サンドクリークの虐殺
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サンドクリークの虐殺 | |
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地域 | アメリカ合衆国コロラド州カイオワ郡 |
座標 | 北緯38度32分27秒 西経102度31分43秒 / 北緯38.54083度 西経102.52861度座標: 北緯38度32分27秒 西経102度31分43秒 / 北緯38.54083度 西経102.52861度 |
サンドクリークの虐殺は、1864年11月29日にアメリカのコロラド地方で、北軍︵アメリカ軍︶が無抵抗のシャイアン族とアラパホー族インディアンの村に対して行った、無差別虐殺。
虐殺直前の9月28日にはデンバーではシャイアン族、カイオワ族、アラ パホー族の酋長達との和平会談が開かれていた
1864年9月28日、州を挙げた﹁インディアン皆殺し政策﹂が進められる中、コロラド準州デンバーにある米軍のウェルド基地で、周辺のシャイアン族やカイオワ族、アラパホー族インディアンの酋長と、コロラド準州のジョン・エバンズ知事、ジョン・チヴィントン大佐ら、同地の白人高官との和平会談が開かれた。
酋長たちは一台の馬車でデンバーの町にやって来た。周辺では苛烈なインディアンと白人の殺し合いが続いていたが、デンバーの白人たちの何人かは家の外まで出てきて彼らを出迎えた。シャイアン族からはモケタヴァト︵ブラック・ケトル︶、ホワイトアンテロープ、ラーンベアー、リトルウルフ、トールベアーの5酋長が出席した。
和平協議では、インディアンによる襲撃について白人側から抗議が出され、シャイアン族の酋長の一人ブラックケトルは白人たちに対し、﹁自分は心から白人との平和を願っているし、血気にはやる若い戦士たちを抑えられなかったことは残念に思う。今後そういうことのないよう、出来るだけ努力する﹂と答えた。
彼ら酋長たちは、彼らのバンド︵集団︶を説得して、実際に以後アーカンソー川沿いの米軍のライアン基地近くへ異動させた。駐屯地の白人指揮官らは彼らに食糧を与え、﹁どこか遠くの狩りで暮らせる場所へ移れ﹂と命令した。ブラックケトルの属するシャイアン族の集団は、サンドクリークの湾曲する流れのそばにティーピーを建て、野営を築いた。ブラックケトルとホワイトアンテロープらは彼らの部族員と協議を行った。交戦派の意見が優勢だったが、一部は和平派のブラックケトルに賛同し、この和平派の野営に残った。
シャイアン族のモケタヴァト︵ブラックケトル︶酋長
モケタヴァト︵黒い薬缶、ブラックケトル︶は、シャイアン族の温厚な酋長だった。彼は和平会談で表明したとおり、白人との対立を望まず、和平を結びたがった老賢者だった。
アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり、﹁首長﹂や﹁族長﹂のような権力者は存在しない。白人が﹁指導者﹂だと思っている﹁酋長﹂︵チーフ︶は、実際には﹁調停者﹂であって、﹁部族を率いる﹂ような権限は持っていない。インディアンは﹁大いなる神秘﹂のもと、すべてを﹁聖なるパイプ﹂とともに合議で決定するのであって、個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。
しかし白人たちは、インディアンとの条約交渉の際に、﹁酋長﹂を﹁代表﹂、﹁指導者﹂だと勘違いして、彼らと盟約することによって全部族員を従わせようとした。しかしこれは全くの思い違いであり、酋長は和平の提案はするだろうが、それはあくまで調停であって、部族民を従わせたり、強制するような立場ではない。そんな立場はインディアンの社会には存在しないのである。
白人はブラックケトルを﹁大指導者﹂だと勘違いしているから、彼個人の意思がシャイアン族の総意だと思い込んでいる。ブラックケトルは﹁調停者﹂として﹁最大限の努力﹂を約束しているのだから、これ以上の要求はもはや無理難題でしかないのだが、白人たちにはこれが全く理解できなかった。
虐殺を指揮したジョン・チヴィントン大佐
米軍コロラド軍管区の指揮官ジョン・チヴィントン大佐は、もともとはキリスト教メソジスト派の牧師だった。のちに従軍牧師になり、やがてインディアン絶滅を力説する好戦的な軍人となった。また現役の協会長老だった。
この年の州議会総選挙で、彼は州議員候補に名乗りを上げていた。チヴィントンは選挙演説で、インディアン嫌いを隠そうともせず、次のような言葉を残している[1]。
インディアンに同情する奴は糞だ!... 私はインディアンを殺さなければならない。そして神の天国のもとではどのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。
チヴィントンはインディアンをシラミに喩えるのが好きだった。彼は﹁事件﹂の数か月前に、白人大衆を前にこうも演説している。
小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから。
この言い回しは、チヴィントンのお気に入りのもので、彼の軍隊のキャッチフレーズになった。これはナチス・ドイツのハインリッヒ・ヒムラーの、特定民族のジェノサイドについて﹁シラミを駆除するのと同じこと﹂とした発言に、半世紀先駆けるものだった。
この血に飢えた虐殺者も、インディアンの文化が理解できていなかった。チヴィントンにはブラックケトルが﹁大指導者﹂に見えていた。﹁インディアンを殺すなら、まず大指導者から﹂と、チヴィントンはその偏見に満ちた頭で考えたのである。
赤銅色の反逆者どもを殺すことこそ、平和と平穏を達成する唯一の道だという考えに、私は十分に満足している。