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ローマ内戦 (192年-197年)

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各属州の位置関係

ローマ内戦(ローマないせん)とは、192年から197年にかけてローマ帝国で発生した内戦。一般には193年に5人の皇帝が擁立されたことで五皇帝の年(英語:Year of the Five Emperors)と呼ばれる。厳密には192年12月31日のコンモドゥス帝暗殺から始まったため、翌193年からの内戦である。

五皇帝(五人の帝位請求者)[編集]

ペルティナクス[編集]

ヘルヴィウス・ペルティナクス



19311

3

83殿

ディディウス・ユリアヌス[編集]

ディディウス・ユリアヌス








ペスケンニウス・ニゲル

ペスケンニウス・ニゲル[編集]

ガイウス・ペスケンニウスはイタリア本土の騎士階級出身で、「ニゲル(黒)」の渾名で知られた将軍であった。

ユリアヌス即位時には中東地方の要であるシリア属州の総督という重職にあった。ユリアヌスの民衆と元老院との不和を前に反旗を翻した一人であったが、地理的な遠さから内戦勃発後には本土ではなくエジプトなど周辺地域の確保に努めた。最も近い位置にいるパンノニア総督セプティミウス・セウェルスがブリタニア総督クロディウスと手を結んで本土に侵入、同時期にユリアヌスが暗殺されると元老院はセウェルスを皇帝に戴冠させた。

セウェルスはクロディウスを副帝にして後顧の憂いを絶つと、遂に中東の地へ遠征軍を率いてきた。ペスケンニウスは巧みな戦いで一度はセウェルスに敗北を強いたが、体制を立て直したセウェルス軍によって徐々に追い詰められ、イッススの戦いで戦死に追い込まれた。

クロディウス・アルビヌス[編集]

クロディウス・アルビヌス

デキムス・クロディウスハドルメントゥムの上流階級に属し、「アルビヌス(白)」の渾名で知られていた。

アウレリウス帝・コンモドゥス帝の父子に仕えた将軍の一人で、長年に亘って各地の属州総督を歴任していた。ユリアヌス即位時には北方のブリタンニア総督に着任しており、セウェルスとペスケンニウスに続いて帝位請求者となった。だがペスケンニウス・ニゲルとは異なり、途中で請求権を取り下げる見返りにセウェルスの副帝に指名された。

セウェルスがペスケンニウス討伐に中東へ向う間、クロディウスはイベリア各属州の駐屯軍団を味方に引き入れる事に成功した。ペスケンニウスが討たれ正式にセウェルスが皇帝として権力を振るい始めると、危機感を強めたクロディウスは軍を集めて196年に再び帝位を請求してイベリアとブリタンニアの軍団をガリアに進軍させた。だがルグドゥヌムの戦いでの決戦でクロディウス軍はセウェルス軍に敗北し、彼は自ら命を絶つ事を選んだ。

クロディウスの死後、彼の妻子は用心深いセウェルスによって処刑されている。

セプティミウス・セウェルス[編集]

セプティミウス・セウェルス








在位期間[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]