ポンペイ
座標: 北緯40度45分3.6秒 東経14度29分13.2秒 / 北緯40.751000度 東経14.487000度
ポンペイ︵羅: Pompeii、伊: Pompei︶は、イタリア・ナポリ近郊、ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市。西暦79年のヴェスヴィオ噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は﹁ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域﹂の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
イタリア先住のオスキ人によって集落が形成された。紀元前7世紀頃はサルノ川の河口付近の丘に集落があった。その後紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、ポンペイ市民はイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱した。ギリシャ人はその後ナポリ湾を支配した。紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まった。
サムニウム期[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
紀元前424年にはサムニウム人︵あるいは﹁サムニテ人﹂﹁サムナイト人﹂en:Samnites︶に征服されることとなった。サムニウム人はまた、カンパニア全体を支配した。この時代、ローマがポンペイを征服したという説があったが、現在この説を裏付けるものはない。
カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。
ローマ期[編集]
紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服されポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマ︵ローマ帝国︶の植民都市となった。ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名は﹁Colonia Cornelia Veneria Pompeianorum﹂︵ポンペイ人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市︶となった。ポンペイは港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後は商業都市として栄えた。 ポンペイは商業が盛んな港湾都市であった。整備された大きな港があり、海洋都市でもあった︵ポンペイ周辺で火山活動の地殻変動が続いたことで、現在の遺跡の海抜は上昇し、水辺から遠ざかった状態になっている︶。またぶどうの産地であり、ワインを運ぶための壺が多数出土されていることから、主な産業はワイン醸造だったことが窺える。碁盤の目状に通りがあり、大きな通りは石により舗装されていた。市の中心には広場もあり、かなり計画的に設計された都市であることも分かっている。 街の守護神は、美と恋愛の女神ウェヌスであった。 娼婦の館も発掘され男女の交わりを描いた壁画が多く出土したので、現代ではポンペイは﹁快楽の都市﹂と呼ばれることもある。古代ローマ時代は性的におおらかな時代であり、ポンペイに限らず古代ローマの商業都市には商人向け︵旅商人向け︶の娼婦館のような施設は多かったという。-
娼館に残っていた壁画
-
ポンペイのナルキッソスの絵
西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火[編集]
ポンペイの発掘[編集]
「ポンペイ (イタリアのコムーネ)」も参照
噴火によって壊滅した後は二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上﹁町﹂という地名で呼ばれた他、散発的に古代の品が発見されたので、下に都市が埋まっていることは知られていた。
1738年にヘルクラネウム︵現在のエルコラーノに所在︶が、1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために断続的に発掘が行われた。いくつかの男女の交わりを描く美術品︵フレスコ画︶は、最初フォンターナによって発掘されたが、将来考古学者によって再発見されたほうが重要性がわかるであろうと判断したフォンターナ自身が埋め戻したとされる[要出典]。ただしこれには明確な証拠はない。
ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっている。男女の交わりを描いた絵も有名で、これらはフォルム︵市民広場︶や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。1000平方メートルの広さをもつホテルは、町のそばで見つかった。現在、このホテルは、﹁グランドホテル Murecine﹂と呼ばれる。
