コンテンツにスキップ

ソウル市電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソウル電車[1]
  
ソウル市電の単車(1949年)
各種表記
ハングル 서울전차
漢字 서울電車
発音 ソウルジョンチャ
日本語読み: ソウルでんしゃ
テンプレートを表示




[]

[]


1897218951896使

150 (Henry Collbran)(Harry Rice Bostwick)75751518981895

[]


189948西 - 西81600V1067mm

1

4(1900)5189[2][2][2]

調調調

1909[3]1910

[]


19101942



193033001945100使

[]


1950

195152201950(ICA)[4]1961

 

1960196792051968416196811305
363426
381467

2363381363[5]381姿[6]

2023調[7]

年表[編集]


2 1. 26 (1898 



5 06.17(1901)  (28,  )

6 01.04.(1902)  

( 

1904 

1945815 - 

1950 - 

195262 - 

195273 - 

196171 - 3

1963530 - 8

1965 - 35

196661 - 

19681130 - 

[]

[]


 

 - 66 - 44 -  - 5 -  -  - 

 -  -  - 4 -  - 西 - 

 - 6

 - 4 - 4

 -  -  -  - 

5 -  - 西 - 

 - 

 - 

[]


4 - 4

6 - 

 -  - 

[]













[]

  1. ^ 朝鮮語版ウィキペディアでは「ソウル市電」(서울시전)ではなく「ソウル電車」(서울전차)となっていたので、テンプレートの各種表記でもこれに従うこととする。
  2. ^ a b c 京城府史 京城府 1934年
  3. ^ 『渋沢栄一伝記資料』第54巻  渋沢栄一伝記資料刊行会刊 第6章 対外事業 第1節 朝鮮 第1款 日韓瓦斯株式会社(承前)(日韓瓦斯電気株式会社) 明治42年6月16日 是ヨリ先、当会社、京城ニ於テ電車・電灯事業ヲ経営スル韓美電気会社ヲ買収セントスル議アリ、是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、同会社社長ヘンリー・コールブラン及ビ当会社専務取締役岡崎遠光等ト会シ、右件ニ関シ要談ス。翌十七日栄一、韓国統監曾禰荒助及ビ前統監伊藤博文ヲ訪ヒ、右ニ関スル経過ヲ報告シテ諒諾ヲ得。 明治42年6月24日 是日、横浜インターナショナル銀行ニ於テ、韓美電気会社買収ニ関スル契約書ノ調印ヲ了シ、七月二日、当会社大株主会ニ於テ、栄一之ヲ報告ス。次イデ同月二十一日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、栄一、議長トナリテ議事ヲ司宰シ、右買収ノ件及ビ之ニ伴フ定款改正ノ件、承認セラル。右定款改正ニヨリ、当会社社名ハ、日韓瓦斯電気株式会社ト改メラル。
  4. ^ 10両が導入され、8両はソウル、残る2両は釜山に、それぞれ配置された
  5. ^ 旧ソウル市電の保存車両の写真(韓国の地下鉄・都市鉄道サイト内)
  6. ^ ソウル電車381号、41年前の姿で登場 2009年9月15日中央日報
  7. ^ 日帝、朝鮮の「王の階段」をコンクリートで覆い…宮殿遺産への「テロ」 2023年5月16日ハンギョレ

外部リンク[編集]