ロサンゼルス・クリッパーズ
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ロサンゼルス・クリッパーズ Los Angeles Clippers | |||||
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チームロゴ | LACと入ったバスケットボールの下にCLIPPERSの文字 | ||||
所属リーグ |
NBA ![]() ![]() | ||||
カンファレンス | ウェスタン・カンファレンス | ||||
ディビジョン | パシフィック | ||||
創設 | 1970年 | ||||
チーム史 |
バッファロー・ブレーブス (1970-1977) サンディエゴ・クリッパーズ (1978-1984) ロサンゼルス・クリッパーズ (1984- ) | ||||
本拠 |
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アリーナ | インテュイット・ドーム | ||||
チームカラー |
青, 赤, 黒, 銀, 白[1][2] | ||||
主なスポンサー | Honey[3] | ||||
オーナー | スティーブ・バルマー | ||||
社長 | ローレンス・フランク | ||||
GM | トレント・レッデン | ||||
ヘッドコーチ | ティロン・ルー | ||||
優勝歴 | 0回 | ||||
ファイナル進出 | 0回 | ||||
ディビジョン優勝 | 3回 (2013年, 2014年, 2024年) | ||||
NBAGL提携チーム | オンタリオ・クリッパーズ | ||||
公式サイト |
www | ||||
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Clippers_vs_Suns.jpg/290px-Clippers_vs_Suns.jpg)
ロサンゼルス・クリッパーズ︵Los Angeles Clippers︶は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会︵NBA︶のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョンに所属。チーム名のクリッパーとは高速帆船のこと。元はサンディエゴにあったため、同市では帆船が活躍していたことにちなんでいる。
歴史[編集]
●1970年、バッファロー・ブレーブスとして創設された。同時にリーグに加盟したチームにはポートランド・トレイルブレイザーズ、クリーブランド・キャバリアーズがある。バッファロー・ブレーブス(1970-78)[編集]
●バッファローには8年留まり、その間同じアリーナをNHLバッファロー・セイバーズと同時に使用した。チームの初代ヘッドコーチは殿堂入りしているドルフ・シェイズで、拡張ドラフトで獲得したボブ・カウフマンとドン・メイがスター選手であった。この年は22勝60敗に終わったが、同じ新加入のキャブスの15勝67敗と比べると7勝多かった。前年シカゴ・ブルズに在籍1試合平均4.3得点だったカウフマンは20.4得点をあげオールスターにも選ばれた。 ●チームは低迷したが1973年にボブ・マカドゥーをノースカロライナ大学からドラフトで取ると、その年プレイオフに進出し、ボストン・セルティックスと第6戦まで戦い2勝4敗で敗れた。 ●1974-75シーズン、マカドゥーは1試合平均34.5得点、14.1リバウンド、2.12ブロック、51.2%FG成功率、80.5%フリースロー成功率を記録し、シーズンMVPに選ばれた。1974-75、1975-76シーズンは共にプレイオフに進出した。1976-77シーズン途中にマカドゥーがニューヨーク・ニックスにトレードされるとチームは低迷した。このシーズンから1992年までの15年間プレイオフ不出場が続く。 ●1977-78シーズン終了後チームはカリフォルニア州サンディエゴに移転してサンディエゴ・クリッパーズとなった。サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)[編集]
●サンディエゴに移転して最初の年は43-39と勝ち越したが、プレイオフ最後のいすに2勝少なくて涙をのんだ。そしてこの後クリッパーズは13年間勝ち越すことなく過ごす。この年、World B. Free がサンアントニオ・スパーズのジョージ・ガービンに次いで、1試合平均28.8得点を記録した。1979-80シーズンにはサンディエゴ出身の名センター、ポートランド・トレイルブレイザーズでNBAチャンピオンになっていたビル・ウォルトンを獲得するが、チーム成績は上がらなかった。ウォルトンはポートランドで過ごした最後のシーズンを足の怪我で棒にふるっていたが、サンディエゴに加入して2シーズン目にも、シーズンを欠場し、ゴールデンステート・ウォリアーズのガードのフィル・スミスとトレードされた。ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )[編集]
