社]]、2007年、214頁。ISBN 978-4791763856。</ref>。[[名藤多香子]]は、腐女子の自身の趣味の隠蔽度は次の3段階に分かれているとしている<ref>[[名藤多香子]] 「「二次創作」活動とそのネットワークについて」『それぞれのファン研究―I am a fan』 [[風塵社]]、2007年、73-74頁。ISBN 978-4776300359。</ref>。 |
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#腐女子仲間とだけ趣味を共有し、一般の友人には完全に趣味を隠蔽するケース |
#腐女子仲間とだけ趣味を共有し、一般の友人には完全に趣味を隠蔽するケース |
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[[松田いりあ]]は、腐女子の消費様式は[[恋愛資本主義]]的な[[ジェンダー]]の抑圧にとらわれないものであり、消費文化における「女の系譜」{{#tag:ref|[[フェミニスト]]の[[リュス・イリガライ]]は、社会には「父→息子」と「母→娘」という2つの系譜が存在し、父権性社会の抑圧により後者の「女の系譜」は忘却されてしまったと述べている<ref>[[リュス・イリガライ]]著、[[浜名優美]]訳『差異の文化のために―わたし、あなた、わたしたち』[[法政大学出版局]]、1993年、9-10頁。ISBN 978-4588021435。</ref>。|group="注"}}を書き換える存在であることが示唆されるとしている<ref>[[松田いりあ]] 「消費社会と消費文化――「女の系譜」のゆくえ」『文化の社会学―記憶・メディア・身体』 [[文理閣]]、2009年、179頁。ISBN 978-4892595868。</ref>。 |
[[松田いりあ]]は、腐女子の消費様式は[[恋愛資本主義]]的な[[ジェンダー]]の抑圧にとらわれないものであり、消費文化における「女の系譜」{{#tag:ref|[[フェミニスト]]の[[リュス・イリガライ]]は、社会には「父→息子」と「母→娘」という2つの系譜が存在し、父権性社会の抑圧により後者の「女の系譜」は忘却されてしまったと述べている<ref>[[リュス・イリガライ]]著、[[浜名優美]]訳『差異の文化のために―わたし、あなた、わたしたち』[[法政大学出版局]]、1993年、9-10頁。ISBN 978-4588021435。</ref>。|group="注"}}を書き換える存在であることが示唆されるとしている<ref>[[松田いりあ]] 「消費社会と消費文化――「女の系譜」のゆくえ」『文化の社会学―記憶・メディア・身体』 [[文理閣]]、2009年、179頁。ISBN 978-4892595868。</ref>。 |
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一般に腐女子は、「なぜやおい・BLを好むのか」といったことについて分析されることを嫌う傾向にあるという意見もある([ |
一般に腐女子は、「なぜやおい・BLを好むのか」といったことについて分析されることを嫌う傾向にあるという意見もある([#腐女子・やおい分析への反感]]を参照)<ref>[[石田仁]] 「「ほっといてください」という表明をめぐって やおい/BLの自律性と表象の横奪」『ユリイカ』 2007年12月臨時増刊号、114頁。</ref>。 |
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近年では、作家の[[三浦しをん]]、アナウンサーの[[有働由美子]]<ref name="西村1">西村マリ [http://www.seikyusha.co.jp/wp/rennsai/bl_yaoi1.html 第1回 女性は男同士のラブストーリーが好き!] ボーイズラブは楽しい!――やおい/ヤオイ/YAOIのいま 青土社</ref>、女優の[[二階堂ふみ]]<ref>[http://ddnavi.com/news/64468/a/ 映画『ヒミズ』が高評価の文化系女優・二階堂ふみは腐女子だった!] ダヴィンチニュース</ref>など、BL愛読者であることを公言する女性著名人も増えた。 |
近年では、作家の[[三浦しをん]]、アナウンサーの[[有働由美子]]<ref name="西村1">西村マリ [http://www.seikyusha.co.jp/wp/rennsai/bl_yaoi1.html 第1回 女性は男同士のラブストーリーが好き!] ボーイズラブは楽しい!――やおい/ヤオイ/YAOIのいま 青土社</ref>、女優の[[二階堂ふみ]]<ref>[http://ddnavi.com/news/64468/a/ 映画『ヒミズ』が高評価の文化系女優・二階堂ふみは腐女子だった!] ダヴィンチニュース</ref>など、BL愛読者であることを公言する女性著名人も増えた。 |
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===コミュニティ=== |
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⚫ | [[名藤多香子]]は、腐女子を含む女性の同人サークルにおいては先輩から後輩に対して[[敬語]]をはじめとする礼儀作法の類を徹底的に教え込まれるなど厳しい規律が存在し、それに反した構成員をコミュニティから排除するといったケースも存在すると述べている<ref>「「二次創作」活動とそのネットワークについて」『それぞれのファン研究―I am a fan』93-94頁。</ref>。 |
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==分析== |
