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「賀茂忠行」の版間の差分

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{{基礎情報 公家


''' '''  [[ ()|]]4[[960]][[]][[]][[]][[]]<ref name="a">[[]][[]]63</ref><ref name="b">[[]]167 </ref><ref name="c">寿,1986 </ref>[[]][[|]][[#|]]

| 氏名 = 賀茂忠行

| 画像 =

| 画像サイズ =

| 画像説明 =

| 時代 = [[平安時代]]前期 - 中期

| 生誕 = 不明

| 死没 = 不明<ref>一説には[[天徳 (日本)|天徳]]4年([[960年]])とも。</ref>

| 改名 =

| 別名 =

| 諡号 =

| 神号 =

| 戒名 =

| 墓所 =

| 官位 = [[従五位|従五位下]]・[[丹波国#国司|丹波権介]]

| 主君 = [[醍醐天皇]]→[[朱雀天皇]]→[[村上天皇]]

| 氏族 = [[賀茂氏#地祇系|賀茂氏]]

| 父母 =賀茂江人<ref name="a">『[[尊卑分脈]]』、『加茂氏系図』(『[[群書類従]]』巻63 所収)</ref>・賀茂峯雄<ref name="b">『賀茂系図』(『[[続群書類従]]』巻第167 所収)、『仁和寺文書』</ref>・賀茂直峯<ref name="c">鈴木真年『史略名称訓義』(宝賀寿男『古代氏族系図集成』古代氏族研究会,1986年 による)</ref>

| 兄弟 =

| 妻 =

| 子 = [[賀茂保憲]]、保遠、[[慶滋保胤]]、慶滋保章

| 特記事項 =

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[[陰陽道|陰陽の術]]に優れ、時の[[天皇|帝]]から絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる「射覆」を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」<ref>『[[今昔物語集]]』</ref>[[陰陽道]]の真髄を教えたという。丹波権介・[[但馬国#国司|但馬丞]]を歴任、一説には[[陰陽頭]]も歴任したともいうが、確証はない。

[[陰陽道|陰陽の術]]に優れ、時の[[天皇|帝]]から絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる「射覆」を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」<ref>『[[今昔物語集]]』</ref>[[陰陽道]]の真髄を教えたという。丹波権介・[[但馬国#国司|但馬丞]]を歴任、一説には[[陰陽頭]]も歴任したともいうが、確証はない。



==実績==

== 実績 ==

賀茂忠行は覆物の中身を当てる「射覆」が得意であったといわれ、[[延喜]]年間に時の[[醍醐天皇]]からこの腕を披露するように命じられた。忠行の目の前には[[八角形]]の箱が目の前に出され、これを占った結果は「朱の紐でくくられている[[水晶]]の[[数珠]]」である事を見事的中させ、「天下に並ぶもの無し」と賞賛されている([[今昔物語]])。

忠行は覆物の中身を当てる「射覆」が得意であったといわれ、[[延喜]]年間に時の[[醍醐天皇]]からこの腕を披露するように命じられた。忠行の目の前には[[八角形]]の箱が目の前に出され、これを占った結果は「朱の紐でくくられている[[水晶]]の[[数珠]]」である事を見事的中させ、「天下に並ぶもの無し」と賞賛されている([[今昔物語]])。



== 物語に出てくる賀茂忠行 ==

== 物語に出てくる賀茂忠行 ==

[[今昔物語集]]の「安倍晴明忠行に随いて道を習いし語」によれば、ある時忠行が内裏より自邸に帰宅途中、[[牛車]]の外にいた供の幼少の[[安倍晴明]]に呼び起こされて外を見ると[[百鬼夜行]]の一団と遭遇、難を逃れ、それ以降晴明を可愛がったという。

[[今昔物語集]]の「安倍晴明忠行に随いて道を習いし語」によれば、ある時忠行が内裏より自邸に帰宅途中、[[牛車]]の外にいた供の幼少の[[安倍晴明]]に呼び起こされて外を見ると[[百鬼夜行]]の一団と遭遇、難を逃れ、それ以降晴明を可愛がったという。




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同じく「賀茂忠行、道を子の保憲に伝えし語」では、忠行がある貴人の家に[[祓|お祓い]]に行く時、幼いわが子・[[賀茂保憲]]が供をするというので連れて行った。無事終わって帰宅途中に保憲が祭壇の前で[[供物|供え物]]を食ったり、それで遊んだりしている異形の者を目撃した事を話すと忠行は自分の子のただならぬ能力を予見し保憲に[[陰陽道]]を教えたという。



== 陰陽道の歴史における賀茂忠行の存在 ==

== 陰陽道の歴史における賀茂忠行の存在 ==


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賀茂氏の弟子筋である[[安倍晴明]]ら天文家・安倍氏も賀茂氏と同様、人材不足が功を奏して早くから陰陽寮内で影響力を獲得することに成功し、また賀茂氏と共に陰陽寮の基本的方針変換を煽動することによって権力を確立していくことになったといわれる。

賀茂氏の弟子筋である安倍晴明ら天文家・安倍氏も賀茂氏と同様、人材不足が功を奏して早くから陰陽寮内で影響力を獲得することに成功し、また賀茂氏と共に陰陽寮の基本的方針変換を煽動することによって権力を確立していくことになったといわれる。



== 官歴 ==

== 官歴 ==

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{{DEFAULTSORT:かも の たたゆき}}

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[[Category:賀茂氏|たたゆき]]

[[Category:平安時代前期の貴族]]

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[[Category:平安時代中期の貴族]]

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[[Category:賀茂氏|たたゆき]]

[[Category:陰陽師]]

[[Category:9世紀生]]

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[[Category:10世紀没]]

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2018年9月23日 (日) 09:48時点における版

 

凡例

賀茂忠行
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 不明[1]
官位 従五位下丹波権介
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 賀茂氏
父母 父:賀茂江人[2]・賀茂峯雄[3]・賀茂直峯[4]
賀茂保憲、保遠、慶滋保胤、慶滋保章
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6894使




6952 

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917-977

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933?-1002-

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  1. ^ 一説には天徳4年(960年)とも。
  2. ^ a b 尊卑分脈』、『加茂氏系図』(『群書類従』巻63 所収)
  3. ^ a b 『賀茂系図』(『続群書類従』巻第167 所収)、『仁和寺文書』
  4. ^ a b 鈴木真年『史略名称訓義』(宝賀寿男『古代氏族系図集成』古代氏族研究会,1986年 による)
  5. ^ 今昔物語集

参考文献

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年