1980年代から1990年代[編集]
●クリッパーズは1984年にロサンゼルスに移転して、ロサンゼルス・クリッパーズとなった。最初の年は31勝51敗に終わる。 ●その後7年の間、クリッパーズはどん底にあり、1986-87シーズンを12勝70敗︵歴代最も成績の悪かったチーム、1972-73シーズンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズの9勝73敗を辛くも更新せずに済んだ。︶で終わった。その年、殿堂入りしていたエルジン・ベイラーを球団副社長として招いた。ベイラーは、1989-90年にクリッパーズでプレイすることを拒否したダニー・フェリーをクリーブランド・キャバリアーズのロン・ハーパー、レジー・ウィリアムズとトレードした。このトレードは1987年のケン・ノーマン、1988年のダニー・マニング、1990年のロイ・ボウトなどドラフトで獲得した選手とともに、1991-92、1992-93シーズンにプレイオフ進出するための原動力となった。 ●1991-92シーズンの途中でクリッパーズはヘッドコーチを交代させたが、これは非常にうまくいった。サンアントニオ・スパーズを解雇されたばかりのラリー・ブラウンである。ヘッドコーチ交代前22勝25敗だったチームはブラウンに交代した後、23勝12敗を記録、45勝37敗で13年ぶりに勝ち越した。クリッパーズはバッファロー時代以来16年ぶりにプレイオフに進出したが、ユタ・ジャズに2-3で敗れた。1992年4月にロサンゼルスで起きた暴動のためプレイオフの第4戦はアナハイムで行われたが、その試合クリッパーズは勝った。 ●1992-93シーズンは41勝41敗で終了し、再びプレイオフに出場し、ヒューストン・ロケッツに2勝3敗で敗れた。 ●ラリー・ブラウンはインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチになるため去るとボブ・ワイスがヘッドコーチとなった。 ●1993-94シーズンはロサンゼルスのNBAにとって最悪の年で、クリッパーズとレイカーズを合計して、60勝104敗と大きく負け越した。その後数年、クリッパーズは選手、ヘッドコーチをしばしば交代したが、1997年プレイオフに進出した。36-46と負け越していたが、プレイオフに進出したクリッパーズはウエスタンカンファレンス首位のユタ・ジャズと対戦,3連敗でシーズンを終えた。 ●1994年から99年にかけて、クリッパーズはNHLのマイティーダックス・オブ・アナハイムと同じアリーナを本拠地としたが、1999年からレイカーズと同じステイプルズ・センターに移った。 ●1999年ラマー・オドムをドラフトで獲得するが、15勝67敗でシーズンを終える。若い選手たちのサポートのために、元オールスターでロサンゼルス出身のデニス・ジョンソン(シアトルとボストンで3回NBAチャンピオンになっている︶を採用する。チームはまた殿堂入りしている偉大な元レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーをアシスタントコーチとした。デニス・ジョンソンは2002-03シーズン途中までアシスタントコーチだったが、ヘッドコーチに昇格した。アブドゥル=ジャバーは1年間だけコーチを続けた。2000年代[編集]
●2000-01シーズンには大きな変化がもたらされ、控えフォワードのデレク・ストロングと何人かの選手と引き換えにコーリー・マゲッティをオーランド・マジックより手に入れる。そして、ドラフトでダリアス・マイルズ、クエンティン・リチャードソンを手に入れチームの人気は上昇、31-51で終わり、ベンチスタートの選手の1試合平均得点37点はNBAトップとなった。エルトン・ブランドを中心とした時代[編集]
●翌シーズンさらにチームを改善するためにドラフト当日、ロサンゼルス出身のタイソン・チャンドラーをシカゴ・ブルズのパワーフォワード、エルトン・ブランドとトレードした。それまでの2シーズン、ブランドは1試合平均20得点、10リバウンドをあげていた。ブランドは2002年のオールスターゲームで負傷欠場したシャキール・オニールの代わりに出場した。この年クリッパーズは最後の13試合でわずか3勝しかできずに39勝43敗で終わりプレイオフ進出を逃した。 ●2002年のシーズンオフには、マイルズと、クリーブランド・キャバリアーズで2001-02シーズン1試合あたり11アシストでアシスト王となったポイントガードのアンドレ・ミラーがトレードされた。