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なぜ腐女子になるのか、なぜやおい・BLジャンルが成立するのかという理論は様々であり、1人の論者が複数の説を挙げていることも少なくな<ref>[[#金田2007b|金田 (2007b)]] 169頁。</ref>。[[フェミニズム]]や[[ジェンダー]]論の観点から語られることも多い。
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===コミュニティ分析 === |
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[[社会学者]]の[[東園子]]は、腐女子が形成するコミュニティを女性版の[[ホモソーシャル]]と解釈できるとしている。ホモソーシャルとは文学研究者・社会学者の[[イヴ・セジウィック]]が論じた概念で、男性同士で友情をはじめとする社会的なつながりが形成されてその間で女性は貨幣のように交換されるという構造を持ち、[[ホモフォビア]](同性愛嫌悪)と[[ミソジニー]](女性嫌悪)という2つの特徴がある。腐女子のコミュニティでは、通常のホモソーシャルの枠組みにおいて女性が貨幣として交換されていたかわりに、物語の中の男性が欲望の対象として女性同士の間で交換される。(通常の男性の)ホモソーシャルにおける女性嫌悪についても、これを異性嫌悪と読み替えれば、(物語の中ではなく現実の)男性に対する嫌悪として腐女子のコミュニティに間に存在している(やおい系の同人雑即売会で男性の入場が禁止される例など、現実の男性を排除する傾向がある)。他方、同性愛嫌悪の傾向は腐女子のコミュニティにはあまり見受けられず、東園子はむしろ女性同士の絆を維持するための異性愛嫌悪の傾向の方が強いとしている。これは、通常の女性のコミュニティでは異性に関心を持つことが暗黙のうちに義務付けられている面があるため、そういった抑圧をキャンセルする場として腐女子のコミュニティが機能しているとみることができる<ref>「妄想の共同体――「やおい」コミュニティにおける恋愛コードの機能」『思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評』264-270頁。</ref>。 |
[[社会学者]]の[[東園子]]は、腐女子が形成するコミュニティを女性版の[[ホモソーシャル]]と解釈できるとしている。ホモソーシャルとは文学研究者・社会学者の[[イヴ・セジウィック]]が論じた概念で、男性同士で友情をはじめとする社会的なつながりが形成されてその間で女性は貨幣のように交換されるという構造を持ち、[[ホモフォビア]](同性愛嫌悪)と[[ミソジニー]](女性嫌悪)という2つの特徴がある。腐女子のコミュニティでは、通常のホモソーシャルの枠組みにおいて女性が貨幣として交換されていたかわりに、物語の中の男性が欲望の対象として女性同士の間で交換される。(通常の男性の)ホモソーシャルにおける女性嫌悪についても、これを異性嫌悪と読み替えれば、(物語の中ではなく現実の)男性に対する嫌悪として腐女子のコミュニティに間に存在している(やおい系の同人雑即売会で男性の入場が禁止される例など、現実の男性を排除する傾向がある)。他方、同性愛嫌悪の傾向は腐女子のコミュニティにはあまり見受けられず、東園子はむしろ女性同士の絆を維持するための異性愛嫌悪の傾向の方が強いとしている。これは、通常の女性のコミュニティでは異性に関心を持つことが暗黙のうちに義務付けられている面があるため、そういった抑圧をキャンセルする場として腐女子のコミュニティが機能しているとみることができる<ref>「妄想の共同体――「やおい」コミュニティにおける恋愛コードの機能」『思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評』264-270頁。</ref>。 |
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[[翻訳家]]の[[栗原知代]]は、腐女子のコミュニティにおける女性同士の連帯感を「シスター・フッド」(英:[[:en:Sisterhood|sisterhood]])や「{{要追加記述範囲|セパレート・レズビアン|date=2016年7月}}」と類似するものだと指摘している<ref>[[栗原知代]]「概論2 同人誌をめぐる考察」『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』 [[白夜書房]]、1993年、338頁。ISBN 978-4893673237。</ref>。 |
[[翻訳家]]の[[栗原知代]]は、腐女子のコミュニティにおける女性同士の連帯感を「シスター・フッド」(英:[[:en:Sisterhood|sisterhood]])や「{{要追加記述範囲|セパレート・レズビアン|date=2016年7月}}」と類似するものだと指摘している<ref>[[栗原知代]]「概論2 同人誌をめぐる考察」『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』 [[白夜書房]]、1993年、338頁。ISBN 978-4893673237。</ref>。 |
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===なぜ腐女子になるのか、なぜやおい・BLジャンルが成立するのか=== |
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⚫ | [[名藤多香子]]は、腐女子を含む女性の同人サークルにおいては先輩から後輩に対して[[敬語]]をはじめとする礼儀作法の類を徹底的に教え込まれるなど厳しい規律が存在し、それに反した構成員をコミュニティから排除するといったケースも存在すると述べている<ref>「「二次創作」活動とそのネットワークについて」『それぞれのファン研究―I am a fan』93-94頁。</ref>。 |
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; 異性愛の安全な[[シミュレーション]] |
