ユーライア・ヒープ
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ユーライア・ヒープ | |
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ドイツ・ヴァッケン公演(2023年) | |
基本情報 | |
別名 | スパイス |
出身地 | イングランド・ロンドン |
ジャンル | |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル | |
公式サイト | ユーライア・ヒープ 公式サイト |
メンバー |
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旧メンバー | 後述を参照 |
ユーライア・ヒープ︵英語: Uriah Heep︶は、イングランド出身のロックバンド。レッド・ツェッペリンやディープ・パープルと並んでハイトーン・ヴォーカルを擁し、ハードロックの草創期から活動するグループの一つ。1970年代に全盛期を迎えた。
1980年代半ばまではメンバーの入れ代わりが激しかったが、1986年以降は、ほぼ固定メンバーで活動。デビュー以来、メンバーによる重厚なコーラス・スタイルを特徴とする。
デヴィッド・バイロン(Vo) 1974年
ミック・ボックス(G) 1977年
ケン・ヘンズレー(Key) 1977年
リー・カースレイク(Ds) 1973年
1960年代中頃、ミック・ボックス︵ギター︶が結成していた﹁ストーカーズ﹂にデヴィッド・バイロン︵ボーカル︶が加入。
1967年、ストーカーズが解散し、ミック・ボックスとデヴィッド・バイロンは﹁スパイス﹂を結成。途中ポール・ニュートン︵ベース︶、アレックス・ネピアー︵ドラムス︶を迎え、活動を行う。
1969年末、スパイスを﹁ユーライア・ヒープ﹂に改名︵詳細は下記参照︶。後にケン・ヘンズレー︵キーボード/リズムギター︶が加入。諸事情により翌1970年初頭までスパイス名義で活動し、同3月から新生グループとして本格始動する。途中ドラマーをナイジェル・オルソンに交替させて、1stアルバム﹃ユーライア・ヒープ・ファースト﹄を完成させ、1970年6月19日、ヴァーティゴ・レーベルからデビュー。短期間だけツアーに参加したナイジェル・オルソンに代わって、キース・ベイカーがドラムを務める。
1971年、シンフォニックな2ndアルバム﹃ソールズベリー﹄を発表。同年ドラマーをイアン・クラークに交替させ、プロデュ―サーのジェリー・ブロンが設立したブロンズ・レコードから歴代の代表作となる3rdアルバム﹃対自核﹄を発表[2]、1971年11月13日付の全英アルバムチャートで39位を記録して、バンド初の全英トップ100アルバムとなった[3]。
トレヴァー・ボルダー(B) 1980年
1977年ラインナップ
1977年、新ボーカリストにジョン・ロートン、新ベーシストにトレヴァー・ボルダーを迎え、﹃ファイアフライ﹄発表。
1978年、ハード・ポップ色を色濃くしたアルバム﹃罪なきいけにえ﹄発表、また、アルバム﹃堕ちた天使﹄を発表。1979年に﹁Five Miles﹂セッションでアルバム1枚分のマテリアルを残すものの、リー・カースレイクとジョン・ロートンが脱退し、幻のアルバムと化す (この時期の再発CD盤などで一部音源が聴ける)。
1980年、ジョン・スローマンをボーカル、クリス・スレイドをドラムに迎えたアルバム﹃征服者﹄発表。オリジナル・キーボーディストのケン・ヘンズレー脱退。後にカナダ人キーボーディストのグレッグ・デシャートを迎え、シングル﹁シンク・イット・オーヴァー﹂を発表。アルバムも1枚分のマテリアルを残すものの未発表に終わる。トレヴァー・ボルダー、ジョン・スローマン、クリス・スレイド、グレッグ・デシャート脱退。その後、ユーライア・ヒープは活動停止状態へ。ミック・ボックスはミック・ボックス・バンドとして活動を続ける。
2008年ラインナップ
2007年、健康上の理由からリー・カースレイクが脱退。最も長続きした1986年からのラインナップが終わる。後任としてラッセル・ギルブルックが加入。2008年、10年振りのスタジオ・アルバムとなる﹃ウェイク・ザ・スリーパー﹄を発表。2009年、最新メンバーによる往年の名曲の新録+新曲2曲のデビュー40周年記念ベスト盤﹃Celebration﹄をリリース。
