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音楽的特徴[編集]
●1stアルバムは専任のヴァイオリン奏者が存在していて、初期の頃からデスメタルにメロディを導入しようと試行錯誤していたことが窺える。ただ全てにおいてこの試みが成功していたわけではなく、ヴァイオリンによるメロディアスなパートとデスメタル部分の融合には至っていないが、その後の成長を感じさせるような部分もある。
●続く2ndアルバムでは専任のヴァイオリン奏者が脱退し、エントゥームド、ディスメンバーに通ずる典型的なデスメタルの音になっている。この頃からデスメタルに叙情的なメロディを導入し始めるが、基本的には変拍子や不気味なスケールを前面に出しており、90年代後半から広まった所謂メロディックデスメタルとは方向性が異なる。このアルバムでボーカルのトーマス・リンドバーグは典型的なデスボイスから脱却し、泣き叫ぶようなボーカルスタイルに変化している。プロデュースはトマス・スコッグスベルグによる。
●3rdよりプロデューサーがヨーテボリのスタジオ・フレッドマンのフレドリック・ノルドストロームに交代。以前の作品よりサウンド・プロダクションに改善が見られ、また作曲もビョーラー兄弟がメインで担当するようになり、よりストレートかつメロディアスな曲構成への変遷が見られる。1stの頃のようにヴィオラやチェロを導入しているが曲中に絡ませるわけではなく、弦楽器による叙情性のあるイントロからアグレッシブな展開に移行させるように用いられた。
●4thアルバムではスラッシュメタルの色を強め、特にスレイヤーの影響を感じさせる重たく小刻みなリフが多くなり、アルバム全編にわたって畳み掛けるような構成になっている。サウンド・プロダクションも大きく向上し、アグレッシブさと叙情的なメロディとの融合を成し遂げた。
●5thアルバム以降は4thアルバムまでの音楽性をさらにメロディアスに、そして攻撃的に進化させている。この頃になると、デスラッシュ風の曲が多くなった。
メンバーのアット・ザ・ゲイツ以外の活動[編集]
●アット・ザ・ゲイツ活動中からメンバーは各々プロジェクト活動を行っていた。まずアンダース・ビョーラー、ヨナス・ビョーラー、エイドリアン・アーランドソンの3人は1994年に当時リハーサル・ルームをシェアしていたディセクションのジョン・ノトヴェイトと共にテラーというプロジェクトを結成するが、結局デモを作成したのみに終わる。アット・ザ・ゲイツ解散後、その3人はパトリック・ヤンセンと共にザ・ホーンテッドを結成する。エイドリアン・アーランドソンは1999年にザ・ホーンテッドを脱退し、クレイドル・オブ・フィルスに加入。2006年まで活動し、その後は、パラダイス・ロストに加入した。
●トーマス・リンドバーグ、エイドリアン・アーランドソンの2人は1994年にクラストコアバンドのスキットシステムを結成。トーマス・リンドバーグはボーカルの他にギターも担当している。1995年にアット・ザ・ゲイツが4thアルバム﹃Slaughter of the Soul﹄のレコーディング中に同機材を使用してフレドリック・ノルドストローム、アンダース・ビョーラーのエンジニアの元、EPのレコーディングを行ったりもした。その後、何枚かのEPをリリースしたが、1997年暮れにエイドリアン・アーランドソンはザ・ホーンテッドの活動が忙しくなり脱退。その後サイドプロジェクトではなく本格的に活動し始めアメリカ、ヨーロッパにツアーを行ったり、ナザムとのスプリットEPをリリースしたりしたが、トーマス・リンドバーグは他のプロジェクト活動が忙しくなり結局2004年春に脱退した。
●トーマス・リンドバーグはスキットシステムの他に、1995年にはセレモニアル・オースのアルバム﹃Carpet﹄に参加︵当時イン・フレイムスのアンダース・フリーデンが在籍していて、イェスパー・ストロムブラードもゲスト参加している︶、1998年にはクラストコアバンドディスフィアーに参加、ギリシャのナイトレイジ︵ファイアーウインドのガス・Gが在籍していた︶にも参加。2001年にはザ・クラウンに加入し5thアルバム﹃Crowned In Terroer﹄のレコーディングに参加したが2002年には脱退。2000年にはナパーム・デスのシェーン・エンバリーらとのグラインド・コアプロジェクトロック・アップに参加。他にも様々なプロジェクトで活動している。