これによって、ミラー、オドム、ブランド、オロワカンディ、ベンチプレイヤーも充実したクリッパーズはプレイオフに向けて順調に進むものと見られたが、チームケミストリーの欠如と負傷者続出(延べ293試合︶で非常にがっかりさせられる27勝55敗でシーズンを終えた。シーズン途中にヘッドコーチはデニス・ジョンソンに交代した。 ●2003-04のシーズンを前にクリッパーズは、ミラー、オドム、オロワカンディ、パイカウスキーといったチームの核となる選手をフリーエージェントで失った。一方ドラフトではクリス・ケイマンを指名し、ブランドとマゲッティと長期契約を結ぶことに成功した。彼らはリチャードソンと共に1試合平均58得点のNBA有数のトリオとなった。新しいヘッドコーチ、マイク・ダンリービーを迎えたクリッパーズは経験のなさと負傷によって28勝54敗でシーズンを終えた。 ●2004-05年シーズンはクリッパーズとレイカーズとの立場が入れ替わりとなった。シャキール・オニールをマイアミ・ヒートにトレード、殿堂入りが期待されるヘッドコーチ、フィル・ジャクソン、カール・マローン、ゲイリー・ペイトンを失ったレイカーズは34勝48敗、一方クリッパーズは37勝45敗であった。レイカーズと同様、クリッパーズもプレイオフ進出を逃したが、1993年以来、レイカーズの成績を上回った。この年ボビー・シモンズが1試合あたり16得点、6リバウンド、3アシストを記録し、MIP︵最も改善されたプレイヤーに贈られる賞︶を受賞したが、彼は2005年7月、故郷のシカゴに近いミルウォーキー・バックスと5年契約4700万ドルを結び去った。シモンズの穴を埋めるためにクリッパーズはロケッツ、マジック、キングスでプレイしたカッティノ・モブリーと契約した。モブリーと契約したことでパイカウスキーを失って以来、チームに不足していた長距離シュートを武器とすることができ、ディフェンスの強い選手を手に入れることができた。モブリーは、70年代のビル・ウォルトン以来ひさびさのフリーエージェントで加入した選手となった。8月12日にはさらに大きな出来事があり、ミネソタ・ティンバーウルブズと2人の選手を放出する代わりにサム・キャセールとミネソタがプレイオフに進出した場合の翌年ドラフト1位指名権を手に入れた。 ●2005-06年は大きな飛躍の年となった。強豪チームに対しての勝利は多くのファンの注目を浴び、エルトン・ブランドはオールスターゲームに選ばれた。そして大きく改善されたチームのことは、多くのスポーツ雑誌に載った。クリッパーズはここ14シーズンで最高の成績をおさめ、1997年以来のプレイオフに進出した。 ●47勝35敗で終わりバッファローを去って以来最高の成績をおさめたクリッパーズはウエスト6位でデンバー・ナゲッツと対戦することを期待された。4月12日クリッパーズは、ウエスト5位でダラス・マーベリックスとの対戦が見込まれたが、続く7試合のうち、5試合に敗れてメンフィス・グリズリーズがウエスト5位となった。4月22日、クリッパーズは13年ぶりにプレイオフのゲームで勝利した。2日後第2戦も勝利してチーム創設以来初めて2-0とリードした。第3戦を失ったが、第4戦、第5戦を勝ちバッファローから移転して以来初めてプレイオフ1回戦を突破した。続くウエスタンカンファレンス準決勝でフェニックス・サンズと対戦、第1戦を落としたものの敵地の第2戦で122-97と劇的な勝利をおさめた。第3戦は、サンズのショーン・マリオンが32得点19リバウンドをあげる活躍で94-91でサンズが勝利した。第4戦、エルトン・ブランドが30得点、9リバウンド、8アシストと活躍し、114-107で勝利する。第5戦のオーバータイム残り1.1秒でサンズのラジャ・ベルが同点の3ポイントシュートを放ち、ダブルオーバータイムに突入、125-118でサンズが勝利した。第6戦はクリッパーズのディフェンスのスペシャリスト、2年目のクイントン・ロスが自己ベストの18得点をあげる活躍で118-106で勝利した。この試合ブランドも30得点、12リバウンド、3アシスト、5ブロック、マゲッティはベンチスタートでFG8本中7本、フリースロー9本全て成功で25得点、クリス・ケイマンとサム・キャセールは15得点をあげた。第7戦は127-107でサンズが勝利して、この年のクリッパーズの快進撃は終わった。 ●この年のプレイオフ1回戦はサンズ対レイカーズであり、レイカーズが勝ち上がっていた場合、同じアリーナをホームコートとする両チームの対戦という珍しいケースになるところだった。 ●翌2006-07シーズンはプレーオフ進出ならず、さらに翌2007-08シーズンはエルトン・ブランドがシーズンをほぼ全欠し、チームは地区最下位となった。ゴードンとグリフィンを中心とした時代[編集]
