鴨祐之
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鴨 祐之︵かも の すけゆき、1659年︿万治2年﹀- 1723年3月5日︿享保8年1月29日﹀︶は、江戸時代前期から中期の国学者、神職である。本姓は賀茂県主氏。家名は梨木、号は桂斎。
経歴・人物[編集]
鴨祐永の子として京都に生まれる。若くして下鴨神社︵賀茂御祖神社︶の禰宜となり、正三位に叙せられた。後に山崎闇斎の門人となり、垂加神道や国学を学ぶ。 1694年︵元禄7年︶に、下鴨神社の衰退に陥った事を朝廷に申して、16世紀初期から中断していた同神社の﹁葵祭﹂の再興に携わり、垂加神道における代表的な神職となった。同時期に和歌古学もよくし、多くの著書を刊行した。没後、西園寺︵京都市上京区︶に祐之の墓が建てられた。孫に鴨祐為︵梨木祐為︶がいる。主な著作物[編集]
- 『大八洲記』
- 『神代和解』
- 『日本逸史』- 全40巻からなる『日本後紀』の残欠書。