ダルタニャン
ダルタニャン︵仏: d'Artagnan、1615年? - 1673年6月25日︶は、ブルボン朝時代に活躍したフランスの軍人。ダルタニアン、ダルタニヤンなどと表記されることもある。
生家のシャトー・ド・カステルモア︵Chateau de Cast elmore︶
パリでダルタニャンの像
本名はシャルル・ド・バツ=カステルモールであるが、本人はシャルル・ダルタニャンを、また爵位を持っていなかったがダルタニャン伯爵を名乗っていた。というのも、近衛歩兵連隊のカラーガードだった母方の祖父、ジャン・ダルタニャンの存在があったので﹁ダルタニャン﹂の方が通りが良かったため[1]。
1615年ごろ、ガスコーニュで誕生する。次男だったとも、四男とも言われるが、いずれにせよ長男ではなく、家督の相続権もないため1630年頃、10代半ばでパリに上京した。1633年時点の銃士隊の閲兵記録に名前があり、この頃から銃士として活動していたと見られる。
1646年の銃士隊解散後はジュール・マザランの腹心として、伝令役のような仕事を務める。1656年にはマザランの後ろ盾もあり、近衛歩兵連隊の隊長代理の辞令を受ける。
1657年、ルイ14世の下、銃士隊が再結成される。翌年、前任の隊長代理補が辞職すると、ダルタニャンがこの職に就任した。銃士隊の隊長は︵形式的にではあるが︶フランス国王が就任することになっていたことと、また実質的な隊長代理であるマザランの甥はフランスにおらず、イタリアで過ごすことが多かったため、ダルタニャンが実質的な銃士隊長に就任したことになる。
1661年にはニコラ・フーケの逮捕命令を執行した。これから後、フーケの裁判が終わるまでフーケの警護なども担当する。この間のエピソードであるが、1664年にフーケの護送中、通り道にフーケの妻子を発見する。このときダルタニャンは﹁馬車を止めてはならない﹂との命令を受けていたが、部下に馬車をもっとゆっくり走らせるように指示をした。これによって、フーケは数年ぶりに妻子と抱擁する時間を得たという。
この後も順調に出世を重ね、1667年には銃士隊の隊長代理に、1670年にはリールの総督に就任している。1673年6月25日、仏蘭戦争のマーストリヒト包囲戦で頭に被弾し戦死した。
ダルタニャン
ダルタニャンをモデルにした創作で最も早いと思われるものは、かつてダルタニャンの下で銃士をしていた文人クールティル・ドゥ・サンドラスの執筆した偽回想録﹃ダルタニャン氏の覚え書き﹄で、初版が1700年に出版されている。これを種本として創作されたのが、アレクサンドル・デュマ・ペールの﹃ダルタニャン物語﹄である。
﹃ダルタニャン物語﹄においては、史実のダルタニャンより年齢は10歳ばかり年上の1605年生まれとされている。これは、1627年から始まったラ・ロシェルの包囲戦にダルタニャンを参加させるためである。
史実のダルタニャンと同じく、少年時代のダルタニャンはパリに上京して銃士となる。アトス、ポルトス、アラミスら三銃士と友人になり、リシュリュー枢機卿の陰謀を打ち破る。中年期以降は、それぞれの立場の違いから、親友の三銃士と敵対することも増え始める。
たびたび﹁小柄でやせぎす﹂と描写されているが、50歳を過ぎた時点ですらかなりの戦闘能力を発揮しており、ポルトスほどではないが膂力の強い部類に入る。﹁ラテン語を一向に覚えられなかった﹂と発言しており、アラミスの話す神学の話をほとんど理解できていないことから、教養にはうといようである。だが機転が利き、知恵があるタイプであり、最年少ながら三銃士らと行動するとき、作戦を立てたり、場を仕切ることも多かった。容貌としては、鷲鼻で浅黒く、髪はもともと黒だったが、苦労を重ねたためか40歳の時点で半白、50歳を超えると灰色になる。女性にはそれなり以上にはもてるが、若い頃の失敗もあったためか結婚はせず、子供ももうけていない。そのため、アトスの息子ラウルを自分の息子同様に可愛がる。
政治的には、基本的にフランス王家に忠誠を誓う立場である。ただ、史実と異なりマザランには反感を抱いており、たびたび悪口を言っている。また、20代の若さで銃士隊の副隊長にまで出世するが、アトスら三銃士が相次いで退役すると元気がなくなり、一向に昇進の機会が得られなくなる。50歳になり、ルイ14世の親政が始まると銃士隊隊長に就任、最終的にはフランス元帥にまで出世する。
概要[編集]
本名はシャルル・ド・バツ=カステルモール︵Charles de Batz-Castelmore︶であるが、通称のダルタニャンの方が有名である。軍人としての活躍は歴史に名前を残すほどではないが、アレクサンドル・デュマ・ペールが﹃三銃士﹄を始めとする﹃ダルタニャン物語﹄で描いた創作上の人物としての知名度が高い。小説でダルタニャンが登場する場合、ファーストネームは﹁シャルル﹂になっていることが多い。これは史実のダルタニャンにちなんだものと考えられる。しかし、﹃ダルタニャン物語﹄においては、ダルタニャンのファーストネームは明らかにされておらず、﹁シャルル﹂と名乗るシーン、呼ばれるシーンは存在しない。史実のダルタニャン[編集]
デュマのダルタニャン[編集]
派生作品など[編集]
●三銃士 (ミュージカル) ●エドモン・ロスタンの﹃シラノ・ド・ベルジュラック﹄では、冒頭にダルタニャンが登場する。 ●佐藤賢一の小説﹃二人のガスコン﹄は、﹃ダルタニャン物語﹄の空白期間、30代のシャルル・ダルタニャンとシラノ・ド・ベルジュラックを主人公としている。 ●藤本ひとみ﹃新三銃士・ダルタニャンとミラディ﹄では、﹃三銃士﹄のストーリーをミラディ視点で描いた小説である。ダルタニャンの本名が﹁シャルル・ドゥ・バーツ・カステルモル﹂になっている。 ●赤川次郎﹃華麗なる探偵たち﹄シリーズでは、剣術の達人であるが、自分のことをダルタニアンだと信じている精神病患者が登場し、主人公とともに事件の解決に当たる。 ●荒山徹﹃友を選ばば﹄では、英仏にまたがる陰謀に巻き込まれるなか、ある使命を帯びて渡欧した隻眼の剣士と邂逅し、友誼を結ぶ。 ●PONOSのゲーム﹁にゃんこ大戦争﹂では﹁英傑ダルターニャ﹂というキャラクターが存在する。﹁仲間を救うために力を尽くす気高き銃士﹂というキャラクター説明を持つ。また、類似キャラに﹁影傑ダークダルターニャ/黒傑ダークダルターニャ﹂というキャラクターもおり、﹁貫けなかった正義を追い求め彷徨うもう一匹のダルターニャ﹂﹁正義のためには犠牲もいとわない冷徹な銃士﹂となっている。脚注[編集]
(一)^ なお﹁ダルタニャン (d'Artagnan)﹂は﹁ドゥ・アルタニャン (de Artagnan)﹂がエリジオンの形態を取ったもの。参考文献[編集]
- 佐藤賢一『ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』』(岩波新書、2002年) ISBN 4-00-430771-6
- クールティル・ド・サンドラス、小西茂也訳『恋愛血風録 デュマダルタニャン物語外伝』