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「長岡護美」の版間の差分

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'''長岡 護美'''(ながおか もりよし、[[1843年]][[1906年]])は、[[肥後国]][[熊本藩]]の家老。[[下野国]][[喜連川藩]]の嫡子。[[明治]]期の[[外交官]]・[[華族]]([[子爵]])・[[貴族院議員]]。喜連川藩嫡子時代は、'''喜連川 紀氏'''(きつれがわ のりうじ)と称した。

'''長岡 護美'''(ながおか もりよし、[[1842年]] - [[1906年]])は、[[肥後国]][[熊本藩]]の家老。[[下野国]][[喜連川藩]]の嫡子。[[明治]]期の[[外交官]]・[[華族]]([[子爵]])・[[貴族院議員]]。喜連川藩嫡子時代は、'''喜連川 紀氏'''(きつれがわ のりうじ)と称した。



熊本藩主・[[細川斉護]]の六男。はじめ、喜連川藩主・[[喜連川煕氏]]の養子となったが、[[安政]]5年([[1858年]])4月に喜連川家を離籍し、実家に戻った。

熊本藩主・[[細川斉護]]の六男。はじめ、喜連川藩主・[[喜連川煕氏]]の養子となったが、[[安政]]5年([[1858年]])4月に喜連川家を離籍し、実家に戻った。

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後に[[明治政府]]に招かれて[[外務省]]に入省、[[ベルギー]]や[[オランダ]]の[[公使]]として活躍し、[[1891年]]に子爵に叙され、[[1904年]]には貴族院議員に任命された。

後に[[明治政府]]に招かれて[[外務省]]に入省、[[ベルギー]]や[[オランダ]]の[[公使]]として活躍し、[[1891年]]に子爵に叙され、[[1904年]]には貴族院議員に任命された。



[[Category:細川氏|なかおかもりよし]]

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[[Category:足利|なかおかもりよし]]

[[Category:細川氏]]

[[Category:足利氏]]

[[Category:日本の外交官]]

[[Category:日本の華族]]

[[Category:日本の国会議員 (1890-1947)]]

[[Category:1842年生]]

[[Category:1906年没]]


2007年8月16日 (木) 02:46時点における版


  1842 - 1906  

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