ポンペイが人々の前にその姿を再び現した18世紀半ばから、発掘は現在に至るまで続けられている。地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕したが、その美しさの秘密は火砕流堆積物にあった。火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められていた。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは﹁ポンペイ・レッド﹂と呼ばれている。
ポンペイは建造物や街区が古代ローマ当時のままの唯一の町として知られている。後の歴史家たちは、その歴史家の時代のローマは古代ローマをそのまま伝えていると誤解していたが、ポンペイこそが最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りによって規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。居酒屋のメニューも残っており、﹁お客様へ、私どもは台所に鶏肉、魚、豚、孔雀などを用意してあります。﹂と記されている。
石膏で復元した遺体
噴火時に発生した火砕流の速度は100km/h以上で、市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどう市民の最期の瞬間を再現した。顔までは再現できなかったが、母親が子供を覆い隠して襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子が生々しく再現された。この石膏像の制作によって遺骨が損傷したため、ポンペイ市民の法医学的な調査は長らく滞っていたが、オプロンティス荘近くの商館と思われる建物の地下室から老若男女身分がバラバラ︵居場所は身分別にある程度グループを作って固まっていた︶な54体の遺骨が発見された。彼らは火砕流からは難を逃れたが、火山性ガスによる窒息で死亡して火山灰に埋もれていた。
町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きが当時のラテン語をそのまま伝えている。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。整備された上下水道の水道の弁は、水の量を調節する仕組みが現在とほとんど変わらず、きれいな水を町中に送っていた。トイレが社交の場となっていたらしく二人掛けのトイレが存在し、トイレは奴隷とその主が共同で使用しており、壁には﹁見事だ﹂と奴隷による落書きが残された遺構がある。発掘された排泄物や骨の調査から、身分によって食事の内容に違いはなく、全員が健康的な食生活を送っていたものとされる。
噴火時の町の人口は1万人弱で、ローマ市の富裕層の別荘も多くあり、また彼ら向けのサービスも多くあった。Macellum︵大きな食物市場︶、Pistrinum︵製粉所︶、Thermopolia︵冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したバー︶、cauporioe︵小さなレストラン︶、円形劇場などがあり、噴火直前までこれらが営業していた痕跡がある。2002年にはサルノ川河口にボートを浮かべ、ヴェネツィアのような船上生活をしていた人がいたことが判明するなど現在も新事実が続々と報告されている。
﹁市民全員が噴火で死亡し、唯一の生き残りの死刑囚がポンペイの町のことを語ったが、誰も信用しなかった。しかしそれは伝説として残り、発掘されることになった﹂という逸話が伝わるが事実ではないと思われる︵とりわけ死刑囚に関する事項︶。火砕流は歴史的にはまれな現象であり、目撃者は殆ど全員が死亡するので伝説としても残りにくく、一般人に理解されることは困難である[独自研究?]。この逸話は1902年に、西インド諸島のフランス領マルティニーク島にあるプレー火山で起きた同様の火砕流噴火を下敷きにしていると思われる。この噴火では火砕流以外に麓のサンピエール市で泥流が発生し、警察の留置場に拘留されていた囚人を含めた3名のみを残して住民約2万8千人が一瞬にしてほぼ全滅した。
一方で、ポンペイの建築物が発掘されて白日の下にさらされたことにより、雨風による腐朽が進行するようになった。2010年11月8日には﹁剣闘士の家﹂と呼ばれた建物が倒壊、翌2011年10月21日には﹁ポルタノラの壁﹂が倒壊している。
噴火日についての論争[編集]
壊滅的な被害を受ける噴火の発生日は79年8月24日とされているが、18世紀に発掘が開始されて以来、発見された衣類、農作物などから実際に噴火したのは8月24日より後である可能性が示唆されていた。また、2018年の発掘調査では家屋の壁に﹁11月の最初の日からさかのぼって16番目の日﹂と書かれているのが発見された。これにより、実際に噴火が発生したのは79年10月17日以降である可能性が指摘されている[2]。
ジョン・マーティン作﹃ポンペイとエルコラーノの壊滅﹄(復元版), 1821年
カール・ブリューロフ作、﹁ポンペイ最後の日﹂
絵画
●ポンペイとエルコラーノの壊滅︵復元版︶、1821年、ジョン・マーティン作、テート・ブリテン蔵
●ポンペイ最後の日 (ブリューロフの絵画)︵The last Day of Pompeii、1830-33年、カール・ブリューロフ︶
●ポンペイ︵1938年、ポール・デルヴォー︶
小説
