金美館
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種類 | 個人商店 |
---|---|
市場情報 | 消滅 |
略称 | 金美館 |
本社所在地 |
![]() 〒116-0014 東京府北豊島郡日暮里町大字金杉 (現在の東京都荒川区東日暮里5丁目) |
設立 | 1922年 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の興行 |
代表者 | 美須鐄 |
主要株主 | 美須鐄 |
特記事項:略歴 1922年 開業 |
金美館︵きんびかん︶は、かつて存在した日本の映画館、およびそのチェーンである。美須鐄の個人商店として発足し、20館あまりを保有した。現在の株式会社チッタエンタテイメントの前身である。
略歴・概要
1922年︵大正11年︶、東京府北豊島郡日暮里町大字金杉︵現在の東京都荒川区東日暮里︶に創業した。 1930年︵昭和5年︶末、南足立郡千住町︵現在の足立区千住中居町29-1 三泉ビル︶に1920年︵大正9年︶以前からつづいた千住劇場を買収して﹁千住金美館﹂と改称、1936年︵昭和11年︶に駅前通ができ、そこに入り口を新設し、通りの名は﹁千住金美館通り﹂と呼ばれるようになった[1]。 1937年︵昭和12年︶、川崎市に進出、同市小川町︵現在の同市川崎区小川町︶に6館の映画館を開業した[2]。このころ東京の金美館チェーンは20館に達していた[2][3]。 川崎の6館の映画館が焼失したが、1945年︵昭和20年︶7月、第二次世界大戦の最末期に﹁川崎銀星座﹂を復興する[2]。 1949年︵昭和24年︶4月18日、株式会社化し、美須興行株式会社︵現チッタエンタテイメント︶となる。 1951年︵昭和26年︶12月、日暮里金美館を売却、オーナーチェンジとなる。1961年︵昭和36年︶、千住金美館が閉館した。1971年︵昭和46年︶1月には向島金美館が閉館、1991年︵平成3年︶10月、オーナーは違うが金美館の名を残す日暮里金美館が閉館した。 入谷金美館がかつて存在した台東区入谷1丁目 - 2丁目の300メートルの通りは﹁金美館通り﹂と、同館が存在しない現在も呼ばれている。チェーン
大正末期の1924年 - 1926年[4]、1957年︵昭和32年︶[5]の資料による金美館チェーンである。- 入谷金美館 (下谷区入谷町、現在の台東区入谷1-18-7 東京菓子会館、1926年には存在、1957年情報)
- 第一金美館 (北豊島郡日暮里町大字金杉、現在の荒川区東日暮里5丁目、1922年 - 1932年情報)
- 第三金美館 (北豊島郡日暮里町、現在の荒川区東日暮里3丁目31-18、1926年 - 1991年10月 閉館)⇒日暮里金美館
- 第二金美館 (北豊島郡南千住町土堤下、現在の荒川区南千住、1926年 / 1932年情報)
- 町屋金美館 (北豊島郡三河島町、現在の荒川区町屋、1932年情報)
- 千住金美館 (南足立郡千住町、現在の足立区千住中居町29-1 三泉ビル、千住劇場を改称して開業、1930年末 - 1961年 閉館)
- 尾久金美館 (北豊島郡尾久町、現在の荒川区東尾久 / 西尾久、1932年情報)
- 向島金美館 (墨田区東向島1丁目、1957年情報 - 1971年1月 閉館)
- 荒川金美館 (荒川区、1957年情報)
- 梅田金美館 (足立区梅田、1957年情報)
関連事項
註
(一)^ [宿場町通り商店街 千住にあった映画館 http://www.senjujuku.com/jouhou/eigakan.html]の記述を参照。
(二)^ abc川崎市公式サイト内の記事﹁かわさき区の宝物シート 銀映会 (川崎映画街)﹂の記述を参照。
(三)^ 櫻本富雄﹃大東亜戦争と日本映画 立見の戦中映画論﹄︵青木書店、1993年12月 ISBN 4250930378︶の記述を参照。
(四)^ ﹁全国主要映画館便覧 大正後期編﹂の記述を参照した。
(五)^ ﹁昭和32年の埼玉県の映画館﹂の記述を参照した。