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: [[榎本ナリコ]]は、やおいを愛好する女性が︵女性的役割を担っている︶﹁受け﹂のキャラクターに感情移入する場合について、それによって自己の安全性が確保されるのだとしている。つまり、自己の身体の代替として受けの男性キャラクターの身体を利用することによって、自分自身は傷つかず妊娠する危険もないという安全性を手にした上で擬似的な性行為を楽しむことができるのだという<ref>[[#野火2003|野火 (2003)]] 245-248頁。</ref>。ただし、榎本ナリコはやおいを愛好する女性はしばしば﹁受け﹂のキャラクターだけではなく︵男性的役割を担っている︶﹁攻め﹂のキャラクターにも感情移入していることを指摘しており、その場合については後述の﹁欲望の主体性の獲得﹂による説明を行っている。
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: 精神保健学を専門とする[[福本修]]も、女性にとって同性愛というものは観念レベルということもあって安全に感じられると述べている<ref>[[#大塚香山福本1991|大塚、香山、福本 (1991)]] 100頁。</ref>。
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: 谷川たまゑは、やおい愛好家の女性には結婚後も同様の趣味を続けるものも存在することなどから、異性愛を前もってシミュレートすることがやおい系作品を享受する目的だとする解釈は、実態から乖離した主張だと批判している<ref>[[#谷川1995|谷川 (1995)]] 68頁。</ref>。 |
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: [[哲学者]]の[[浅田彰]]は耽美系雑誌の肥大化した投稿欄のことを、︵自身の提起した[[スキゾ・パラノ]]の概念を用いて︶新しい表現力を持ったスキゾ・カルチャーとして紹介し、性体験のシミュレーション仮説では説明のつかないものだと述べている<ref>[[#浅田1984|浅田 (1984)]] 28-29頁。</ref>。
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; 女性性の否定・[[ミソジニー|女性嫌悪]] |
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: 少女は[[第二次性徴]]を経ると自らの身体の女性性を自覚してそれに戸惑い・恐怖を覚え、女性嫌悪が内面化されるという形で男性同性愛の作品を好むようになるという説明。たとえば、[[心理学者]]の[[小倉千加子]]<ref>[[#小倉1990|小倉 (1990)]] 42-43頁。</ref>らがこういったの趣旨のことを述べており、社会学者の[[上野千鶴子]]<ref>[[#上野1998|上野 (1998)]]</ref>も一部で触れている<!--上野は軽く、ヤオイ少女は女性性を嫌悪しているとは触れているものの、それよりは、ジェンダーレスワールドでの性愛の実験という趣旨の方が本旨です。-->。本人もやおいを手がける[[中島梓]]も社会からの選別のまなざしの無い空間へ逃避するできることがやおいが好まれる理由だとしている<ref>[[#中島2005|中島 (2005)]] 191-192頁。</ref>。 [[中村うさぎ]]・[[岩井志麻子]]・[[森奈津子]]らによる対談集『最後のY談』の中でも同様の見解が提示されている<ref>[[#岩井中村森2003|岩井、中村、森 (2003)]] 207頁。</ref>。 |
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: [[榎本ナリコ]]は、女性が﹁受け﹂のキャラクターに感情移入する背景には女性である自分が性的な欲望を抱くことや性行為そのものへの嫌悪感があり、そのために女性として身体のまま性的な妄想に浸ることに抵抗を覚え、自身を男性にすりかえる必要性が生じると説明し<ref>[[#野火2003|野火 (2003)]] 246-248頁。</ref>、女性が排除されたやおいの世界では、現実では女性が常に感じてしまう﹁ウーマンヘイト﹂から無縁でいられるということを指摘している<ref>[[#野火2003|野火 (2003)]] 258-260頁。</ref>。
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: ﹃[[日出処の天子]]﹄﹃[[風と木の詩]]﹄のように、男性同性愛を描いた少女漫画の内容でも女性が嫌悪の対象として描かれている<ref>[[#山田田2007|山田田 (2007)]] 129頁。</ref><ref>[[#上野1998|上野 (1998)]] 144頁。</ref><ref>[[#藤本1998|藤本 (1998)]] 139-140頁。</ref>。
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: また、やおい愛好家の女性が抱える「女性性に対する葛藤」は、しばしば[[摂食障害]]の女性が抱えるの同様の「女性性に対する葛藤」であるとも指摘され、本格的なやおい論の嚆矢とされる中島梓の『コミュニケーション不全症候群』でもやおいと[[拒食症]]の双方が論じられている。女性性が自覚される[[第二次性徴]]はちょうど拒食症の発祥時期と一致し、少年愛を題材とした少女漫画の作品内で拒食症が取り上げられたり<ref group="注">例えば[[大島弓子]]の漫画『ダイエット』など。</ref>、漫画家自身がその体験を持っていることがしばしばある<ref>[[#上野1998|上野 (1998)]] 146頁。</ref>。社会的にも、やおいが浸透した時期と摂食障害が注目された時期は1970年代後半と一致しており、社会学者の[[熊田一雄]]は「摂食障害になりかねない女性たちのセーフティ・ネット」としてやおい文化が機能した可能性を指摘している<ref>[[#熊田2005|熊田 (2005)]] 79頁。</ref>。 |
