「藤原師兼」の版間の差分
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'''藤原 師兼'''︵ふじわら の もろかね、[[永承]]3年︵[[1048年]]︶ - [[承保]]3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]︵[[1076年]][[4月7日]]︶︶は、[[平安時代]]後期の[[公卿]]。[[藤原北家]][[中御門流]]、[[右大臣]]・[[藤原俊家]]の二男。[[官位]]は[[正四位|正四位下]]・[[参議]]。
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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[[康平]]4年︵[[1061年]]︶[[従五位|従五位下]]・[[侍従]]に叙任。康平5年︵[[1062年]] |
[[康平]]4年︵[[1061年]]︶[[従五位|従五位下]]・[[侍従]]に叙任される。康平5年︵[[1062年]]︶3月[[近衛府|右近衛少将]]。康平6年︵[[1063年]]︶1月従五位上に叙され、2月左少将に転じて[[美作国|美作]][[国司|権介]]を兼任。康平8年︵[[1065年]]︶1月に[[正五位|正五位下]]。[[治暦]]3年︵[[1067年]]︶7月右中将に遷り、12月[[正四位|正四位下]]に昇叙した。[[延久]]元年︵[[1069年]]︶8月左中将に遷る。延久6年︵[[1074年]]︶1月[[伊予国|伊予]]介を兼ね、12月に27歳で[[参議]]に任ぜられて公卿に列した。承保2年︵[[1075年]]︶1月伊予権守を兼ねるが、翌承保3年︵1076年︶数ヶ月籠居ののち[[卒去]]。享年29。
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== 系譜 == |
== 系譜 == |
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*父:[[藤原俊家]] |
*父:[[藤原俊家]](1019-1082) |
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*母:[[源隆国]]の娘 |
*母:[[源隆国]]の娘 |
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*妻:藤原憲輔の娘 |
*妻:藤原憲輔の娘 |
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**男子:藤原家輔 |
**男子:藤原家輔 |
2012年7月16日 (月) 16:33時点における版
藤原 師兼︵ふじわら の もろかね、永承3年︵1048年︶ - 承保3年3月2日︵1076年4月7日︶︶は、平安時代後期の公卿。藤原北家中御門流、右大臣・藤原俊家の二男。官位は正四位下・参議。