2010年、デビュー40周年記念 川崎クラブチッタにて19年ぶり三度目の来日。﹁悪魔と魔法使い﹂完全再現ライブを行った。ゲストでは元ホワイト・スネイクのミッキー・ムーディが参加。このライブは﹃Official Bootleg vol3:Live in Kawasaki Japan 2010﹄としてCD化され、2013年に﹃ライヴ・イン・カワサキ 2010﹄として国内盤が発売された[7]。2011年4月、22ndアルバム﹃イントゥ・ザ・ワイルド﹄をリリース。
略歴[編集]
黎明期[編集]
全盛期[編集]
1972年、ドラマーにリー・カースレイク、ベーシストにマーク・クラークを迎える。ツアーから参加したクラークはわずか3ヶ月在籍しただけで次作の制作レコーディング中に脱退。後任ベーシストにニュージーランド出身のゲイリー・セインを迎えて、ロジャー・ディーンをアート・ワークに起用したアルバム﹃悪魔と魔法使い﹄発表。同アルバムからは﹁安息の日々︵Easy Livin︶﹂が日本でスマッシュ・ヒットした。続いて、同傾向のアルバム﹃魔の饗宴﹄を発表。再びロジャー・ディーンがアート・ワークを担当した。 1973年3月、初の日本公演。16日の日本武道館でのコンサートを皮切りに、計5回のコンサートを開催。同年、アルバム﹃スイート・フリーダム﹄発表。 1974年、初期ヒープらしさを持った最後のアルバム﹃夢幻劇﹄発表。ゲイリー・セインはコンサート中に感電事故に遭い重傷を負い、復帰するものの薬物中毒から脱却することができずに、結局解雇される。ジョン・ウェットン加入[編集]
1974年、元キング・クリムゾンのジョン・ウェットンが、レコーディングにベーシスト兼ボーカルとして加入し、1975年にアルバム﹃幻想への回帰﹄を発表。全英7位を記録し、グループにとって唯一の全英トップ10アルバムとなる[3]。同12月、ゲイリー・セインがヘロインの過剰摂取の事故により死亡︵27歳没︶。 1976年、曲作りの時点から参加したウェットンとヘンズレーとの共作を含むスタジオ・アルバム﹃ハイ・アンド・マイティ﹄を発表、ウェットンがヘンズレーとリード・ボーカルをともにとる﹁ワン・ウェイ・オア・アナザー︵One Way Or Another︶﹂はシングルとしてリリースされた。また同年バンドはアルコール中毒の問題を抱えていたデヴィッド・バイロンを解雇。そしてジョン・ウェットンはU.K.の活動専念のためにグループを脱退している。デヴィッド・バイロン脱退 - ケン・ヘンズレー脱退[編集]
再始動[編集]
1980年、ミック・ボックスのバンドのレコーディング契約にユーライア・ヒープの名前が必要になったので再編成。元ヘヴィ・メタル・キッズ、ライオンのジョン・シンクレア︵キーボード︶、トラピーズのピート・ゴールビー︵ボーカル︶が参加して約2年の停滞期間の後、オジー・オズボーン・バンドを脱退したリー・カースレイク︵ドラムス︶とボブ・デイズリー︵ベース︶を迎えたことによってレコーディングにこぎつけられる様になりハードでキャッチーなアルバム﹃魔界再来﹄︵1982年︶を発表。Paul Bliss作の﹁ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ﹂は、アメリカでは﹃ビルボード﹄のメインストリーム・ロック・チャートで25位を記録するシングル・ヒットとなる[4]。 1983年、同メンバーでスタジオ・アルバム﹃ヘッド・ファースト﹄を発表。レコーディング後にボブ・デイズリーの後任にトレヴァー・ボルダーが復帰し、プロモーション・ツアーを行う。 1985年、2月にオリジナル・メンバーのデヴィッド・バイロンがアルコール依存症にともなう肝硬変により死去︵38歳没︶。CBS傘下のポートレイト・レーベル︵日本ではエピック・レコード︶に移籍し、16thアルバム﹃イクウェイター﹄発表。ピート・ゴールビー、ジョン・シンクレアが同年脱退した。元グランプリ組加入 - リー・カースレイク脱退[編集]