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: 一方、[[西村マリ]]は、男性キャラクターを女性キャラクターの置きかえて描く﹁女の子ネタ﹂というジャンルが定着していることからやおい文化で女性性が否定されているわけではなく、むしろ男性性のほうが排除される傾向にあると述べている<ref>[[#西村2001|西村 (2001)]] 131頁・175-176頁。</ref>。
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; 性的欲望・視線の主体性の獲得 |
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:上野千鶴子<ref>[[#上野1998|上野 (1998)]]</ref>は、花の24年組と呼ばれた世代の女性漫画家らの[[ルサンチマン]]が生んだ、ジェンダーレス・ワールドにおける性愛の実験だと述べている。 |
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[[永久保陽子]]によれば、思春期の少年向けの漫画には性的欲求を肯定するようなメッセージが暗に含まれていることが多いが、通常の少女向けのメディアでは同様のものは存在せず、少年と同じく多感な時期にもかかわらず性的欲望を持つこと自体が抑圧されているとした上で、男性同性愛という回路を経由して異性愛的な性的欲望の方向性を隠蔽しながら充足するための装置としてやおいが機能していると述べている<ref>[[#ながくぼ2007|ながくぼ (2007)]] 144-145頁。</ref>。
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: 榎本ナリコは、読者が﹁攻め﹂のキャラクターに感情移入している場合を念頭において次のように論じている。通常の男女の性愛では、両者の生殖器の生物学的な構造上から、男性側が欲望の主体で女性側が客体となることが事実上義務付けられている。しかし、現実世界では欲望の主体性になれない女性であっても、やおい系作品の攻めの男性キャラクターに感情移入しているときは、擬似的に欲望の主体となることができる。つまり、︵やおい愛好家の多くは異性愛者なので︶男性を性的欲望の対象としながら、なおかつ自分自身が欲望の主体性を獲得するための方法として男性同士の同性愛関係が必要となるのである。<ref>[[#野火2003|野火 (2003)]] 248-252頁。</ref>
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: [[金田淳子]]は、前述の女性嫌悪によるやおい解釈に対して、やおい表現において回避されているのは女性性ではなく女性を性的対象としてのみ見る視線であり、やおいによってまなざす主体性︵性的欲望を持つ主体性︶を獲得することができるとしている<ref>[[#金田2007b|金田 (2007b)]] 177頁。</ref>。
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: 漫画研究家の[[藤本由香里]]も、やおい表現に﹁犯る側の視線﹂﹁見る側の視線﹂の獲得という意義を見出しており<ref name="watashi">[[#藤本1998|藤本 (1998)]] 144頁。</ref>、高橋すみれも前述したようにやおい系作品では女性キャラクターがまなざす主体として描かれていることがあることから女性が性的視線の主体性を獲得できるとしている<ref>[[#高橋2005|高橋 (2005)]] 33-34頁。</ref>。
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: [[吉本たいまつ]]は、さらに普段男性から受けている値踏みの視線をやおい・ボーイズラブという形で女性が男性へまなざし返しているとし、このことを男性が知ることが、普段無意識に女性に対して値踏みの視線をおくっていることへの自覚や女性の欲望に対する理解を促すとも述べている<ref>[[#吉本2007|吉本 (2007)]] 110頁。</ref>。
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; 旧来的なジェンダー観の転覆 |
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: [[小谷真理]]は、少年向けの創作物を女性が好む形に強引に改造するやおい的欲望を、男性優位社会の中で抑圧された﹁ガイネーシス︵女性状無意識︶﹂<ref group="注">﹁ガイネーシス﹂は[[アリス・ジャーディン]]の発案した用語で﹁女性的なもの﹂を意味する。</ref>を噴出させるものだと捉えた。また、それは同人文化の発展には印刷技術のハイテク化がかかわっていることからテクノロジーの問題と交錯したものだとして﹁テクノガイネーシス﹂の一種であると述べている。<ref>[[#小谷1994|小谷 (1994)]] 252-255頁。</ref>
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: 社会学者の[[小林義寛]]はやおい文化を男性中心的なメディアを転倒するものだと捉えており<ref>[[#小林1999|小林 (1999)]] 195頁。</ref>、社会学者の[[笠間千浪]]は旧来的なジェンダー秩序を﹁転倒というより転覆﹂させるものだとしている<ref>[[#笠間2001|笠間 (2001)]] 243-244頁。</ref>。このほか、永久保陽子は男性向けポルノグラフィが豊富に存在するのに対し女性向けのそれは存在しておらず、女性が性愛表現を奪還しようと邁進︵まいしん︶してきた成果がやおいとしている<ref>[[#永久2005|永久 (2005)]] 325頁。</ref>。
