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「荒井郁之助」の版間の差分

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'''荒井 郁之助'''('''あらい いくのすけ'''、[[天保]]7年([[1836年]])4月29日-[[明治]]42年([[1909年]])[[7月19日]])は、江戸時代末期([[幕末]])の[[幕臣]]。初代中央気象台長。[[幼名]]は幾之助。[[諱]]は顕徳(あきのり)、後に顕理(あきよし)とした。

'''荒井郁之助'''('''あらいいくのすけ''')


天保7年(1836)4月29日生-明治42年(1909)7月19日没 

江戸時代末期([[幕末]])の幕臣。初代中央気象台長。[[幼名]]は幾之助。[[諱]]は顕徳(あきのり)、後に顕理(あきよし)とした。



== 略歴 ==

== 略歴 ==




7(1836)712([[]][[]])14[[]]18西20(10010)

7(1836)[[]][[]]712([[]][[]])[[]][[]]14[[]]18西20(10010)[[]][[]]

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慶応4年(1868)1月に軍艦頭を命じられて海軍職に復帰、海軍副総裁[[榎本武揚]]らと共に新政府軍支配下に置かれた江戸を脱出、[[箱館戦争]]に身を投じることとなる。


箱館政権(俗に[[蝦夷共和国]])下では海軍奉行となり、[[宮古湾海戦]]および[[箱館湾海戦]]に奮闘、降伏後は死刑を免れて榎本らと共に[[北海道開拓使]]として新政府軍に出仕し、明治9年(1876)6月に辞任して農学校・女学校校長を勤める。

[[慶応]]4年([[1868年]])1月に軍艦頭を命じられて海軍職に復帰、海軍副総裁[[榎本武揚]]らと共に新政府軍支配下に置かれた江戸を脱出、[[箱館戦争]]に身を投じることとなる。


[[]][[|]]23(1890)827(1894)

明治42年(1909)、[[糖尿病]]がもとで永眠。[[享年]]74。

箱館政権(俗に[[蝦夷共和国]])下では海軍奉行となり、[[宮古湾海戦]]および[[箱館湾海戦]]に奮闘、降伏後は死刑を免れて榎本らと共に[[北海道開拓使]]として新政府軍に出仕し、明治9年([[1876年]])6月に辞任して農学校・女学校校長を勤める。



[[]][[]][[|]]23([[1890]])827([[1894]])

明治42年(1909)、[[糖尿病]]がもとで永眠。[[享年]]74。



== 人柄 ==

== 人柄 ==

海軍職に深く携わっていた荒井だが、水泳が不得手で、更に[[下戸]]だった。

海軍職に深く携わっていた荒井だが、水泳が不得手で、更に[[下戸]]だった。

反面、甘い物が大好物で健啖家、箱館湾海戦時も大量の汁粉を作らせていたほどだったが、




性格は身分・学歴をおごらず、温和でひどく謙遜家だったと言われている。

気象台長時代には、部下の報告書を見て決して訂正する事なく「至極結構」と言って許可したので、部下達からは『至極結構』というあだ名で呼ばれていた。

気象台長時代には、部下の報告書を見て決して訂正する事なく「至極結構」と言って許可したので、部下達からは『至極結構』というあだ名で呼ばれていた。

一方、ある晩不意に入った強盗を槍で猛然と立ち向かっていって追い出したという武勇伝も残る。

一方、ある晩不意に入った強盗を槍で猛然と立ち向かっていって追い出したという武勇伝も残る。

しかし[[宮古湾海戦]]などについて聞いても「あの時は夢中だった」と答えるのみだったと言う。

しかし[[宮古湾海戦]]などについて聞いても「あの時は夢中だった」と答えるのみだったと言う。


戸籍には[[士族]]や[[華族]]などとは書かずに"[[平民]]"とした。

戸籍には[[士族]]や[[華族]]などとは書かずに"[[平民]]"とした。

その時質問を受けた荒井は、「敗軍の将、再び兵を語らず。牢獄から出てきた時に剣を捨てて、生まれ変わって再生をしたのであるから、平民となるのである」と答えたそうだ。

その時質問を受けた荒井は、「敗軍の将、再び兵を語らず。牢獄から出てきた時に剣を捨てて、生まれ変わって再生をしたのであるから、平民となるのである」と答えたそうだ。

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

*福永恭助『海将荒井郁之助』(昭和18年5月発行)

*[[福永恭助]]『海将荒井郁之助』([[昭和]]18年5月発行)

*原田朗『荒井郁之助』(平成6年7月発行)

*[[原田朗]]『荒井郁之助』([[平成]]6年7月発行)

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[[Category:幕末徳川側人物|あらい いくのすけ]]

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[[Category:1909年没|あらいいくのすけ]]

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[[Category:1836年生|あらいいくのすけ]]

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2005年7月31日 (日) 10:57時点における版


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