リーザ・デラ・カーザ
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Lisa_della_Casa_%28Kiel_43.857%29_%28cropped%29.jpg/200px-Lisa_della_Casa_%28Kiel_43.857%29_%28cropped%29.jpg)
リーザ・デラ・カーザ︵Lisa Della Casa, 1919年2月2日 - 2012年12月10日[1]︶は、スイス出身のソプラノ歌手。﹁デラ・カーザ﹂が姓である。
経歴[編集]
ベルン州ブルクドルフの生まれ。 15歳からチューリヒ音楽院のマルガレーテ・ヘーザーの下で声楽を学ぶ。1941年にゾロトゥル=ビール市立劇場でプッチーニの﹃蝶々夫人﹄を歌ってデビューを飾った。 その後1943年にチューリヒ市立歌劇場でプッチーニの﹃ラ・ボエーム﹄でミミを歌って評判をとり、1947年にリヒャルト・シュトラウスの﹃アラベラ﹄でズデンカ役でザルツブルク音楽祭に出演し、ウィーン国立歌劇場のメンバーに迎えられた。ドイツ語圏におけるリリックソプラノの代表的な一人であり、人気を集めた美貌はいくつかのオペラ映像に記録をとどめている。ただし、1960年のザルツブルク音楽祭での﹃ばらの騎士﹄元帥夫人役は大部分が彼女が歌ったにもかかわらず、映画収録の回のみはエリーザベト・シュヴァルツコップに交替させられるという苦汁をなめた。 1949年にはミラノ・スカラ座にデビューし、リヒャルト・シュトラウスの﹃ばらの騎士﹄のゾフィー役を演じている。 1952年にはバイロイト音楽祭に出演し、﹃ニュルンベルクのマイスタージンガー﹄のエヴァ役を歌った。 1974年に引退した。 2012年12月10日、スイスのトゥールガウ州ミュンスターリンゲンにて没した[2]。93歳没。ディスコグラフィ[編集]
オペラ全曲[編集]
- 『フィガロの結婚』(1955年、デッカ・レコード)エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:チェーザレ・シエピ(フィガロ)、ヒルデ・ギューデン(スザンナ)、アルフレート・ペル(アルマヴィーヴァ伯爵)、デラ・カーザ(伯爵夫人)、シュザンヌ・ダンコ(ケルビーノ)、フェルナンド・コレーナ(バルトロ)、マレー・ディッキー(バジリオ)
- 『ドン・ジョヴァンニ』(1955年、デッカ)ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:チェーザレ・シエピ(ドン・ジョヴァンニ)、シュザンヌ・ダンコ(ドンナ・アンナ)、アントン・デルモタ(ドン・オッターヴィオ)、デラ・カーザ(ドンナ・エルヴィーラ)、フェルナンド・コレーナ(レポレッロ)、クルト・ベーメ(騎士団管区長)、ヴァルター・ベリー(マゼット)、ヒルデ・ギューデン(ツェルリーナ)
- 『コジ・ファン・トゥッテ』(1955年、デッカ)カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:デラ・カーザ(フィオルディリージ)、クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベッラ)、エミー・ローゼ(デスピーナ)、アントン・デルモタ(フェルランド)、エーリッヒ・クンツ(グリエルモ)、パウル・シェフラー(ドン・アルフォンソ)
- 『オルフェオとエウリディーチェ』(1955年、RCAビクター)ピエール・モントゥー指揮ローマ歌劇場管弦楽団演奏:リーゼ・スティーヴンス(オルフェオ)、デラ・カーザ(エウリディーチェ)、ロバータ・ピータース(愛の神)
- 『アラベラ』(1957年、デッカ)ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:デラ・カーザ(アラベラ)、ヒルデ・ギューデン(ズデンカ)、ジョージ・ロンドン(マンドリーカ)、オットー・エーデルマン(ヴァルトナー伯爵)、イラ・マラニウク(アデライーデ)、アントン・デルモタ(マッテオ)、ヴァルデマール・クメント(エレメール)、ミミ・コアース(フィアカーミリ)、エバーハルト・ヴェヒター(ドミニク)
- 『フィガロの結婚』(1958年、RCAビクター)、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:ジョルジョ・トッツィ(フィガロ)、ロバータ・ピータース(スザンナ)、ジョージ・ロンドン(アルマヴィーヴァ伯爵)、デラ・カーザ(伯爵夫人)、ロザリンド・エリアス(ケルビーノ)、フェルナンド・コレーナ(バルトロ)、ガボール・カレッリ(バジリオ)
脚註[編集]
- ^ [1]
- ^ リーザ・デラ・カーザさん=スイスのソプラノ歌手 読売新聞 2012年12月14日閲覧