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﹃わが西遊記﹄︵わがさいゆうき︶は、中島敦の未完とされている小説の連作[1]。﹁悟浄出世﹂と﹁悟浄歎異―沙門悟浄の手記―﹂の短編2編が書かれ、各々の末に﹁―﹁わが西遊記﹂の中―﹂と書かれていることから、﹃わが西遊記﹄と総称されている。
﹃西遊記﹄を題材に、沙悟浄を主役とし、中島敦は﹁僕のファウストにする﹂という意気込みで書き[2]、﹁ファウストやツァラトゥストラなど、余り立派すぎる見本が目の前にあるので、却って巧く行きません﹂とも伝えている[2]。
1941年︵昭和16年︶5月8日の田中西二郎宛の葉書と、同年6月深田久弥宛の書き置き︵名刺の裏表︶に、﹁西遊記︵孫悟空や八戒の出てくる︶を始めています﹂とある[2]。
﹁悟浄出世﹂と﹁悟浄歎異﹂は共に、1942年11月、今日の問題社発行の﹃南島譚﹄にて初出である[2]。
悟浄出世[編集]
草稿・原稿は一切残されていない。1942年︵昭和17年︶初夏に、中央公論社の編集者が﹁弟子﹂と共に受け取っていることから、この頃脱稿したと推測される[2]。
悟浄は独り言の多い精神的に不安定な人物とされ、最後の救いの綱として天竺への旅に向かうことになる。
悟浄歎異―沙門悟浄の手記―[編集]
草稿及び完成浄書原稿が存在するが、2つは大きく異なる。浄書原稿は表題ページも含めて400字詰原稿用紙33枚で、丸善のものを使用している。下部欄外に、1から32までのノンブルが自筆で打たれ、32枚目末尾に﹁昭十四・一・十五﹂と中島自身が書いているが、それは赤鉛筆の2本線で打ち消されている[2]。
本作では、悟浄出世にあるような精神的な不安定さは表現されず、冷静な目で孫悟空、三蔵法師、猪八戒を分析している。
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主要作品 |
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習作(学生時代) |
- 下田の女
- ある生活
- 喧嘩
- 蕨・竹・老人
- 巡査の居る風景
- D市七月叙景(一)
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習作(遺稿・草稿) |
- 北方行(未完)
- プウルの傍で
- 無題
- セトナ皇子(仮題)
- 妖氛録
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歌稿 その他 |
- 和歌でない歌
- 河馬
- Miscellany
- 霧・ワルツ・ぎんがみ
- Mes Virtuoses (My Virtuosi)
- 朱塔
- 小笠原紀行
- 漢詩
- 訳詩
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雑纂 |
- 文芸部部史
- 新古今集と藤原良経
- 鏡花氏の文章
- 十年
- どのスポーツが好きか
- お国自慢
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論文 |
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翻訳 |
- パスカル
- スピノザの虫
- クラックストン家の人々
- 罪・苦痛・希望・及び真実の道についての考察
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関連項目 |
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関連カテゴリ |
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関連プロジェクト |
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