マギステル・ミリトゥム
マギステル・ミリトゥム︵ラテン語: magister militum, 軍司令官、総司令官、軍務長官︶とは、帝政後期のローマ帝国における公職のひとつで、コンスタンティヌス1世の治世︵306年 - 337年︶に創設された高位の武官を指す。同じくコンスタンティヌス1世によって創設されていた、歩兵部隊を率いるマギステル・ペディトゥム︵magister peditum, 歩兵長官︶と、騎兵部隊を率いるマギステル・エクィトゥム︵magister equitum, 騎兵長官︶の上位に位置づけられた。
概要[編集]
マギステル・ペディトゥムとマギステル・エクィトゥムは、コンスタンティウス2世らコンスタンティヌス1世の後継者たちによってガリア道 (Praetorian prefecture of Gaul) ・イタリア道 (Praetorian prefecture of Italy) ・イリュリクム道 (Praetorian prefecture of Illyricum) ・オリエンス道 (Praetorian prefecture of the East) の各行政区に1人ずつ置かれるようになった。両マギステルは単一の人物に束ねられることもあった。そのような指揮官は即応部隊として活動する野戦機動軍﹁コミタテンセス﹂ (Comitatenses) を指揮できた︵マギステル・エクィトゥムが指揮をとることもあった︶。 帝国西方においては﹁マギステル・ウトリウスクァエ・ミリタエ﹂と呼ばれた。この単語自体は上位の軍団指揮官という意味しかなさなかったが、実際にはマギステル・ミリトゥムに就任する者はアルボガステス、スティリコ、アエティウス、リキメルなどのように主に帝位の陰の権力として登場した。著名なマギステル・ミリトゥム[編集]
- 383-385/8年: フラウィウス・バウト
- 385/8-394年: アルボガスト
- 383-408年: フラヴィウス・スティリコ
- Comes et Magister Utriusque Militiae
- 411 – 421年: フラウィウス・コンスタンティヌス
- 433 – 454年: フラウィウス・アエティウス
- 455 - 456年: アウィトゥス
- 456 – 472年: リキメル
- 475–476年: フラウィウス・オレステス
- ガリア道のマギステル・ミリトゥム
- 425–430年: フラウィウス・アエティウス
- イリリクム道のマギステル・ミリトゥム
- オリエント道のマギステル・ミリトゥム
- Praesentalis
- 394–408年: フラヴィウス・スティリコ
- 399-400年: ガイナス
参考文献[編集]
- 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波書店〈岩波新書〉、2013年、ISBN 978-4004314264