1986年、かつて所属していたブロンズ・レコード倒産。ボーカリストにステフ・フォンテイン、キーボーディストにフィル・ランゾンを迎えて活動再開。11月にフォンテインを解雇し、ボーカリストをバーニー・ショウに変更し活動。1988年、新ラインナップで収録したライブ・アルバム﹃ライヴ・イン・モスクワ﹄をリリース。1989年、新ラインナップでは初となるスタジオ・アルバム﹃レイジング・サイレンス﹄を発表。 1991年、スタジオ・アルバム﹃ディファレント・ワールド﹄発表。18年ぶりの来日公演を行う。1995年のスタジオ・アルバム﹃シー・オブ・ライト﹄は、23年ぶりにロジャー・ディーンがアートワークを手がけ[5]、音楽的にも初期の作風に回帰した作品と評されている[6]。バーニー・ショウが喉の手術を行ったため、一部ツアーでは代役として、ジョン・ロートンが参加。1998年、スタジオ・アルバム﹃ソニック・オリガミ﹄発表。以降はスタジオ・アルバムの発表は無く、ライブ活動に専念する。ラッセル・ギルブルック加入後[編集]
トレヴァー・ボルダー死去[編集]
2013年、現行メンバーであったトレヴァー・ボルダーが癌のため死去︵62歳没︶。ボルダー療養中のツアーの代役はデイヴィー・リマーが務め、彼の死去を受けて正式メンバーに昇格した[8]。その後、彼を迎えたラインナップで、2014年6月に通算23枚目のスタジオ・アルバム﹃異端審問﹄をリリースした[9]。 2016年、デビュー45周年記念 ジョン・ロートン率いるルシファーズ・フレンドと大阪Zeppなんば、川崎クラブチッタで来日ジョイント公演を開催した[10]。 2018年、25thアルバム﹃桃源郷﹄をリリース[11]。 2020年、9月19日に長期間バンドを支えたリー・カースレイクが末期がんのため死去︵73歳没︶。11月4日、創設メンバーのケン・ヘンズレーが死去︵75歳没︶。バンド名[編集]
﹁スパイス﹂から﹁ユーライア・ヒープ﹂への改名について、ミック・ボックスは1995年版CDのライナーノーツに﹁スタジオに入った時は4人組のスパイスだったのに、出てきた時は5人組のユーライア・ヒープになっていた﹂と書いている。 ユーライア・ヒープの由来は、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズ︵1812年‐1870年︶の小説﹃デイヴィッド・コパフィールド﹄︵1849年︶の登場人物﹁ユライア・ヒープ﹂である。この改名は当時プロデュ―サー兼マネージャーだったジェリー・ブロン[12]︵1933年‐2012年︶の提案によるもので、1970年は没後100周年でイギリス国内がディケンズ・ブームだったためにこの名前が目に留まったという。デビュー・アルバムのタイトル...Very 'Eavy ...Very 'Umbleもディケンズの描写に由来し、"heavy"と"humble"の"h"を脱落させたのもヒープの喋り方を模した結果だった。メンバー[編集]
※2023年8月時点現ラインナップ[編集]
- ミック・ボックス (Mick Box) - ギター(1969年-現在、唯一のオリジナルメンバー、元スパイス)
- フィル・ランゾン (Phil Lanzon) - キーボード(1986年-現在、四代目キーボーディスト、元グランプリ)
- バーニー・ショウ (Bernie Shaw) - ボーカル(1986年-現在、六代目ボーカリスト、元グランプリ、元プレイング・マンティス、元ストレイタス)
- ラッセル・ギルブルック (Russell Gilbrook) - ドラムス(2007年-現在、七代目ドラマー、元ベドラム、元クリス・バーバー・バンド、元G.O.D.S)
- デイヴ・リマー (Dave Rimmer) - ベース(2013年-現在、七代目ベーシスト)
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ミック・ボックス(G) 2023年
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フィル・ランゾン(Key) 2023年
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バーニー・ショー(Vo) 2023年
