ニコラス・カルドア
ポスト・ケインジアン | |
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生誕 |
1908年5月12日 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国 ブダペスト |
死没 |
イギリス イングランド ケンブリッジシャー、Papworth Everard |
国籍 | イギリス |
研究機関 |
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 欧州経済委員会 ケンブリッジ大学 |
研究分野 | 政治経済学 |
母校 | ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス |
影響を 受けた人物 | ジョン・メイナード・ケインズ |
影響を 与えた人物 |
ジョーン・ロビンソン Anthony Thirlwall |
実績 |
カルドア=ヒックス効率 カルドアの成長法則 |
ニコラス・カルドア、カルドア男爵︵Nicholas Kaldor、Baron Kaldor、1908年5月12日 - 1986年9月30日︶は、ハンガリー生まれのイギリスの経済学者。ハンガリー名はカールドル・ミクローシュ︵Káldor Miklós︶。ナイトを授与され﹁サー・カルドア﹂とも、一代貴族としてカルドア男爵に叙されたため﹁カルドア卿﹂とも呼ばれる。
略歴[編集]
●1908年 ハンガリーのブダペストにおいて、父親は弁護士である裕福なユダヤ人家庭に生まれる。2人の息子が亡くなり、娘が1人残されているところに誕生した。 ●1914年6歳から学校に通い始める。 ●1918年10歳でブダペスト大学の管理するモデル・ギムナジウムに移った。 ●1925年 ベルリン大学で18か月︵1925年10月~1927年春︶学ぶ。 ●ハンガリーの新聞の外国派遣通信員として働く。 ●1927年 イギリスに渡る。当初は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス︵LSE︶で学位を取るつもりはなく、ジャーナリストの仕事も行っていた。 ●1930年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス︵LSE︶を卒業。ライオネル・ロビンズの推薦によりresearch studentになる。 ●1932年 講師補︵Assistant)となる。 ●1934年 Clarissa Goldsmith︵Goldschmidt︶と結婚。 ●1935年 - 1936年 Rockefeller Research Fellowshipを与えられハーバード大学へ行く。 ●1941年 LSEの講師となる。 ●1942年 LSEのリーダー︵准教授︶となる。 ●第2次世界大戦中は、国民所得会計の整備やベヴァリッジ・レポートの立案などの仕事を行う。 ●1947年 LSEに休暇願を出すも許可されず、辞任の上欧州経済委員会研究・計画局の局長につく︵2年半︶。 ●1949年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジの研究員として大学に戻る。 ●1952年 ケンブリッジ大学キングズ・カレッジのリーダー︵准教授︶になる。 ●1964年 イギリス労働党のアドバイザーとなる︵1964~8年、1974~6年︶。 ●1966年 ケンブリッジ大学教授となる。 ●1974年 一代貴族をえ、カルドア男爵︵Baron Kaldor︶と呼ばれる。 ●1986年 ケンブリッジ州Papworth Everardで死去︵78歳︶。人物[編集]
●イギリス労働党のブレーンでもあり、財務大臣顧問を勤めた。彼がイギリスの経済・経済体制に与えた影響は大きい。 ●政策家としての側面だけではなく学者としてもケインズサーカスの一員とされ、経済学においてマクロ経済学を立脚させた立役者の一人である。 ●厚生経済学における補償原理はカルドアの名前を冠してカルドア・ヒックス基準と呼ばれる。 ●政策面で、イギリスのECへの加盟問題に強く反対したが、イギリスは1973年1月から加盟した。また、マネタリズムの理論的問題点を指摘して、マーガレット・サッチャーのマネタリズム政策にも強く反対した。 ●受賞こそしなかったがノーベル経済学賞候補と長年目されていた。 ●妻Clarissa Goldsmithと結婚し、ケンブリッジで生活。娘4人のうち、オックスフォード大学経済発展論教授フランセス・スチュワート、LSEのHuman Security教授メアリー・カルドアなどがいる。 ●長期的経済成長をする国を観察してまとめた6つの事実は﹁カルドアの定型化された事実﹂と呼ばれる[1][2]。日本語訳著書[編集]
単著[編集]
●﹃英國の戰時財政と國民所得﹄、杉本俊朗訳、渡辺経済研究所、1942年 ●﹃総合消費税﹄、時子山常三郎監訳、東洋経済新報社、1963年 ●﹃経済安定と成長﹄、中村至朗訳、大同書院、1964年 ●﹃マネタリズム――その罪過﹄、原正彦・高川清明共訳、日本経済評論社、1984年 ●﹃経済成長と分配理論――理論経済学続論﹄ポスト・ケインジアン叢書12、笹原昭五・高木邦彦共訳、日本経済評論社、1989年 ●﹃貨幣・経済発展そして国際問題――応用経済学続論﹄ポスト・ケインジアン叢書27、笹原昭五・高木邦彦・松本浩志・薄井正彦共訳、日本経済評論社、2000年共著[編集]
●︵M・フリードマン、R・M・ソロー共著︶﹃インフレーションと金融政策﹄、新飯田宏訳、日本経済新聞社、1972年 ●︵ルイジ・L・パシネッティ、P・A・サミュエルソン、F・モディリアニ、ジョーン・ロビンソン、ロバート・M・ソロー共著︶﹃マクロ分配理論――ケンブリッジ理論と限界生産力説﹄、富田重夫訳、学文社、1973年︵増補版1982年︶出典[編集]
- ^ Kaldor, Nicholas (1957). “A Model of Economic Growth”. The Economic Journal 67 (268): 591–624. doi:10.2307/2227704. JSTOR 2227704.
- ^ Kaldor, Nicholas (1961) "Capital Accumulation and Economic Growth." In: The Theory of Capital, ed. F. A. Lutz and D. C. Hague, 177-222, New York: St. Martines Press.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- The Scourge of Monetarism (1982)
- Biography
- Kaldor Business Cycle Model by Elmer G. Wiens