コーラス (ポピュラー音楽)
コーラスは、合唱を意味する音楽用語である[1]。ポピュラー音楽におけるコーラスとは、メイン・ヴォーカルに対比して用いられる言葉で、主旋律を歌う者に対して、その後ろで、補助的に歌を歌う、または、ハミング等で唱和することを言う。そのようなコーラスを担当する人物を称してコーラスと呼ぶことも多い。
また、ア・カペラのように、コーラス︵合唱ないし重唱︶を主体とする場合もあり、そのような場合には、メイン・ヴォーカルとバックグラウンド・ヴォーカルとを区別せずに、コーラスと呼ぶこともある。また、そのようなコーラスをするグループを、コーラス・グループやクワイア︵本来は聖歌隊の意︶という。
英語圏では主にバッキング・ボーカル︵英: backing vocal︶と称され、担当する人物をバッキング・ボーカリスト︵英: backing vocalist︶[注釈 1]と呼ぶ。また、英語圏でコーラス︵英: chorus︶は日本におけるサビ及びリフレイン形式を意味する。
日本のポピュラー音楽のコーラス[編集]
日本のポピュラー音楽においては、1970年代初頭から、赤い鳥︵のち、コーラスグループのハイ・ファイ・セットとデュオの紙ふうせんに分裂︶、チューリップ、オフコースなど、コーラスを重視するグループが多く存在した。しかし、ソロ歌手では、スタジオ・ミュージシャンやバックバンドとしてのコーラスがほとんど存在しなかったこともあり、荒井由実︵ハイ・ファイ・セット、山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子、シンガーズスリー、タイムファイヴ、伊集加代子などが参加︶などの例外的なケースを除いて、1970年代末まで、コーラスを積極的に用いる例はあまりなく、コーラスを専門に行う主要なスタジオ・ミュージシャンとしては、山川恵津子、比山清︵貴咏史︶、木戸やすひろ︵泰弘︶、くらいしか登場しなかったが、この3名による混声コーラスはスタジオ界に旋風を巻き起こした。 このような状況を変えるきっかけともなったのは、1980年12月に山下達郎が発表した﹃ON THE STREET CORNER﹄であろう。これは、基本的に山下1人︵吉田美奈子も1曲に参加︶による、ア・カペラ・アルバムで、それまで、コンサートのために録りためていた作品をまとめたものであった。1980年には、シングル﹁Ride on Time﹂が大ヒットしており、この時期を逃したなら、二度とこのような特殊なアルバムを制作することなどかなわない︵レコード会社が認めてくれない︶と、本人の希望で急遽制作されたとも言われる。 1970年代から、自分の作品︵レコード︶に多重録音によって自分の声をのせるということはなされていた。しかし、フォークの例などでは、あまり質は高くなく、また、山下達郎、竹内まりや、八神純子、合唱団の経験が長い山本達彦などの例は、質は高いが、数も少なく、全体から見れば、ごく例外的なものであった。 しかし、必ずしもこのアルバムがその唯一の理由とまではいえないが、1980年以降は、状況は大きく変わり、自分自身による多重コーラスは、当然のものとなっていった。そのようなアーティストとしては、杉真理、安部恭弘、EPO、村田和人、楠瀬誠志郎など、枚挙に暇がない。 1990年代を迎え、ビーイングの女性アーティストが、今日のJ-POPのような、多重コーラスも楽器の一環として扱うサウンド・メイキングにいち早く取り組み、完成度も高かった。90年代中盤より、大黒摩季や宇徳敬子といった女性シンガーソングライターがコーラス・アレンジも自ら手がけ、なおかつ自身の声を多重録音する手法の基礎をJ-POPにおいて確立させた。今日では、アイドルとアーティストの差別化の一環として、作詞や作曲以外にも自身のコーラスが重視される傾向にもある。 バンド形式のアーティストの場合、先の場合のほか、他の担当︵ギター、ベースなど︶が兼任する場合も多い。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ その他、backing singer、backup singer、background singer、harmony vocalistなど
出典[編集]
関連項目[編集]
- 合唱
- 重唱
- ア・カペラ
- マルチトラック・レコーダー 一人多重唱を可能にする装置