ナイチンゲールの歌
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﹃ナイチンゲールの歌﹄、または﹃うぐいすの歌﹄︵仏: Le Chant du rossignol ︶は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが自作のオペラ﹃夜鳴きうぐいす︵ナイチンゲール︶﹄の音楽を再構成して作った交響詩、またこれに基づく1幕のバレエ作品。
作曲の経過[編集]
モスクワ自由劇場の委嘱による3幕の歌劇﹃夜鳴きうぐいす﹄︵原作‥アンデルセン︶は、第1幕が1907年から1909年、残りの第2、第3幕が1913年から1914年にかけて作曲された。作曲が中断していた4年の間にストラヴィンスキーの作風は﹃火の鳥﹄︵1910年︶、﹃ペトルーシュカ﹄︵1911年︶、﹃春の祭典﹄︵1913年︶の作曲を経て大きく変化したため、完成した﹃夜鳴きうぐいす﹄は1幕とそれ以外の幕で様式に大きな断層が生じることとなった。 依頼主であったロシア自由劇場が完成直前に倒産したため、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはストラヴィンスキーに上演を承諾させ[1]、1914年にオペラ座で初演を行った。オペラの初演は好評であったが[2]、パリで2回、ロンドンで4回上演された後は再演されなかった[3]。 その後、ストラヴィンスキーが、同じ様式によって書かれた第2幕と第3幕をまとめて交響詩にしようと考えていたところ、1917年初めにディアギレフから﹃夜鳴きうぐいす﹄のバレエ化の提案があり[4]、これに同意した。ストラヴィンスキーは編曲にとりかかると同時に、アンデルセンの原作を元にバレエのための台本を作り直した[5]。初演[編集]
交響詩の初演は1919年12月6日、ジュネーヴにおける[6]、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏会で行われた[7]。 バレエの初演は2か月後の1920年2月2日、パリ・オペラ座におけるバレエ・リュスの公演で行われた。振付はレオニード・マシーン、ナイチンゲール役は﹃火の鳥﹄初演時に﹁火の鳥﹂役を踊ったタマーラ・カルサヴィナ。美術と緞帳はアンリ・マティス[8]、指揮は交響詩の初演と同じくアンセルメが担当し、オペラ﹃夜鳴きうぐいす﹄のためにアレクサンドル・ブノワがデザインした歌舞伎の隈取のようなメーキャップが引き続き使用された[3]。ところが、この時のマシーンによる振付は音楽のリズムを無視したものであったために、観客、ダンサー、ディアギレフのいずれにも不評であり[9]、わずか2回上演されただけでレパートリーから外されてしまった[3]。 その後、バレエ・リュスでは1925年にジョージ・バランシンによる新しい振付によって﹃ナイチンゲールの歌﹄が再演された。この時のナイチンゲール役に起用された当時15歳のアリシア・マルコワは、体重36kgの小柄な身体で見事に籠の中の鳥を演じて成功をおさめた[3]。マルコワのための衣裳は白で統一され、タイツの上にスカートをはかないという斬新なデザインであった。また、高価な白鷺の羽毛を使った帽子は予算超過となり、超過した分はストラヴィンスキーとマティスが負担した[10]。演奏時間[編集]
●約20分楽曲構成[編集]
︵作曲者によるピアノ編曲版の序文による区分︶[4] ●第1部‥中国の宮殿の祭 ●第2部‥二羽のうぐいす︵本物のうぐいすと機械仕掛けのうぐいす︶ ●第3部‥中国の皇帝の病気と回復楽器編成[編集]
オペラ版よりも縮小された2管編成。トゥッティの箇所は少なく、ソロやセクションに協奏的役割が与えられている[11]。
●フルート2︵ピッコロ1持ち替え︶
●オーボエ2︵コーラングレ1持ち替え︶
●クラリネット2︵Es管クラリネット1持ち替え︶
●ファゴット2
●ホルン4
●トランペット3
●トロンボーン3
●チューバ1
●ティンパニ
●打楽器 ︵トライアングル、タンブリン、シンバル、銅鑼、バスドラム、スネアドラム、テナードラム︶
●チェレスタ1
●ピアノ1
●ハープ2
●弦五部