●ポンペイ最後の日︵1834年、エドワード・ブルワー=リットン︶
●ポンペイの四日間︵2003年、ロバート・ハリス︶
●マジック・ツリーハウス ポンペイ最後の日(1998年、メアリー・ポープ・オズボーン、原書13巻、邦訳版7巻)
映画
●ポンペイ最後の日︵1926年、監督‥カルミネ・ガローネ、アムレート・パレルミ︶
●ポンペイ最後の日︵1935年、監督‥アーネスト・B・シュードサック︶
●ポンペイ最後の日︵1950年、監督‥マルセル・レルビエ、パオロ・モッファ︶
●ポンペイ最後の日︵1959年、監督‥マリオ・ボンナルド︶
●ボルケーノinポンペイ 都市が消えた日︵2007年、監督‥ジュリオ・バーセ、TVムービー︶
●マジック・ツリーハウス︵2012年、監督‥錦織博、作中描かれる4つのエピソードのうち一つに上記原作小説が使用された︶
●ポンペイ︵2014年、監督‥ポール・W・S・アンダーソン︶
ドラマ
●﹃ドクター・フー﹄第4シリーズ﹁ポンペイ最後の日﹂︵2008年、監督‥コリン・ティーグ︶
音楽
●ポンペイ︵pompeii、1977年、トリアンヴィラート︶
●ヴェスヴィアス︵Vesuvius、1999年、フランク・ティケリ︶
●ピンク・フロイド・ライヴ・アット・ポンペイ︵ピンク・フロイド︶
漫画
●NGライフ 1-9巻︵草凪みずほ︶
●ジョジョの奇妙な冒険 第5部︵荒木飛呂彦︶
●プリニウス 第1話ほか︵ヤマザキマリ︶
●世界史探偵コナン8古代都市ポンペイの真実︵青山剛昌・山浦聡︶
ポンペイを題材にした作品[編集]
テレビ番組[編集]
●古代ローマ大発掘スペシャル 2000年の時を越えて謎の地下遺跡を世界初公開!︵2008年11月24日、日本テレビ︶ - ポンペイ発掘を現場レポート[3][4] ●地球ドラマチック︵NHK教育︶ ●ポンペイ“骨”が語る真実︵2014年4月5日︶[5] ●ポンペイ 知られざるローマ人の暮らし︵2016年10月22日︶[6] ●ポンペイ 石こう像の新事実︵2019年4月6日︶[7] ●ポンペイの起源~もうひとつの埋もれた歴史~︵2022年11月19日︶[8] ●ミステリアス 古代文明への旅 ﹁蘇えるポンペイ﹂︵2014年9月29日、BSテレ東︶[9] ●WILD NATURE 地球大紀行 ローマ大発掘 悪徳の都 ポンペイ︵2020年3月20日、BS朝日︶[10] ●よみがえるポンペイ︵2021年1月25日、NHK衛星ハイビジョン︶[11] ●有吉の世界同時中継 幻の古代都市ポンペイの最新発掘現場をテレビ初取材SP︵2022年4月28日、テレビ東京︶[12] ●ポンペイ遺跡 〜 新発見!古代都市ポンペイの真実︵2023年3月19日、TBS︶[13] ●世界ふしぎ発見! ポンペイの真実 元祖ミステリーハンターは古代ローマ人?︵2024年3月9日、TBS︶関連項目[編集]
●ポンペイの壁画の様式
●ガイウス・プリニウス・セクンドゥス︵プリニウス︶
●エドワード・ブルワー=リットン
●ヘルクラネウム - 79年の噴火でポンペイと共に埋まった街。
●ナポリ県ノーラ付近の村の遺跡 - やはりヴェスヴィオ山付近で、こちらは山の北側だが、ポンペイよりはるかに古い青銅器時代、紀元前1800年ころの噴火で埋まった。近年ノーラにショッピングセンターの駐車場をつくろうとしている時に発見され、Giuseppe Vecchioが発掘チームの長となり発掘が行われている[14]。
●金井東裏遺跡︵現・群馬県渋川市金井︶ - 榛名山の6世紀はじめの噴火により埋まった。
●須走村︵現・静岡県小山町︶ - 富士山の1707年の宝永噴火により3m以上埋まった。
●鎌原村︵現・群馬県嬬恋村︶- 浅間山の1783年の天明噴火により埋まった。
●鎌原観音堂 - 鎌原村の観音堂
脚注[編集]
- ^ “Visiting Pompeii”. Current Archaeology. p. 3. 2008年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月30日閲覧。
- ^ ベスビオ火山噴火、日付の新証拠 ポンペイ遺跡で発見 - AFPBB、2018年10月17日
- ^ 古代ローマ大発掘スペシャル - 爆笑問題オンライン 2008年11月24日
- ^ 山中秀樹のTV出演情報 - ORICON NEWS 2008年11月24日
- ^ ポンペイ“骨”が語る真実 - NHKアーカイブス 2014年4月5日
- ^ ポンペイ 知られざるローマ人の暮らし - NHKアーカイブス 2016年10月22日
- ^ ポンペイ 石こう像の新事実 - NHKアーカイブス 2019年4月6日
- ^ ポンペイの起源~もうひとつの埋もれた歴史~ - NHKアーカイブス 2022年11月19日
- ^ ミステリアス 古代文明への旅 「蘇えるポンペイ」 - テレビ東京 2014年9月29日
- ^ ローマ大発掘 悪徳の都 ポンペイ - BS朝日 2020年3月20日
- ^ 4Kスペシャル 「よみがえるポンペイ」 - NHKアーカイブス 2021年1月25日
- ^ 幻の古代都市ポンペイの最新発掘現場をテレビ初取材SP - テレビ東京 2022年4月28日
- ^ ポンペイ遺跡 〜 新発見!古代都市ポンペイの真実 - TBS 2023年3月19日
- ^ Reuters, Buried village tells Bronze Age secrets.