ジェームズ5世 (スコットランド王)
ジェームズ5世 James V | |
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スコットランド国王 | |
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在位 | 1513年 - 1542年 |
戴冠式 | 1513年9月21日、スターリング城 |
出生 |
1512年4月10日 スコットランド王国、リンリスゴー宮殿 |
死去 |
1542年12月14日(30歳没) スコットランド王国、フォークランド宮殿 |
埋葬 |
1543年1月 スコットランド王国、ホリールード寺院 |
配偶者 | マデリン・オブ・ヴァロワ |
メアリ・オブ・ギーズ | |
子女 |
メアリー1世 ジェームズ・ステュアート |
家名 | ステュアート家 |
王朝 | ステュアート朝 |
父親 | ジェームズ4世 |
母親 | マーガレット・テューダー |
ジェームズ5世︵James V, 1512年4月10日 - 1542年12月14日︶は、スコットランド王︵在位‥1513年 - 1542年︶。ジェームズ4世とイングランド王ヘンリー7世の娘︵ヘンリー8世の姉︶マーガレット・テューダーの子。
生涯[編集]
父ジェームズ4世のフロドゥンの戦いでの死により、生後1年5ヶ月でスターリング城にて即位した[1]。幼年期には母、次いでジェームズ2世の孫︵ジェームズ5世の従叔父︶にあたり王位継承権第2位のオールバニ公ジョン・ステュアートが摂政を務めた[2]。1525年に義理の父親︵母マーガレットの2度目の夫︶アンガス伯アーチボルド・ダグラスが後見人となったが、実際にはジェームズ5世は軟禁状態に置かれた[3]。1528年にこれを逃れ、親政を開始した[4]。 ジェームズ5世はフランスとの古い同盟を更新し、1537年1月1日にフランス国王フランソワ1世の王女マデリン︵マドレーヌ︶とパリのノートルダム寺院にて結婚する。しかしマデリンは、結婚後数ヶ月後にホリールード宮殿で結核で病没した[5]。 1538年6月、フランスの大貴族である初代ギーズ公クロードの長女メアリー︵マリー︶とセント・アンドルーズで結婚する。2人の間には長男ジェームズ、次男アーサーが生まれるが、2人とも1歳を待たずして1541年4月に夭折した[6]。 1541年にイングランド出身の母が死去すると、もはや和平を保つべき理由も薄れ、ついにイングランドの戦争が勃発した。ローマ・カトリック教会から離脱したヘンリー8世は甥のジェームズ5世にもカトリックからの離脱を強要したが、ジェームズ5世は教会の改革をひどく嫌った。1542年11月、国境近くのソルウェイ湿原の戦いで敗北し[7]、フォークランド宮殿へ帰ったジェームズ5世はそのまま熱病に倒れた[8]。12月8日、王妃メアリーが女子︵女王メアリー1世として王位を継承︶を出産した知らせを聞くが、回復することなく6日後の14日に死去した[9]。子女[編集]
メアリ・オブ・ギーズとの間に2男1女が生まれた。 ●ジェームズ︵1540年5月22日 - 1541年4月︶ ●アーサー︵ロバート︶︵1541年4月︶ - 生まれて8日後に死去 ●メアリー︵1542年 - 1587年︶ - スコットランド女王 さらに身分が低いマーガレット・アースキンとの間に1男が生まれた。- ジェームズ・ステュアート(1531年 - 1570年) - 庶長子でマリ伯