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ヘルクラネウム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルコラーノの発掘

: Herculāneum404821 142051 / 40.80583 14.34750 / 40.80583; 14.34750

791981150

[]


[1]6貿489

792017091600姿1969


79年の噴火[編集]

ヘルクラネウムなどヴェスヴィオ火山の周りの複数の都市が噴火により被害を受けた。黒い雲は灰と噴石の降下の大まかな分布を表している。

79824300[2]

2

8271西

198212250
Boat houses where skeletons were found

姿400160km1



(一)

(二)

(三)251700

[]


1738Le Antichita di Ercolano18調20420

[]


姿

1981C調

使55301312Ring Lady

[3]

パピルス荘[編集]

保存の問題[編集]

ヘルクラネウムを覆った水、灰、噴石は当初襲った非常な高温と共に遺跡を1600年間非常に良い状態で保存する役割を果たしてきた。しかしながら、発掘が始まると大気に晒された遺跡は緩やかに傷み始めた。これは遺物全ての保存よりも価値のある遺物を入手することに主眼を置くという、町の発掘の当初に取られた当時の考古学の手法ではやむをえないことだった。1980年代初期サラ・C・バイセル博士の指示で遺骨の保存が優先事項になった。有機物が炭化された遺物は空気に晒されると数日の内に劣化した。このためその保存方法が確立されるまでに多くの遺物が失われた。

今日、観光や故意の破壊により公開されている区域の多くで損傷が起きている。また、現在のエルコラーノの町から流れ込む水により多くの建物の基礎部分が侵食されている。再建の試みは逆効果になることが多かったが、最近の保存の努力は効果を上げている。町の保存に予算を振り向けるために現在発掘作業は一旦中断されている。

ヘルクラネウムで出土した遺物の多数はナポリ国立考古学博物館に保管されている。

世界遺産[編集]

写真[編集]


SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS[編集]

SATOR AREPO TENET OPERA ROTASは、ラテン語による回文である。

最も古いものがヘルクラネウムの遺跡から見つかっている。

脚注[編集]

  1. ^ 町の起こりを伝える神話ではヘラクレスが自分の牛を盗んだウルカヌスの息子カークスを殺した場所にヘルクラネウムを建てたとしている
  2. ^ 金子(2001)、139~143頁参照。
  3. ^ 金子(2001)、201~202頁に詳しい。

関連項目[編集]

  • 死都日本』 - 石黒耀による、日本で超巨大噴火が起こる設定の小説。プロローグでは、ヘルクラネウムから脱出すべく船を待っていた人々が、ヴェスヴィオ火山から流れ下ってきた火砕流で全滅する惨禍が描かれる。

参考文献[編集]

  • 金子 史郎『ポンペイの滅んだ日』東洋書林、2001年、ISBN 978-4887214972
  • National Geographic, Vol 162, No 6. Buried Roman Town Give Up Its Dead, (December, 1982)
  • National Geographic, Vol 165, No 5. The Dead Do Tell Tales, (May, 1984)
  • Discover, magazine, Vol 5, No 10. The Bone Lady (October, 1984)
  • The Mayo Alumnus, Vol 19, No2. An Archaeologist's Preliminary Report: Time Warp at Herculaneum, (April, 1983)
  • Carnegie Mellon Magazine, Vol 4, No 2. Bone Lady Reconstructs People at Herculaneum, Winter, 1985
  • In the Shadow of Vesuvius National Geographic Special, (February 11, 1987)
  • 30 years of National Geographic Special, (January 25, 1995)

リンク[編集]