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; [[トランスジェンダー]]の可能性 |
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: 作家の[[榊原史保美]]は、その著書﹃やおい幻論﹄で、﹁やおいになるのは、その作者・読者がFtM︵肉体は女性であるが精神は男性である状態︶でかつ[[ゲイ]]︵同性愛、もしくは両性愛︶だからではないか﹂という説を提唱し、また自身もFtMゲイかもしれないと発言している<ref>[[#榊原1998|榊原 (1998)]] 145-146頁など。</ref>。即ち、やおいを好む女性は精神が男性でしかもゲイであるため、男性を愛することができる。言わば二重にねじれているため一見普通の異性愛に見えるにもかかわらず、相手︵男性︶側には女性として愛されることしかできず、精神は男性であるので男性として愛されたい・愛したいという気持ちがある。それは現実世界では非常に難しいことであるため、それをファンタジーであるやおい作品に投影しているとするものである。
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; 異性愛の失望体験の回避 |
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: [[宮台真司]]は、物語の中で男女の性愛が描かれてしまうと、それによって自身の恋愛における失望体験を想起してしまうため、それを防いで純粋な妄想に浸るには男性同士の同性愛を描く必要があるのだと述べている<ref>[[#宮台2010|宮台 (2010)]] 217-218頁。</ref>。
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; ホモソーシャルに対する潜在的羨望 |
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: [[東園子]]は、[[体育会系]]の部活の[[マネージャー#学校の部活動のマネージャー|マネージャー]]を志望する女子生徒や、個人単位ではなくコンビやユニット単位でファンになる女性の男性アイドルファンの存在などから、女性は(女性の間では同様のものがあまり見られない)男性のホモソーシャル的な絆に潜在的な憧れを抱いている場合があり、その欲望や表出した結果としてやおいがある可能性を示している<ref>[[#東2009|東 (2009)]] 274-276頁。</ref>。 |
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; 関係志向の女性と所有志向の男性の差 |
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: 前述([[#男性オタクの消費様式との差異]])したようにやおい的欲望は男性オタクにみられる単一の対象に対するものではなく「受け」と「攻め」の関係性に対する欲望となっており、[[野火ノビタ]]は「位相萌え」と呼んでいる<ref>[[#斉藤2003a|斉藤 (2003a)]] 70頁。</ref>。 |
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: [[斎藤環]]は、一般に男性は﹁所有︵持ちたい︶﹂を志向して女性は﹁関係︵なりたい︶﹂を志向するというジェンダー傾向があるという前提に基づき、なんの制約もなく自由に自分の欲望を追求できるはずの﹁オタク﹂という文化圏の中において消費の仕方に男女差が歴然と存在することについて、男性オタクは美少女キャラクターを﹁所有﹂しようとし、女性オタク︵腐女子︶の欲望は男性キャラクター同士の﹁関係﹂に向かうという形で説明できるとしている。男性オタク的なキャラ萌えは、︵キャラの内面的なものを含めて︶視覚的な記号として表現されたものを対象としており、﹁視ること﹂はまさしく所有のための第一段階なのであるという。<ref>[[#斉藤2009|斉藤 (2009)]] 137頁・155頁など。</ref>
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; リアル志向のギャルと空想志向の腐女子の差 |
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: [[杉浦由美子]]は、﹁[[リアル]]さ﹂を求める[[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]]・[[ギャル]]に対して腐女子を含む[[オタク]]は﹁虚構︵フィクション︶﹂を求めるとした上で<ref>[[#杉浦2009|杉浦 (2009)]] 119頁。</ref>、異性愛は現実世界ですればよいから空想の世界では同性愛を楽しんでいるのだと説明する<ref>[[#杉浦2006|杉浦 (2006)]] 100-101頁。</ref>。また、女性同士の同性愛ではなく男性同士の同性愛関係が描かれるのは、単純に彼女らが異性愛者であるから男性がたくさん登場するほうが都合がいいこと、男性のほうが多様な職業についているためより物語の幅が広がることだと述べている<ref>[[#杉浦2006|杉浦 (2006)]] 105-106頁。</ref>。
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=== 腐女子、やおい・BLジャンルの分析への反感 === |