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ラッセル・ギルブルック(Ds) 2018年
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デイヴ・リマー(B) 2023年
旧メンバー[編集]
ボーカル[編集]
●デイヴィッド・バイロン (David Byron)︵1969年-1976年、初代ボーカリスト、故人、元スパイス。脱退後は、ラフ・ダイアモンド、ソロ︶ ●ジョン・ロートン (John Lawton)︵1976年-1979年、二代目ボーカリスト、故人、元アステリックス、元ルシファーズ・フレンド、元レス・ハンフリーズ・シンガーズ。脱退後はルシファーズ・フレンド、レベル、ZAR、ルシファーズ・フレンドII、ガンヒル、ソロ、オン・ザ・ロックス︶ ●ジョン・スローマン (John Sloman)︵1979年-1981年、三代目ボーカリスト、元パルサー、元ローン・スター。脱退後はゲイリー・ムーア・バンド、ポール・ヤング・バンド、ソロ、セッション・ボーカリスト ※プレイング・マンティスなど︶ ●ピーター・ゴールビー (Peter Goalby)︵1981年-1985年、四代目ボーカリスト、元フェイブル、元トラピーズ。脱退後はパーフェクト・ストレンジャー、ソロ︶ ●ステフ・フォンテイン (Steff Fontaine)︵1986年、五代目ボーカリスト、元ジョシュア。脱退後はハートエイク・シティ︶キーボード[編集]
●ケン・ヘンズレー (Ken Hensley)︵1970年-1980年、初代キーボーディスト、リズムギター、故人、元ゴッズ、元ヘッド・マシーン、元トー・ファット。脱退後はブラックフット、ソロ︶ ●グレッグ・デシャート (Gregg Dechert)︵1980年-1981年、二代目キーボーディスト、元パルサー。脱退後はデヴィッド・ギルモア・バンド、バッド・カンパニー︶ ●ジョン・シンクレア (John Sinclair)︵1981年-1985年、三代目キーボーディスト、元ヘヴィ・メタル・キッズ、元ライオン。脱退後はオジー・オズボーン・バンド︶ドラムス[編集]
●アレックス・ネピアー (Alex Napier)︵1969年、初代ドラマー︶ ●ナイジェル・オルソン (Nigel Olsson)︵1970年、二代目ドラマー、元プラスチック・ペニー。脱退後はエルトン・ジョン・バンド、ソロ、ウォーパイプス、セッションドラマー︶ ●キース・ベイカー (Keith Baker)︵1970年、三代目ドラマー、元ベイカールー。デビュー前のスーパートランプに在籍したこともある。︶ ●イアン・クラーク (Ian Clarke)︵1970年-1971年、四代目ドラマー、元クレシダ︶ ●リー・カースレイク (Lee Kerslake)︵1971年-1979年、1981年-2007年、五代目(全盛期)ドラマー、故人、元ゴッズ、元ナショナル・ヘッド・バンド。脱退後はオジー・オズボーン・バンド︶ ●クリス・スレイド (Chris Slade)︵1979年-1981年、六代目ドラマー、元トム・ジョーンズ&スクワイヤーズ、元トゥーモロー、元マンフレッド・マンズ・アースバンド、元テラ・ノヴァ。脱退後はゲイリー・ニューマン・バンド、デヴィッド・ギルモア・バンド、ザ・ファーム、ゲイリー・ムーア・バンド、AC/DC、エイジア︶ベース[編集]
●ポール・ニュートン (Paul Newton)︵1969年-1971年、初代ベーシスト、元ゴッズ︶ ●マーク・クラーク (Mark Clarke)︵1971年-1972年、二代目ベーシスト、元コロシアム。脱退後はテンペスト、ナチュラル・ガス、レインボー、ヘンリー・グロス・バンド、ビリー・スクワイアー、イアン・ハンター・バンド、マウンテン、デイヴィー・ジョーンズ・バンド、コロシアム︶ ●ゲイリー・セイン (Gary Thain)︵1972年-1975年、三代目(全盛期)ベーシスト、故人、元キーフ・ハートリー・バンド︶ ●ジョン・ウェットン (John Wetton)︵1975年-1976年、四代目ベーシスト兼ボーカリスト、故人、元モーグル・スラッシュ、元ファミリー、元キング・クリムゾン。脱退後はU.