●2008年のNBAドラフトでエリック・ゴードンを指名し、FAでバロン・デイビスを獲得した。しかし、チームの大黒柱だったブランドとマゲッティがチームを離れてしまい、チーム力低下を防ぐためにマーカス・キャンビー、ジェイソン・ウィリアムス等を獲得した。また、2008-09シーズン中にもトレードでニックスからザック・ランドルフを獲得したが、ウィリアムスの突然の引退発表や主力の怪我が相次いでチームの成績は前年よりも下がる結果となった。シーズン後、その年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得した。 ●2009年のNBAドラフトでブレイク・グリフィンを全体1位指名をした。しかし、プレシーズンマッチでグリフィンは膝を故障してしまい、シーズンを全休する事となった。迎えた2009-10シーズン、グリフィンを欠いたがチーム成績は前年度よりも向上し、ケイマンがその年のオールスターに選出されるほどの選手に成長した。2010年代[編集]
●2010-11シーズンは、グリフィンの事実上のルーキーイヤーとなり、新人の使い方が巧みなことで定評のあるヴィニー・デル・ネグロヘッドコーチの元、グリフィンは優れた成績を残し、新人王を獲得したが、ルーキー中心で、チームとしての層が薄く、32勝50敗という成績に終わった。ポールとグリフィンを中心としたロブ・シティの形成[編集]
●2011-12シーズンは年末にエリック・ゴードンがトレードで去ったが、代わりにクリス・ポールが加入した。またNBAファイナルMVPに輝いた経験のあるチャンシー・ビラップスも獲得し、レギュラーシーズンの勝率は6割を超え、6年ぶりのプレーオフ進出を果たし1stラウンドをも突破したが、カンファレンスセミファイナルでは、ポール、グリフィンが万全のコンディションで出場することはできず、サンアントニオ・スパーズにスイープで敗れている。 ●2012-13シーズンは、ポール、グリフィンコンビの完成度も高まり、加えてジャマール・クロフォードという優れたシックスマンや経験豊富なマット・バーンズらが加わり、56勝26敗でパシフィック・ディビジョンを制し、第4シードでプレーオフ1stラウンドを迎えたが、前年も対戦し勝利しているメンフィス・グリズリーズに2勝4敗で敗れた。2020年代[編集]
●2020-21シーズンは、安定した勝率でウエスタンカンファレンス4位でプレーオフに行くと1回戦は再びマーベッリクスとなり、最初の2戦を落とすもに第7戦にもつれ込んだ末に勝利した。2回戦はユタ・ジャズと対戦となり2-2のイーブンになった時点でレナードが怪我で無期限離脱を余儀なくされた。だがそこでエースを担ったジョージを中心にジャズに第6戦で勝利し、フランチャイズ初のカンファレンスファイナル進出となった。カンファレンスファイナルの相手は、かつてのエースクリス・ポール擁するフェニックス・サンズとなり、最初の2戦を落とすも接戦を演じるが、最終的にレナードの離脱が響き、第6戦で敗れた。 ●オフにはプレーオフで大活躍だったジャクソンとエースのレナードと再契約に成功し、新たにジャスティス・ウィンズローと契約した。シーズンごとの成績[編集]
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 |
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バッファロー・ブレーブズ | |||||
1970-71 | 22 | 60 | .268 | ||
1971-72 | 22 | 60 | .268 | ||
1972-73 | 21 | 61 | .256 | ||
1973-74 | 42 | 40 | .512 | カンファレンス準決勝敗退 | セルティックス 4, ブレーブス 2 |
1974-75 | 49 | 33 | .598 | 1回戦敗退 | ワシントン 4, ブレーブス 3 |
1975-76 | 46 | 36 | .561 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ブレーブス 2, シクサーズ 1 セルティックス 4, ブレーブス 2 |
1976-77 | 30 | 52 | .366 | ||
1977-78 | 27 | 55 | .329 | ||
サンディエゴ・クリッパーズ | |||||
1978-79 | 43 | 39 | .524 | ||
1979-80 | 35 | 47 | .427 | ||
1980-81 | 36 | 46 | .439 | ||
1981-82 | 17 | 65 | .207 | ||
1982-83 | 25 | 57 | .305 | ||
1983-84 | 30 | 52 | .366 | ||
ロサンゼルス・クリッパーズ | |||||
1984-85 | 31 | 51 | .378 | ||
1985-86 | 32 | 50 | .390 | ||
1986-87 | 12 | 70 | .146 | ||
1987-88 | 17 | 65 | .207 | ||
