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ピーテル・ブリューゲル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピーテル・ブリューゲル
Pieter Bruegel(Brueghel)
死後に発表された肖像画(1582年)
誕生日 1525年 - 1530年
出生地 ブラバント公国ブレー
死没年 1569年9月9日
死没地 ブラバント公国、ブリュッセル[1]
芸術分野 絵画
代表作農民の踊り
子供の遊戯
雪中の狩人
影響を受けた
芸術家
ヒエロニムス・ボス
テンプレートを表示

Pieter Bruegel(Brueghel) de Oude [ˈpitər ˈbrøːɣəl], 15251530 - 15699916


[]


1604[2]

-1551[]


 (Breughel) 3Guicciardini[3]

1551Peeter Brueghels212615251530[4]

5[5]

15509155110Claude Dorizi[5]

1551-1554[]


15511552殿1552[5]

155321553 (Petrus Bruegel Fecit Romae Ao 1553)[6]

1554[6]

1554-1562[]


15551555121557[6]

西沿貿1560360156989,000[4]

1559brueghelBRVEGELH[6]

1562[7]

ブリュッセル(1563年-1569年)[編集]


15631545? - 15781[6]

1567823

2[8]

156930-40(Église Notre-Dame-de-la-Chapelle) [9]

作品[編集]

概観[編集]


40121594240[10]

19071041556-15582[11]

1553-1560[]


1553使[10][12][13]

1559156015593[14]

中期(1561年-1564年)[編集]


1562使3使使姿[15]

156215631[16]1564[17]

後期(1565年-1569年)[編集]


403061565[17]

156511566Frans Floris16,0001594656[18]

15681568[19]2[20]156815:1415681568

評価[編集]

農民たちの生活を多く題材にしたことから「農民画家」とも呼ばれた。

画家自身、人文主義者とも交流のある教養人であり、この時代の絵画題材は農民を「無学で愚かな者」の象徴として描写されたものが多かったため、以前はブリューゲルの絵画もその例にならっただけであるとの説を採り、絵の中にキリスト教的な寓意を読み取ろうとする見方が多かった。

これに対し、森洋子阿部謹也は、農作業に向かう娘たちの初々しい表情や、結婚式に集まる人々の歓喜の様子といった、彼らの生活の隅々にまで入り込み、「人間」としての農民たちの生き生きとして細を極める描写は、農民たちの側に立って、その心の奥まで知り尽くした者でなければ到底描け得ないものであり、こういった画一的な見方は当てはまらないとしている。

実際、ブリューゲルの作品は、驚くほど細かい細部まで丹念に描き込まれ、歴史資料、風俗史資料としても貴重な、多くの視覚情報を含んでいる。『子供の遊戯』などはこの作品に登場する「遊び」の解説だけで1冊の本が出ているほど、興味の尽きない作品であるが、こういった例はブリューゲルの作品には珍しいことではない。ブリューゲルのこれらの技法は、ヒエロニムス・ボスからの影響が濃いとの見方もある。

「股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる習慣があり、その姿勢の最中に死んだ」という民間伝承が残されており、阿部謹也は「それこそまさに“逆立ちした世界”を描き、農民との間に生きたブリューゲルにふさわしい最期だ」と評している。

後裔[編集]

同名の長男ピーテル・ブリューゲルは地獄の絵を描いたということで「地獄のブリューゲル」と通称される画家で、父の模作を多く作った。二男のヤン静物画、特に花の絵を得意として「花のブリューゲル」と通称されている。ブリューゲル一族は他にも多くの画家を輩出している。もっとも、父ブリューゲルが没した時、長男は5歳、二男は1歳であって、父から直接絵画の手ほどきを受けたわけではない。

 

 

 

 

ピーテル・クック・
ファン・アールスト

 

 

 

 

 

 

 

ピーテル・ブリューゲル (父)

 

マイケン・クック

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーテル・ブリューゲル (子)

 

イザベラ

 

ヤン・ブリューゲル (父)

 

 カタリナ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤン・ブリューゲル (子)

 

アンブロシウス・ブリューゲル

 

アンナ

 

ダフィット・テニールス (子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アブラハム・ブリューゲル

脚注[編集]

出典[編集]



(一)^ "". . 202325

(二)^ Oxford Art Online, p. 1.

(三)^ Oxford Art Online, pp. 12.

(四)^ abHagen & Hagen 2007, p. 15.

(五)^ abcOxford Art Online, p. 2.

(六)^ abcdeOxford Art Online, p. 3.

(七)^ Hagen & Hagen 2007, p. 22.

(八)^ Oxford Art Online, pp. 34.

(九)^  BP2009161ISBN 978-4-86130-422-4 

(十)^ abOxford Art Online, p. 4.

(11)^ Oxford Art Online, pp. 910.

(12)^ . Description détaillée (). 201193[]

(13)^ de Vries, Lyckle (2003). Bruegel's "Fall of Icarus": Ovid or Solomon?. Simiolus: Netherlands Quarterly for the History of Art (Stichting voor Nederlandse Kunsthistorische Publicaties) 30 (1/2): 418. doi:10.2307/3780948. JSTOR 3780948. 

(14)^ Oxford Art Online, pp. 45.

(15)^ Oxford Art Online, p. 5.

(16)^ Oxford Art Online, p. 6.

(17)^ abOxford Art Online, p. 7.

(18)^ Oxford Art Online, pp. 78.

(19)^   201690ISBN 978-4-16-390308-8 

(20)^ Oxford Art Online, pp. 79.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]