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジア、ウェットン・マンザネラ、クァンゴ、ウェットン・ダウンズ、ソロ︶ ●トレヴァー・ボルダー (Trevor Bolder)︵1976年-1981年、1983年-2013年、五代目ベーシスト、故人、元スパイダーズ・フロム・マーズ。脱退後はウィッシュボーン・アッシュ︶ ●ボブ・デイズリー (Bob Daisley)︵1981年-1983年、六代目ベーシスト、元カーバス・ジュート、元チキン・シャック、元ウィドウメイカー、元レインボー、元オジー・オズボーン・バンド。脱退後はオジー・オズボーン・バンド、ゲイリー・ムーア・バンド、ブラック・サバス、マザーズ・アーミー、カァーバス・ジュート、フーチー・クーチー・メン︶ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
●﹃ユーライア・ヒープ・ファースト﹄ - ...Very 'Eavy ...Very 'Umble (1970年) ●﹃ソールズベリー﹄ - Salisbury (1971年) ●﹃対自核﹄ - Look at Yourself (1971年) ●﹃悪魔と魔法使い﹄ - Demons and Wizards (1972年) ●﹃魔の饗宴﹄ - The Magician's Birthday (1972年) ●﹃スイート・フリーダム﹄ - Sweet Freedom (1973年) ●﹃夢幻劇﹄ - Wonderworld (1974年) ●﹃幻想への回帰﹄ - Return to Fantasy (1975年) ●﹃ハイ・アンド・マイティ﹄ - High and Mighty (1976年) ●﹃ファイアフライ﹄ - Firefly (1977年) ●﹃罪なきいけにえ﹄ - Innocent Victim (1977年) ●﹃堕ちた天使﹄ - Fallen Angel (1978年) ●﹃征服者﹄ - Conquest (1980年) ●﹃魔界再来﹄ - Abominog (1982年) ●﹃ヘッド・ファースト﹄ - Head First (1983年) ●﹃イクウェイター﹄ - Equator (1985年) ●﹃レイジング・サイレンス﹄ - Raging Silence (1989年) ●﹃ディファレント・ワールド﹄ - Different World (1991年) ●﹃シー・オブ・ライト﹄ - Sea of Light (1995年) ●﹃ソニック・オリガミ﹄ - Sonic Origami (1998年) ●﹃ウェイク・ザ・スリーパー﹄ - Wake the Sleeper (2008年) ●﹃イントゥ・ザ・ワイルド﹄ - Into the Wild (2011年) ●﹃異端審問﹄ - Outsider (2014年) ●﹃桃源郷﹄ - Living the Dream (2018年) ●﹃獄彩色﹄ - Chaos & Colour (2023年)ライブ・アルバム[編集]
●﹃ユーライア・ヒープ・ライヴ﹄ - Uriah Heep Live (1973年) ●﹃ライヴ・イン・ヨーロッパ1979﹄ - Live in Europe 1979 (1986年) ●Live at Shepperton '74 (1986年) ●﹃ライヴ・イン・モスクワ﹄ - Live in Moscow (1988年) ●﹃スペルバインダー〜ライヴ・イン・ジャーマニー〜﹄ - Spellbinder Live (1996年) ●﹃キング・ビスケット・ライヴ﹄ - King Biscuit Flower Hour Presents Uriah Heep in concert (1997年) ●Future Echoes of the Past (2000年) ●﹃アコースティカリー・ドリヴン〜ライヴ2000﹄ - Acoustically Driven (2001年) ●Electrically Driven (2001年) ●﹃真・魔の饗宴〜ライヴ2001﹄ - The Magician's Birthday Party (2002年) ●﹃ライヴ・イン・ザ・USA〜ライヴ2002﹄ - Live in the USA (2003年) ●﹃マジック・ナイト〜ライヴ2003﹄ - Magic Night (2004年) ●﹃ライヴ・イン・アルメニア﹄ - Live in Armenia (2011年) ●﹃即自への誘い〜ライヴ・アット・ココ﹄ - Live at Koko - London 2014 (2015年) ●﹃ビトゥイーン・トゥー・ワールズ〜ライヴ2004﹄ - Between Two Worlds (Featuring Osibisa) (2018年) オフィシャル・ブートレグ ●Official Bootleg Series Vol. 1: Live at Sweden Rock Festival 2009 (2010年) ●Official Bootleg Series Vol. 2: Live in Budapest, Hungary 2010 (2010年) ●﹃ライヴ・イン・カワサキ 2010﹄ - Official Bootleg Series Vol. 3: Live in Kawazaki, Japan 2010 (2010年) ●Official Bootleg Series Vol. 4: Live in Brisbane, Australia 2011 (2011年) ●Official Bootleg Series Vol. 5: Live in Athens, Greece 2011 (2012年) ●Official Bootleg Series Vol. 6: Live at the Rock of Ages Festival 2008 (2013年)日本公演[編集]
1973年[編集]
- 3月16日 日本武道館
- 3月17日 名古屋市公会堂
- 3月19日 名古屋市公会堂
- 3月20日 大阪厚生年金会館
- 3月21日 大阪厚生年金会館
1991年[編集]
2010年[編集]
2016年[編集]
2019年[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdeMonger, James Christopher. Uriah Heep | Biography & History - オールミュージック. 2021年1月17日閲覧。 (二)^ ユーライア・ヒープの名を世界に轟かせた代表作﹃対自核﹄ - music.jp (三)^ abURIAH HEEP | full Official Chart History | Official Charts Company - ﹁ALBUMS﹂をクリックすれば表示される。 (四)^ “Uriah Heep - Awards”. AllMusic. 2016年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月7日閲覧。 (五)^ Deriso, Nick (2020年4月22日). “Roger Dean Invites Fans to Watch Him Create Yes' Next Album Cover”. Ultimate Classic Rock. Townsquare Media. 2021年4月5日閲覧。 (六)^ Guarisco, Donald A. “Sea of Light - Uriah Heep”. AllMusic. 2021年4月5日閲覧。 (七)^ ユーライア・ヒープのミック・ボックス、故トレヴァー・ボルダーを語る - BARKS (八)^ ユーライア・ヒープのベーシスト、トレバーボルダー死去 - BARKS (九)^ ユーライア・ヒープが3年ぶりの新作スタジオ・アルバム﹃Outsider﹄を6月に発売 - amass (十)^ ユーライア・ヒープの来日公演が2016年1月に決定、﹃対自核﹄を中心とするデビュー45周年記念公演 - amass (11)^ “ユーライア・ヒープ、来たる新作より“Take Away My Soul”のミュージック・ビデオが公開”. NME JAPAN (2018年9月10日). 2018年10月13日閲覧。 (12)^ 翌1971年、ブロンズ・レコードを設立して社長になった。外部リンク[編集]