1988-89 | 21 | 61 | .256 | ||
1989-90 | 30 | 52 | .366 | ||
1990-91 | 31 | 51 | .378 | ||
1991-92 | 45 | 37 | .549 | 1回戦敗退 | ジャズ 3, クリッパーズ 2 |
1992-93 | 41 | 41 | .500 | 1回戦敗退 | ロケッツ 3, クリッパーズ 2 |
1993-94 | 27 | 55 | .329 | ||
1994-95 | 17 | 65 | .207 | ||
1995-96 | 29 | 53 | .354 | ||
1996-97 | 36 | 46 | .439 | 1回戦敗退 | ジャズ 3, クリッパーズ 0 |
1997-98 | 17 | 65 | .207 | ||
1998-99 | 9 | 41 | .180 | ||
1999-2000 | 15 | 67 | .183 | ||
2000-01 | 31 | 51 | .378 | ||
2001-02 | 39 | 43 | .476 | ||
2002-03 | 27 | 55 | .329 | ||
2003-04 | 28 | 54 | .341 | ||
2004-05 | 37 | 45 | .451 | ||
2005-06 | 47 | 35 | .573 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
クリッパーズ 4, ナゲッツ 1 サンズ 4, クリッパーズ 3 |
2006-07 | 40 | 42 | .488 | ||
2007-08 | 23 | 59 | .280 | ||
2008-09 | 19 | 63 | .232 | ||
2009-10 | 29 | 53 | .354 | ||
2010-11 | 32 | 50 | .390 | ||
2011-12 | 40 | 26 | .606 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
クリッパーズ 4, グリズリーズ 3 スパーズ 4, クリッパーズ 0 |
2012-13 | 56 | 26 | .683 | 1回戦敗退 | グリズリーズ 4, クリッパーズ 3 |
2013-14 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
クリッパーズ 4, ウォリアーズ 3 サンダー 4, クリッパーズ 2 |
2014–15 | 56 | 26 | .683 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
クリッパーズ 4, スパーズ 3 ロケッツ 4, クリッパーズ 3 |
2015–16 | 53 | 29 | .622 | 1回戦敗退 | トレイルブレイザーズ 4, クリッパーズ 2 |
2016–17 | 51 | 31 | .622 | 1回戦敗退 | ジャズ 4, クリッパーズ 3 |
2017–18 | 42 | 40 | .512 | ||
2018–19 | 48 | 34 | .585 | 1回戦敗退 | ウォリアーズ 4, クリッパーズ 2 |
2019–20 | 49 | 23 | .681 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
クリッパーズ 4, マーベリックス 2 ナゲッツ 4, クリッパーズ 3 |
2020–21 | 47 | 25 | .653 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
クリッパーズ 4, マーベリックス 3 クリッパーズ 4, ジャズ 2 サンズ 4, クリッパーズ 2 |
2021–22 | 42 | 40 | .512 | ||
2022–23 | 44 | 38 | .537 | 1回戦敗退 | サンズ 4, クリッパーズ 1 |
2023–24 | 51 | 31 | .622 | 1回戦敗退 | マーベリックス 4, クリッパーズ 2 |
通算勝敗 | 1,843 | 2,517 | .423 | ||
プレイオフ | 65 | 83 | .439 |
主な選手[編集]
現役選手[編集]
プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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記号説明 外部リンク 更新日:2024年05月29日 |
年代別主要選手[編集]
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
栄誉[編集]