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一般にやおい・ボーイズラブ・[[腐女子]]についての研究・分析は、当事者の愛好家からは「放っておいてください」という形で拒否感を示す傾向にあるとされる。メディアによる取材や撮影もあまり好まないことが多いとされる<ref>[[#杉浦2009|杉浦 (2009)]] 174頁。</ref>。[[腐女子]]を自称する[[杉浦由美子]]による『オタク女子研究 腐女子思想大系』はインターネット上でバッシングを受けており、やおい関連の論考を発表すれば仲間内から裏切り者として批判されてしまう、という意見もある<ref>[[#岡田唐沢2006|岡田、唐沢 (2006)]] 142-143頁。</ref>。(ただし批判については、そもそも杉浦の腐女子に関する書籍は事実関係や用語理解に間違いが多いことが指摘されており、杉浦自身は本当に腐女子なのか、やおいや周辺文化にあまり関心がないのではないかと疑問がもたれている<ref>[http://blog.livedoor.jp/moepre/archives/50094918.html 2006年上半期10大腐女子ニュース] 萌えプレ</ref><ref name=”三崎尚人”>三崎尚人 [http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/otakujoshi.html 『オタク女子研究 腐女子思想大系』批判] 同人誌生活文化総合研究所</ref><ref name="tsumire">[http://kiritani.blog4.fc2.com/blog-entry-575.html tsumire「オタク女子研究 腐女子思想大系」杉浦由美子] Cafe Tsumire</ref>。また、すべてのやおい・ボーイズラブ・[[腐女子]]の研究・分析が、同じようにバッシングを受けているわけでもない。) |
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[[永久保陽子]]によれば、この拒否感にはやおい・ボーイズラブに[[ポルノグラフィ]]としての側面があることが関係しているという。男性の場合、若年者向けのものを含む多くのメディアで男性の性的欲望を肯定するようなメッセージが流布している社会的状況があるが、女性の場合は性的欲望を持つことを自認することすら抑圧されており、欲望の対象を事細かに分析されることには耐えられないのだと考えられる。<ref>[[#ながくぼ2007|ながくぼ (2007)]] 145頁。</ref>
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[[斎藤環]]は、やおい分析が当事者から嫌われる理由として、一般に女性の欲望は([[ジャック・ラカン]]のいう)「他者の享楽」であり、それは言語による理解を超越しているため経験することができても語ることはできないということが関係しているかもしれないと推測している<ref>[[#斉藤2009|斉藤 (2009)]] 206-207頁。</ref>。 |
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[[石田仁]]はこのような腐女子たちの態度を「一時的な自律ゾーニングの営み」と評価し、やおい表現がゲイ男性の表象を横奪している可能性についての議論を無化するものとして批判している<ref>[[#石田2007a|石田 (2007a)]] 114-120頁。</ref>。 |
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[[金田淳子]]は、やおい系の市場が規模を増している以上それに伴って世間からの注目も増えることは不可避であり、研究対象とされる立場を拒否するだけでなくやおい系作品を漫画・小説の表現論の中に位置づけていく必要性があると説いている<ref>[[#金田2006|金田 (2006)]] 176-177頁。</ref>。
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== 腐女子が主に使用する用語 == |
== 腐女子が主に使用する用語 == |
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=== 出典 === |
=== 出典 === |
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===参考文献=== |
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* {{Cite book|和書|author=[[野火ノビタ]] |year=2003|title=大人は判ってくれない―野火ノビタ批評集成|publisher= [[日本評論社]]|isbn= 978-4535583672|ref=野火2003}} |
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* {{Cite journal|和書|author=大塚英志、[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]]、[[福本修]]|year=1991|month=10|issue=1991年10月号|journal=イマーゴ|title=マンガvs現代の心性――臨界期を迎えたマンガのために|publisher=青土社|ref=大塚香山福本1991}} |
