シーサイド・バウンド
「シーサイド・バウンド」 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ザ・タイガース の シングル | |||||||||||
初出アルバム『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』 | |||||||||||
B面 | 星のプリンス | ||||||||||
リリース | |||||||||||
録音 |
1967年3月8日(シーサイド・バウンド)[1] 1967年3月9日(星のプリンス)[1] | ||||||||||
ジャンル | グループ・サウンズ(GS) | ||||||||||
時間 | |||||||||||
レーベル | 日本グラモフォン | ||||||||||
作詞・作曲 |
橋本淳(作詞) すぎやまこういち(作曲) | ||||||||||
チャート最高順位 | |||||||||||
| |||||||||||
ザ・タイガース シングル 年表 | |||||||||||
| |||||||||||
|
﹁シーサイド・バウンド﹂は、1967年5月5日に発売されたザ・タイガースの2枚目のシングル。
解説[編集]
デビュー・シングル﹁僕のマリー﹂に続いて作詞は橋本淳、作曲はすぎやまこういちのコンビである。この頃はまだメンバー全員が合宿生活を送っていた︵当シングル盤のライナーノーツにも﹁現在は同じ家に住み、合宿生活を送っています﹂とある︶。 1967年5月31日にはまゆう丸にて正式発表会が行われた[2]。 40万枚を売り上げたこのシングルの大ヒットによりザ・タイガースの人気は決定付けられた[3]。﹃ヤング・ミュージック﹄︵集英社︶のランキングでは、1967年9月号で最高位となる2位を獲得した[4]。 テイチクエンタテインメントから2007年3月21日に発売されたCDアルバム﹁GSフォーエヴァー100﹂の解説欄には﹁50万枚を超えるセールスを記録して彼らの人気を決定づけた﹂とある。 曲目にある﹁バウンド﹂とは、当時で言う﹁ニュー・リズム﹂の一環として作られたものである。1960年代には主に夏季向け商品として、各々に工夫をこらした﹁ニュー・リズム﹂が、歌と踊り︵ステップ︶をセットにして、各レコード会社から競い合うかのように売り出されていた。﹁ニュー・リズム﹂には、海外から輸入されたもの︵1968年に流行したブーガルーもそのひとつ︶もあれば、日本で洋風に作られたオリジナルのものもあったが、もちろん﹁バウンド﹂は後者で、阿波踊りのリズムにヒントを得たとも、また鞠つきにヒントを得たとも言われている。ステップの振り付けは土居甫[5]。 ﹁シーサイド・バウンド﹂を録音した同日の1967年3月8日には、シングル候補曲として﹁白いブーツの女の子﹂の録音も行われている[1]。﹁白いブーツの女の子﹂は、1990年発売の﹃ザ・タイガース / PERFECT CD BOX﹄(10枚組︶内のアルバム﹃レジェンド・オブ・ザ・タイガース﹄に収録された。 タイトル曲﹁シーサイド・バウンド﹂は、発売から約20年後の1986年、ドラマ﹃やったぜベイビー!﹄︵日テレ系︶の主題歌に起用される。また、Jリーグ・湘南ベルマーレの応援歌としても知られる。収録曲[編集]
- シーサイド・バウンド [02:47]
- 星のプリンス [03:28]
カバー[編集]
脚注[編集]
(一)^ abc磯前順一﹃ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた﹄集英社︵集英社新書︶、2013年、82頁。ISBN 978-4-08-720714-9
(二)^ ﹃ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた﹄88頁。
(三)^ ﹃ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた﹄86-87頁。
(四)^ 磯前順一・黒崎浩行︵編著︶﹃ザ・タイガース研究論 昭和40年代日本のポピュラー音楽の社会・文化史的分析﹄近代映画社、2015年、52頁。ISBN 978-4-7648-2412-6。
(五)^ 50年前の今日1967/3/8はザ・タイガースが2ndシングル﹁シーサイド・バウンド﹂をレコーディングした日︻大人のMusic Calendar︼ニッポン放送 NEWS ONLINE 2017-03-08