殿堂入り[編集]
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永久欠番[編集]
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ヘッドコーチ、その他[編集]
歴代ヘッドコーチ[編集]
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日本人プレイヤー[編集]
●田臥勇太 (たぶせ ゆうた) 2005年9月15日に契約したと発表されたが、その後公式戦に出場することなく解雇された。チアリーダー[編集]
日本人チアリーダー ●柳下容子 (やぎした ようこ)日本での公式戦[編集]
●1994年11月に、ポートランド・トレイルブレイザーズと共に来日し横浜アリーナで公式戦2試合を行なった。この時クライド・ドレクスラー、クリフォード・ロビンソン等が所属するブレイザーズの方が人気があり、1試合ずつのホームゲーム扱いだったが2試合ともブレイザーズ応援のファンの方が多く、クリッパーズは2敗した。当時の中心選手はロイ・ボウトだった。 ●2003年10月31日、11月1日に、シアトル・スーパーソニックスとさいたまスーパーアリーナで開幕2試合を戦った。第1戦でエルトン・ブランドは21得点15リバウンド8ブロックと奮闘したが、右足骨折により第2戦は欠場した。もう一人の得点源コーリー・マゲッティは平均23.5得点と活躍したが、ソニックスのオフェンスを止められず、連敗した。チーム記録[編集]
●ロサンゼルス・クリッパーズのチーム記録脚註[編集]
(一)^ “Next Era of Clippers Basketball Launches With New Logo and Brand Identity”. NBA Media Ventures, LLC. (2015年6月17日) 2017年6月8日閲覧. "The L.A. Clippers new visual identity is a symbolic turning of the page to the next era of Clippers basketball. The primary logo retains the legacy colors of red, white and blue as a tribute to the Clippers faithful, while adding black to provide a modern edge"
(二)^ “LA Clippers Reproduction Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2016年8月10日閲覧。
(三)^ "Honey and LA Clippers Expand Partnership, Introduce Honey Logo Patch on Clippers Jerseys". Clippers.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 20 November 2020. 2020年12月25日閲覧。
(四)^ Yahoo.sports
(五)^ NBA=クリッパーズ売却完了、マイクロソフト前CEOがオーナー - ロイター・2014年8月13日
(六)^ バルマー前CEO、MS退社=クリッパーズ運営に専念 - 時事通信・2014年8月20日
(七)^ “LA Clippers miss playoffs for first time since 2011” (英語). NBA.com (2018年4月7日). 2018年4月8日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式サイト (英語)
チーム名 | オーナー | GM | ヘッドコーチ | ホームコート |
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ゴールデンステート・ウォリアーズ | ピーター・グーバー | ボブ・マイヤーズ | スティーブ・カー | チェイス・センター |
ロサンゼルス・クリッパーズ | スティーブ・バルマー | マイケル・ウィンガー | タロン・ルー | クリプト・ドットコム・アリーナ |
ロサンゼルス・レイカーズ | ジム・バス&ジニー・バス | ロブ・ペリンカ | フランク・ヴォーゲル | クリプト・ドットコム・アリーナ |
フェニックス・サンズ | ロバート・サーバー | ライアン・マクドナウ | モンティ・ウィリアムズ | トーキング・スティック・リゾート・アリーナ |
サクラメント・キングス | ヴィヴェク・ラナディベ | ブラデ・ディバッツ | ルーク・ウォルトン | ゴールデン1センター |