●1993年に脱退したアルフ・スヴェンソンは脱退したものの2ndアルバムのレコーディングには参加。脱退後はOxiplegatzという、実験的色合いの強いブラックメタル・プログレッシブメタルプロジェクトを立ち上げて活動していた。1stアルバムには、アット・ザ・ゲイツの1stアルバムに参加したヴァイオリニスト、イェスパー・ヤロルドも参加している。また、このプロジェクトの他にタトゥー・アーティストとしても活躍している。
●2ndアルバム以前は、アンダース・ビョーラーとアルフ・スヴェンソンの2人を中心に作曲を行い、作詞は、トーマス・リンドバーグかアルフ・スヴェンソンが担当していた。アルフ・スヴェンソン脱退後は、アンダースとヨナスのビョーラー兄弟を中心に作曲が行われるようになり、作詞は全曲トーマス・リンドバーグが行うようになった。
●1stアルバム、2ndアルバムはピースヴィル・レコード傘下のデフ・レコードよりリリースされ、3rdアルバムはピースヴィルよりリリースされたが、いずれもピースヴィルより再発されている。
●2002年には4thアルバムに未収録曲、カヴァー曲、デモテイク︵チューニングがリリーステイクと異なる︶を追加、2006年にはアルバム制作時のことを振り返った談話や当時のプロモーションビデオを収録したDVDを更に追加し、イヤーエイク・レコードより再発された。また、このDVD付きのものは、トイズファクトリーから、日本盤もリリースされた。
●日本では、1st~3rdがポニーキャニオンから、4thアルバムがトイズファクトリーから日本盤がリリースされていたが、現在は、前述の4thアルバム再発盤を含めて、すべて廃盤になっている。特にポニーキャニオン盤は、現在入手困難である。
●デモEP﹃Gardens of Grief﹄は1991年にドロレス・レコードよりアナログレコード盤がリリースされた。始めてCD音源となったのは、1995年のブラック・サン・レコードによる再発盤である。また2004年にはトーマス・リンドバーグ、アルフ・スヴェンソンがアット・ザ・ゲイツ結成前に在籍していたグロテスクとのスプリット盤として再発された。またピースヴィル・レコードからも﹁Souls of the Evil Departed﹂﹁All Life Ends﹂の2曲のみ収録した7"EPが666枚限定でリリースされた。
●1996年の解散前は一度も来日することはなかったが、メイン・ソングライターのビョーラー兄弟が在籍しているザ・ホーンテッドでアット・ザ・ゲイツの曲が演奏される事があり、過去のザ・ホーンテッドの日本公演で﹁Blinded By Fear﹂(﹃Slaughter of the Soul﹄収録)が演奏された事があった[10]。また、再結成後の2008年には、アット・ザ・ゲイツとしての来日が実現している[11]。
●アット・ザ・ゲイツが3rdアルバム、4thアルバムでレコーディングを行ったスウェーデン、ヨーテボリにあるスタジオ・フレッドマンとプロデューサーのフレドリック・ノルドストロームはその後、シーンを牽引したイン・フレイムス、ダーク・トランキュリティ、アーチ・エネミーらの作品を多く手掛けたことから、彼らの下へ世界各地のヘヴィメタルバンドが次々とレコーディングに訪れるようになった。
●アーチ・エネミーのドラマーであるダニエル・アーランドソンはエイドリアン・アーランドソンの実弟である。
メンバー[編集]
現メンバー[編集]
●トーマス・リンドバーグ (Tomas Lindberg) - ボーカル (1990-1996、2007-2008、2010-)
●アンダース・ビョーラー (Anders Björler) - ギター (1990-1996、2007-2008、2010-2017、2022-)
●マーティン・ラーソン (Martin Larsson) - ギター (1993-1996、2007-2008、2010-)
●ヨナス・ビョーラー (Jonas Björler) - ベース (1990-1992、1993-1996、2007-2008、2010-)
●エイドリアン・アーランドソン (Adrian Erlandsson) - ドラムス (1990-1996、2007-2008、2010-)
旧メンバー[編集]
●アルフ・スヴェンソン (Alf Svensson) - ギター (1990-1993)
●ヨナス・ストールハマール (Jonas Stålhammar) - ギター (2017-2022)
●トニー・アンダーソン (Tony Andersson) - ベース (1992)
●1stアルバム﹃The Red in the Sky Is Ours﹄の裏ジャケットにクレジットされているが、アルバムには参加していない。
タイムライン[編集]