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* {{Cite journal|和書|author=谷川たまゑ(水間碧) |year= 1995|journal=女性学年報|title=女性の少年愛嗜好についてII――識者の見解と、フェミニズムにおける可能性|issue=14号|publisher=日本女性学研究会|ref=谷川1995}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[浅田彰]] |year=1984|title=逃走論―スキゾ・キッズの冒険|chapter=スキゾ・カルチャーの到来|publisher= [[筑摩書房]]|isbn= 978-4480841384|ref=浅田1984}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[小倉千加子]]|year=1990|title=女の人生すごろく|publisher= [[筑摩書房]]|isbn=978-4480812926|ref=小倉1990}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[上野千鶴子]] |year=1998|title=発情装置―エロスのシナリオ|chapter=ジェンダーレス・ワールドの〈愛〉の実験――少年愛マンガをめぐって|publisher= [[筑摩書房]]|isbn=978-4480863119|ref=上野1998}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[中島梓]] |year=2005 |title=タナトスの子供たち―過剰適応の生態学|publisher= [[筑摩書房]]|isbn=978-4480420916|ref=中島2005}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[岩井志麻子]]・[[中村うさぎ]]・[[森奈津子]] |year=2003|title=最後のY談|publisher= [[二見書房]]|isbn=978-4576031705|ref=岩井中村森2003}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[山田田鶴子]] |year=2007|title=少女マンガにおけるホモセクシュアリティ|publisher=[[ワイズ出版]]|isbn=978-4898302125|ref=山田田2007}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[藤本由香里]] |year=1998|title=私の居場所はどこにあるの?―少女マンガが映す心のかたち|publisher=[[学陽書房]]|isbn=978-4313870116|ref=藤本1998}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[熊田一雄]] |year=2005|title=男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学|publisher=[[風媒社]]|isbn=978-4833110679|ref=熊田2005}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[西村マリ]]|year=2001|title=アニパロとヤオイ|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4872336436|ref=西村2001}} |
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* {{Cite journal|和書|year=2007|month=6|issue=2012年|journal=[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 特集 BL オン・ザ・ラン!|publisher=青土社}} |
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** {{Cite journal|和書|author=[[永久保陽子|ながくぼようこ]]|title=女性たちの"腐った夢"=<やおい小説> <やおい小説>の魅力とその問題性|ref=ながくぼ2007}} |
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* {{Cite book|和書|author=金田淳子|year=2007|title=文化の社会学|chapter=解釈共同体のポリティクス|publisher=[[有斐閣]]|isbn=978-4641122420|ref=金田2007b}}(b) |
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* {{Cite journal|和書|author=高橋すみれ |year=2005|journal=女性学年報|title=「やおい化」する視線、その戦略にむけて――『DEATH NOTE』同人漫画を例に――|issue=26号|publisher=日本女性学研究会|ref=高橋2005}} |
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* {{Cite journal|和書|year=2007|month=6|issue=2007年6月臨時増刊号|journal=[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 総特集・腐女子マンガ体系|publisher=青土社}} ISBN 9784791701636。
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** {{Cite journal|和書|author=[[永久保陽子|ながくぼようこ]]|title=女性たちの"腐った夢"=<やおい小説> <やおい小説>の魅力とその問題性|ref=ながくぼ2007}} |
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** {{Cite journal|和書|author=[[吉本たいまつ]]|title=男もすなるボーイズラブ|ref=吉本2007}} |
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** {{Cite journal|和書|author=[[石田仁]]|title=「ほっといてください」という表明をめぐって やおい/BLの自律性と表象の横奪|ref=石田2007a}}(a) |
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* {{Cite book|和書|author=[[小谷真理]] |year=1994|title=女性状無意識(テクノガイネーシス)―女性SF論序説|publisher= [[勁草書房]]|isbn= 978-4326152896|ref=小谷1994}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[小林義寛]] |year=1999|title=テレビジョン・ポリフォニー―番組・視聴者分析の試み|chapter=テレビ・アニメのメディア・ファンダム――魔女っ子アニメの世界|publisher= [[世界思想社]]|isbn=978-4790707813|小林1999}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[笠間千浪]] |year=2001|title=日本社会とジェンダー|chapter=《解釈共同体》としての「やおい」サブカルチャー――消費社会の高度化と女性たちのオルタナティヴな語り――|publisher= [[明石書店]]|isbn=978-4750315065|ref=笠間2001}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[永久保陽子]] |year=2005|title=やおい小説論―女性のためのエロス表現|publisher= [[専修大学出版局]]|isbn=978-4881251546|ref=永久2005}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[榊原史保美]] |year=1998|title=やおい幻論―「やおい」から見えたもの|publisher= [[夏目書房]]|isbn=978-4931391420|ref=榊原1998}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[宮台真司]] |year=2010|title=中学生からの愛の授業|publisher= [[コアマガジン]]|isbn=978-4862527363|ref=宮台2010}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[東園子]] |year=2009|title=文化の社会学―記憶・メディア・身体|chapter=女性のホモソーシャルな欲望の行方――二次創作「やおい」についての一考察|publisher=[[文理閣]]|isbn=978-4892595868|ref=東2009}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[東浩紀]]、[[斎藤環]]、[[小谷真理]]|year=2003|journal=網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ |publisher=[[青土社]]|ref=東斉藤小谷2003}} ISBN 978-4791760091。 |
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** {{Cite journal|和書|author=斎藤環|title=「萌え」の象徴的身文|ref=斉藤2003a}}(a) |
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* {{Cite book|和書|author=杉浦由美子 |year=2009|title=101人の腐女子とイケメン王子 ~腐女子<恋愛観>研究|publisher= 原書房|isbn=978-4562045358|ref=杉浦2009}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[岡田斗司夫]]、[[唐沢俊一]]|year=2006|issue=2006年8月号|journal=創|title=新世紀オタク清談 第23回 腐女子論に挑む!|publisher=創出版、月刊版|ref=岡田唐沢2006}} |
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* {{Cite book|和書|author=斎藤環|year=2009|title=関係する女 所有する男|publisher= [[講談社]]|isbn=978-4062880084|ref=斉藤2009}} |
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* {{Cite journal|和書|author=金田淳子|title=ヤオイ・イズ・アライブ わかりたいあなたのための、やおいマンガ・マップ|year=2006|month=1|issue=2006年1月号|journal=ユリイカ|publisher=青土社|ref=金田2006}} ISBN 4791701429。
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== 関連項目 == |
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2016年8月5日 (金) 11:34時点における版
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